宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 33-8    よど号事件のつづき

 
 やっぱり治安を乱しすぎていたM警察署
 
 1995年11月30日に、赤軍派よど号グループに指名手配されていた田宮高麿が死亡した、と北朝鮮でニュースが流れた。このニュースで、慌てたのは、文京区のM警察署である。
 M警察署は、田宮高麿を逮捕まではいかない「居所を監視している」状態だったが、M警察署は、指名手配者などの犯罪者の居所を監視することにより、その犯人を「すだれ」にし、利用することでパワーを得ていた。しかし、田宮が死亡した、とニュースが流れたため、本富士は、困ってしまった。「田宮が死んだら、自分たちが危ない」。
そう思ったM警察署は、田宮など赤軍派の世代でない、地元管轄の20代の女性を「田宮高麿死亡」の当て馬にしようと思い、当時、仕事も順調に行っていた女性を死んだと見立て、田宮をかばうことにした。だからといって、死んだことを取り消すのではなく、田宮の側に付き、田宮が暗躍し田宮が好きなようにする治安を勝手に築こうとした。そして、それはオウム事件と重なり、オウムの指名手配犯人の世代と赤軍派の指名手配犯人の世代の両方の世代を「狩り」、田宮と赤軍派のために、取り締まりを開始したのだ。
 取り締まりを受けた人たちは、犯罪者でなく、芸能人でも有名人でもない一般市民が多く、少子高齢化対策の名の下に他の警察署や暴力団も一斉に、それらの人々を取り締まった。
 田宮は、同一人物者に、国際指名手配されている大道寺将史や、アメリカでテロを起こしていたビン・ラディン師、オウムの高橋克也(履歴書の写真のような中年男)、ロシア支部の大内利裕とも同一人物だったが、M警察署は、M警察署自体の都合を、警察の権力の職権を乱用して無理に田宮と赤軍派の秩序を作ろうとし、その「えじき」に少子高齢化対策に該当する、2~30代、5~60代の親子世代をしたのだ。
 まず、北朝鮮で流れたニュースを真に受けていること、何故、田宮というテロリストを取り、被害者世代をえじきにして田宮の台頭を大きく援助したのかの理由が全然わからない。そんなことをしたら、テロリストがいい思いをし、暴力団が繁栄し、治安の悪化が懸念されるに違いなかったのに、M警察署のやうとしたことを他の警察署や霞ヶ関の官庁が気づかず、秘密裏のうちに、何なのかわからない間にそれが進んでしまい、その状態が続いて今の社会・政治がある。何なのかわからない、といっても、厚生省とグルになり、少子高齢化対策をすることにより、田宮のことを隠し、うやむやのうちにそれをやってしまおう、とする本富士の意図はわかる。しかし、M警察署は、1969年9月30日に、赤軍派の東京戦争で、署長室が爆破されそうになり、その事件が解決したのかしてないのか、田宮赤軍派から被害を受けているが、それはM警察署の都合であって、厚生省の少子高齢高対策を隠れ蓑に使って全国の一般市民にまで田宮を強制する、という権利や正当な理由がどこにあるのだろう。
 M警察署の管轄に田宮が住んでいたか不明だ。田宮の出身は岩手で、大学は関西であり、文京区やその周辺ではゲリラや街宣活動を行っていたことは知られているが、住民とはいえず、何故、M警察署は、管轄の住民を犠牲にしてまで、昔被害にあった加害者の田宮をかばおうとするのかということが説明できないだろう。
 M警察署には、妻の森順子も出入りするようになっていて(森順子は、M警察署がオウムを捜査するのに参考にした、というE川紹子、1996年12月から首相になったH本龍太郎、A倍晋三と同一人物)、署員に赤軍派のような口調で命令するようにもなったが、その中でもとてもおかしいと思われるのは、森順子の「田宮高麿は天皇だ」という主張である。
 天皇赤軍派のメンバーといってしまえばそれまでだが、天皇塩見孝也と同一人物者で、田宮高麿は天皇家の人間ではない。田宮は、天皇家とは関係のない人物だ。むしろ、「田宮高麿と森順子の娘」と言われた娘の親であり、紀の宮のことである思われる「北とイギリスの娘」とは別人だ。森順子は、田宮が天皇ではないことを本当は知っていたのか、本当に天皇と同一人物だと思い込んでいたのかは定かではないが、「田宮が天皇だ」と主張し、「だから、助けられてもいいはずだ、何をしてもいいはずだ」と主張し、何でも田宮のことを優先するように、警察官に教え、それを実行させていたようだ。
 1997年から、若者の自殺が急増し、また、年間殺害者の被害者数も10万人となり、一年の間に13万人の人々が死亡する時代が続いているが、もとはといえば、M警察署が、テロリストのために罪もない一般市民を犠牲にし、テロの台頭を誘発したことに端を発しているといえる。それが例え、オウム事件がきっかけになっていたとしも、田宮で高橋克也や大内利裕をかばう体制を最初に言い出したのはM警察署であり、M警察署は、東京大学本郷キャンパスに連接しているので「エリート警察署」と呼ばれている。M警察署は、東京を代表する、警視庁を代表する「エリート警察署」だったのに、空から降ってきたような悪魔の田宮高麿のことをかばうために、恥も外聞も捨てたも同様なつじつまの合わない、狂ったような秩序を強制したのだ。