宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-517    仮谷さん拉致事件のつづき

 
 悪魔の厚生省は何故力を持っているのか
 
 悪魔の厚生省は、戦後も生き続け、戦中と同じ昭和天皇とグルになり、国民の健康情報を管理し、国民の生き死にも干渉するようになった。
 厚生省は、何故内務省時代に解体されなかったのだろう。
 それには、こういう理由があったことがわかった。
 戦中、厚生省が作成した「国民手帳」という国民へ配られた手帳があり、これには、国民の健康情報が書かれていた。戦後、アメリカは、この手帳のありかを探したが見つからなかった。 
 国民手帳は、国民に配られ自分の健康情報などを記載して保管しておくものであると思われるが、この手帳が回収され、ある場所に隠されていた、ということでそのありかを探していたが、見つからなかった。これが内務省を解体できなかつた理由なのだという。
 しかし、最近になり、その国民手帳がどこにあるかがわかった。国民手帳の隠し場所は、国会議事堂近くの国立国会図書館という図書館にあるのだという説が浮上した。
 この国民手帳には、国民の健康情報だけでなく、さまざまな情報がわかるもの、として認識されている。
 
 しかし、戦後直後、回収されていた、というのなら、国立国会図書館にある、というのは不自然だ。
 一軒一軒から家を回ったか、郵送で回収したとすれば、たいていは最初の段階として地方自治体にあるはずだ。
 例えば、市町村役場とか、都や市の庁舎に保管する。
 東京都民なら(当時は府)、東京都の庁舎に保管し、都民の管理に利用する、などのことがあっても不思議ではない。
 戦争は1945年に終わったが、それより前の1940年頃の古い思想が、国民手帳によって市や都の国民・市民管理に大きな影響力を及ぼしているといえば、何となくそうかも、と思えるフシもあるだろう。
 市民を監視・管理しているといえば、地方自治体だろう。
 例えば、都(23区)や県である。
 国民手帳は、都や県にあり、国民の監視・管理に使われているのではないだろうか。そして。その隠し場所がアメリカがわからなかったので、そのことが厚生省が暴走する理由になっていたのではないだろうか。
 
 厚生省と日本共産党の関係
 
 日本共産党は、戦前からある政党で設立から90周年程経つ、現存する政党である。
 この日本共産党と国民手帳の関係は何だろう。
 まず国民手帳というのは、人体を解剖したかのような人間の健康情報が記載されていて、その記述と同時に、昭和天皇のしもべとして、日本国民はどうあるべきか、などが書かれている。
 つまり、人体の情報と天皇の意思を一緒に記載することにより、心理的昭和天皇あっての日本国民である、ということを言いたいのだ。
 戦後、アメリカがこの国民手帳を探したが、すでに都道府県に回収されていて、探せず内務省の解体は見送られた。しかし、国民手帳が戦後になっても意味するものがあり、それは、アメリカで認められていない共産党が日本で存続するためのもの、ということにしようという説があるのだ。
 日本共産党の支持者が、アメリカの非合法活動団体のオウム真理教ひかりの輪に殺害されているが、当の日本共産党はこのことに無関心だ。無関心というよりも、何の情報も入ってこないとか、あえて無視している、という感じも受ける。
 少子高齢化対策により、独身者やその親などの若い世代や高齢者がたくさん死んだり自殺したりして、弾圧されている。これは、橋本龍太郎昭和天皇)と厚生省による政策のせいだ。
 政策といっても、1997年には、政治の政策ではなく、行政庁の厚生省が勝手に施行した「政策」だ。この施行があってから、日本人の若い世代の自殺率も高くなり、高齢者は自殺するか認知症などの病気を患っている。この少子高齢化対策というのは、厚生省と昭和天皇の旧内務省の国民への弾圧の口実であり、それは野党狩りと同じことなのだ(だから自民党は、夫婦や家庭にこだわる)。
 厚生省と橋本龍太郎昭和天皇)の拠り所というかかけ橋となっているのは、戦後回収された国民手帳で、これがアメリカに見つからなかったことから旧内務省存続の強みになっている。
 この政策と昭和天皇が首相になり再び政権を執ることにより(橋本政権、安倍政権)、戦中の内務省が指揮した状態が再び日本で統治される。
 国民手帳が見つかり、それが非難されなければこの状態はまたいつ始まってもおかしくない、ということで昭和天皇や日本政府が嫌っていた左派は、狩られる、と同じ意味なのだ。
 天皇とその体制を維持しようとする旧内務省にとって、それに反旗を翻す者は邪魔者でしかなく、昭和天皇の権限で殺してもいい、と思っているほどの時代錯誤ぶりなのは、いまだに国民手帳が都道府県で後生大事に保管されているからなのだ。
 反旗を翻す邪魔者、というのが天皇制反対を表明している日本共産党で、内務省にとっては、共産党自体よりもそれを支持する者、政権を執らせるために票を投じる者が邪魔者なのだ。しかし、それが日本共産党に知られたら大変なことになるので(政党だから、国会議員がいるから)、だから、支持者の死を日本共産党には教えないようにし、何の解決もしないように情報を公開したり、自殺の原因を突き止めたりしないのだ。このことは、つまり、政党である日本共産党やその権力のある党員を存続させるためのものだ、と言い換えることができる。
 しかし、当の本人たちが、自分を支持する人たちの死を無視しているのは問題だ。ここでも、共産党自民党の間の密約があり、共産党を支持する人を自民党の犠牲にしよう、というのがそれだ。日本共産党は、自分たちが助かるために、支持者を自民党に食わせて生き延びているも同然なのだ。
 
