だから、本当の殺人犯は金正日だ、という説がある。
そして、金は、当時働いていた会社(金は、A元照代という名前の女アルバイトだった)のライバルの親を殺したなどと吹聴して、社内で自分中心の体制を作ることにも利用していた(実際にその「A元体制」は出来ていたし、この会社自体がサウジアラビアの諜報機関員が多かったという。
しかし、金(A元)のライバルの親は八王子事件の被害者ではなく、金はウソをついていたことになる。
この時、金は、天皇を殺したとも吹聴していた。
金は、菊池直子と同一人物で、この時まだ指名手配されていなかったが、これが指名手配される前の菊池の犯罪の一部である。
もしかすると、オウムの指名手配は、この八王子事件の被害者を殺害したことによるものだろうか。
被害者は、この会社の中で、近藤今朝男(部長)と名乗って働いており、この人物が仮谷清志である可能性も出てくる。
金のライバルだった女性の親が被害者と同一人物ではないのに、そのように言っていたのは、皇族が盗聴される代わりの当て馬にしようということだったのかも知れない。
皇族に迷惑がかかっていることがわかれば、警察も重い腰を上げたり、池田大作とはかりにかけたりして、事件を本格的に捜査してしまうかも知れないからだ。
しかし、皇族の常陸宮を殺害した、ということで、北朝鮮による日本攻撃が強まった可能性は高く、皇族に迷惑がかかる前に、金のライバルだった女性にまず迷惑がかかりそれは、その世代や近隣(東京大学の近く)などの人々が非業の死を遂げていることと無関係ではない。
よど号事件について、わかっていることで下記の仮説が出る。
1969年4月頃、常陸宮と妻の華子の間に子供が生まれた。しかし、この子供は生後間もなく赤軍派の手により連れ去られ、9才頃の時に警視庁・城東警察署の近くの工事現場のマンホール内に再び拉致され行方不明になった(おそらく殺害され、替え玉は菊池直子になった)。
二度目に拉致される前には、警察署の裏の近くの黒沢という家に住み、二人の男の子の下の妹として育てられていた。
名前をH江といい、二人の兄は、NとSという。
よど号事件のことを書いた本に、その子供の写真が掲載されているのだが、その子供がNの宮であると考えられる。
そして、H江の二人の兄が、皇族の本物の浩の宮と秋篠宮である可能性がある。
実は、赤軍派は、1960年頃から、病院から子供を拉致する事件を起こしていたのだが、それはたいしてマスコミにも報道されなかったようだ。
赤軍派の手により、Nの宮が拉致される前に、浩の宮と秋篠宮も行方不明になっていると思われるのは、今の浩の宮も秋篠宮も、オウム信者の菊池直子(林郁夫)と早川紀代秀と同一人物だからだ。子供の役をしていた本物の子供がいるはずで、この二人は宮内庁病院で生まれたかどうかは定かではなく、どこかから連れてきた子供を皇族の子として発表していた可能性もある。赤軍派が病院から子供を拉致していたのは、皇族として育てる子供を物色していたためではないだろうか(その子供を黒澤家に連れ去った)。
そのうち、子供のいい悪いが見分けられるようになり、いい子供は貴重なので、拉致して不幸な目に遭わせ、拉致したものたちの得ということにした。
このようにして、正体を隠しながら、赤軍派は拉致した子供の情報を少しずつ出しながら、自分たちが「いい思い」をするために糧にした。
黒澤家のNとSが、本当はどこの子供かはわからないが適当な年齢になるまで皇居に住まわせ、自分たちが変装できる年齢になった頃に皇居から連れ出し、一般家庭で育てられ、そのうちまたどこかに連れ出されたか、殺害されたかして、その替え玉を赤軍派のメンバーがする、という方法で、隣近所の人や管轄警察の目が誤魔化せる。
オウムと常陸宮の関係とは
被害者と加害者の因縁は、よど号事件の前の娘の拉致からではないだろうか。
オウムは、わざと常陸宮の正面に総本部を作り、全面衝突のようなことを計画していたのてばないだろうか。