宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件  29-518    仮谷さん拉致事件のづつき

 
 M添要一は平田信
 
 M添要一は、平田信と菊池直子の二人一役であることがわかった。
 平田信土井たか子、H下徹と同一人物者で、菊池直子はⅠ原慎太郎である。
 妻はA倍晋三の女装と同一人物者である。このM添要一の妻は、東京メトロのキャラクター「駅乃みちか」のモデルである。
 M添要一は、猪瀬直樹らが選挙資金を用立てした徳州会の徳田とも同一人物で、同一人物の整形を使って問題になっていた資金を提供した側が都知事に当選した、ということになる。
 
 菊池直子の1997年の工作 菊池直子、福田和子の事件には自民党もかかわっている
 
 菊池直子は、1995~1996年まで、二階堂照代、秋元照代(結婚したといい96年頃に秋元という苗字に変わったと自称)と名乗ってMという広告会社で働いていたが(アルバイト)、二階堂と同期に入った従業員(アルバイト)が97年1月に退社した後、菊池直子は今度は、その1月に辞めた人の名前をかたって半年ほど、働いていたことがわかった。
 社内従業員(社員など)は、菊池直子が秋元照代であると知っていたのに、名前の変更を認め、菊池直子を集団でかばう工作を会社ぐるみで行っていたことになる。
 会社で名前を変えるのは、主に女性が結婚して苗字を変えることはあっても、苗字と名前を全く関係のない名前に変える、というのはおかしい。しかし、会社は菊池直子と馴れ合いで「もぅ、秋元さんたらまたそんなことをやって」のような感覚で、それを認めていたというのだ。
 秋元照代で菊池直子は、福田和子と同一人物でもあり、97年7月に福田和子が逮捕されたのは、97年7月に秋元照代がM広告調査を退社したからではないだろうか。あるいは、福田和子として逮捕されたのでそのことが原因で会社を辞めたが、そのことを橋本龍太郎は「あの女がしくじつた」と表現していたようだが、その「あの女」にあたる女をすりかえて言っていた可能性もある。
 橋本がすりかえたのは、1997年7月にM広告調査を退職し、その後秋元照代が名乗っていた名前の人(97年1月に退職した人)と菊池直子をすりかえていたのではないだろうか。
 さらに驚くことに、このことを国会議員は知っていたということだ。
 日本の国会議員は、公開捜査の犯人の様子をよく調べているようだが、その犯人が行う工作のことを知っていて、わざと黙っていて、それが世間に知られない間に政策を施行して、うやむやにしてしまおう、ということを行っている。
 97年1月に退職した人は、菊池直子ばかりでなく、福田和子にも間違えられ、その人が若い女性であったことから、自民党少子高齢化対策を行い、その人が犯人にすりかえられていることを利用して、女性全体の弾圧や同じような無犯罪系の高齢者を弾圧しようとしていたのだ。そして、それは実行された。
 何故なら、若い女性や高齢者を弾圧するとなると、女性や高齢者が犯罪に手を染めることがあまりないため、謀略を使って人を入れ替える必要があるからだ。
 菊池直子の本当の年齢は、とうの昔に高齢者であるが、自民党少子高齢化対策では、若い女性だけではなく、菊池直子の実際の年齢に合った層も弾圧の対象としている。つまり、高齢者で菊池直子だけは助かるが、他の高齢者も弾圧の対象にしていたということになる。
 菊池直子で福田和子は、Ⅰ原慎太郎と同一人物だが、当時、社会党のM山富市として首相の座に就いており、M山富市が退陣する代わりに、「自分が菊池直子、福田和子であること」「若い女性にその罪をなすりつけるために行ったこと」を黙っていることと引き換えに、自民党に政権の座を渡す密約を結んでいたのではないだろうか。