 アメリカが人体実験をした者をかばう理由
 
 アメリカは、人体実験に対する戦犯に甘いのは何故なのだろう。
 人体実験をする者、というのは、とてつもない権力を持つ者だからで(オウムや法倫功などもしかりだ)、そういう人たちをかばうことによりそれがアメリカの権力を増幅させることにつながるからだ。そ
そのポイントを押さえているので、だから人体実験を指揮した昭和天皇や人体実験の実行者たちが戦犯から免れ、密約を結び、旧内務省を解体せずに存続させることにより、日本人にそれをさせてアメリカの力にしようとしたのだ。
 言ってみれば、そういうことにわざと目をつぶり、内部崩壊をさせようとしたのだ。
 従軍慰安婦問題に何故、待ったがかかるかといえば、この問題は厚生省と内務省に密接に関わりがあるからで、問題を追及していくうちに何かの拍子に真実(アメリカが人体実験実行者たちをかばっていること→人を残虐に殺せば殺すほど、犯人のパワーが強力になる、その犯人をかばうことがアメリカの趣味であり、パワーの源になる→権力者は男なので、女性に興味があるために被害者は女性が多い)がわかると困るからだ。
 W・ブッシュは、アメリカの建国の父同然の存在だが、正体はエリザベス女王である。エリザベス女王は、人と人を剣で戦わせてもだえ苦しむ人を見て笑っていたという中世の不気味な貴族のような人格で、人体実験に興味があり(同一人物の麻原祥晃も血のイニシエーションと称して、人体実験をサティアンで行っていた)、それがイギリスの強さの秘密である。
 
 自民党は2008年に内務省の設置を企んでいた
 
 自民党は、2008年に「自民党国家戦略本部の中央省庁再々編案」で、内務省の設置を盛り込んでいた。
 内務省とは、地方行政、警察、土木(現・国土交通省→土地所有者管理?)、衛生(現・厚生労働省)を一まとめにした、官庁の中の官庁と呼ばれ、内政、民政の中心となった行政機関で、昭和天皇時代の第二次大戦中には、悪名高い特高警察の元締めもしていた他、国民精神総動員と称して国民運動の中心的役割を果たした。第二次大戦の国民の思想統制や内政の中心となっていたのが内務省、ということになる。
 戦後、GHQによって解体されたが、その後の政権で、何度か再設置案が浮上していたのだが、中止になっている。
 内務省の中には、新官僚と呼ばれる慶応大法学部卒のエリート官僚が台頭していた。新官僚とは、内務省を特別な権限があると知って、軍と結びついて、政党の影響力を排除した法改正を行うなど、独自の政治力を持っていた、という。つまり、政党が変わろうが昭和天皇を柱とした政治を固定しよう、ということで一致して行政を行っていたというものに近いだろう。
 独自の政治力を持っていた、というのは、今の内閣閣議法案(内閣提出法案は法制審議会の官僚が法案を作成する)と同じで(対する語に議員立法がある)、この時の新官僚というのが今の法制審議会のメンバーの官僚のことだろう。この習慣が残っている、ということは、今でも軍(防衛省)と結びついているのだと思われる。
 例えば、自衛隊の健康診断から健康管理、軍人たるものというような精神手帳のようなものの発行が思い浮かぶだろう。
 戦争中とか、戦争に向けての国家総動員のような時に内務省は強い権限を発揮するようだ。
 自民党は、麻生内閣の時あたりに内務省設置を言い出しており、これが元なのか麻生内閣が退陣し民主党に選挙に負けて下野し、再び選挙で勝利した時に自民党は、「民主党を選んだ国民に仕返しをしよう」と誓いでもし、退陣のきっかけとなったこのことを今まで秘密裏にすすめてきたのではないだろうか。そして、戦争の危機が訪れた時に内務省設置を発表し、第二次大戦と同じやり方で、国民に仕返しをしようと考えたのではないだろうか(内務省設置を盛り込んだ1府6省の編成は、麻生内閣で負けて、次のA倍の政権になった時に、誰かが再編のことを思い出し、これをやって仕返しをしようと思ったのではないだろうか→昭和天皇内務省を含む1府6省のコンビ)。
 そのためには、昭和天皇と同一人物のA倍晋三を首相にし、求心力を強めようとしたのではないだろうか。A倍晋三の妻の昭恵は、現在の天皇と同一人物だが、昭和天皇の戦争時代の悪しき遺産や就任年数に勝てなく仕方ないと思っているところをうまく自民党に突かれ利用されたのだ。
 
 ところで、戦後ポツダム宣言を読んだのは、ヒトラートルーマン大統領である。
 国民は、ポツダム宣言を読んだのは昭和天皇だと思っているが、昭和天皇は気位が高すぎて負けを認めるのが嫌で恥ずかしかったのと、トルーマン天皇としてポツダム宣言を読んだ方が後の日本支配のために都合が良かったのだ。
 トルーマンは、このことで後に「天皇」と同じということになり、昭和天皇が生きている間、明仁皇太子と入れ替わったりしていた。しかし、もともとの明仁東条英機)と常陸宮ヒトラー)の抗争で、明仁が有利だった時に昭和天皇崩御したので、もともとの明仁天皇の座に就いた。