宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1008    仮谷さん拉致事件のつづき

 仮谷清志は松本知子?

 

 仮谷清志は、松本知子と同一人物である可能性が出てきた。

 1994年2月に殺害されその後、生還して自作自演の仮谷拉致事件をオウムと協力して行っていたと思われる仮谷清志は、麻原によって演歌歌手Мと間違えられていた人物だったようだ。

 麻原(演歌歌手Мの妻)が「М社の社長を殺した」といい、94年に最初に社内で体制を敷こうとしていたが失敗に終わっているようだ。麻原は、М社の社長を演歌歌手Мだと思っていたようだ。実際には、松本知子(平成の天皇)が社長だったので、麻原は、演歌歌手Мと松本知子を間違えていたようだ。仮谷清志の妹Nが、麻原と同一人物で、仮谷清志の資産を奪おうとしたので仮谷清志は「資産家事件を一緒に起こそう」と麻原に協力を示す。

 その仮谷拉致事件の布石が1994年2月のМ社の社長殺害だったようだ。その後、仮谷拉致事件が発表された後、麻原は、「演歌歌手Мを制した者が次の天皇」だと社内で吹聴しており、これは、演歌歌手М=平成の天皇=仮谷清志であると麻原が思っていたことを示すものだが、平成の天皇と演歌歌手Мは同一人物ではなく、平成の天皇と演歌歌手Мは、兄弟である。しかし、この時点ですでに演歌歌手Мが死んでいて代わりを兄の平成の天皇が扮していたとしたら、麻原の吹聴していたことがつじつまが合う。

 麻原は、仮谷清志を演歌歌手Мをしていた人物であると思っているが、さらに演歌歌手Мは殺害されていて兄の方が扮していると思っているようで、これに合致する人物が松本知子である。

 つまり、仮谷清志は、松本知子だった、ということになる。さらに、国松長官をしていた人物と顔の一部がよく似ているが、別人である。

 ところで、仮谷清志は、不動産業者の中田清秀と同一人物ではないだろうか。資産家が不動産業を営んでいることはよくあることだ。オウムと協力状態にあるので、オウムの喜びは嬉しいし、逆もしかりだ。

 仮谷清志で平成の天皇は、当時の皇太子妃と同一人物で(顔の一部より)、麻原彰晃は当時の皇太子と同一人物である。いずれにしろ、皇太子妃の資産は皇太子の資産と同様に扱われるようになるので、麻原に取られたとしても大して変化はなかったはずだ。むしろ、二入りで共謀して他の資産家をやろうということになるのは不自然ではない。

 平成の天皇で皇太子妃と同一人物だった仮谷清志を(自作自演で)拉致したことにより、秋篠宮の子や関係する人たちが、中国人グループに殺害され、証明書などを取られて中国人かイラン人になりすまされている。

 94年に仮谷清志を拉致した時に、文京区本郷の平田信の住む一室に連れて行ったのは、仮谷清志が平田信と同一人物だったからである。江東区江東区の一室こそ普段別人が住んでいたのに当日、そこから拉致されている※)から連れ去り、平田自身の自宅に拉致され、そこで飼っていたネコも一緒に仮谷氏(平田信)の「遺体」と一緒にコンクリートに埋められたのだ。

  ※江東区から菊地直子に拉致されたのは仮谷清志だが、仮谷家の自宅ではなく、普段別の女性が住んでいる場所(江東区住吉)である。何故か当日、仮谷氏がそこから拉致されているが、そのせいで、元々の住人の女性が仮谷清志に間違えられ、その女性の別居している娘が仮谷清志の妹や菊地直子に間違えられ、捜査が大幅に混乱させられた。

 

 演歌歌手Мとは何なのか

 

 麻原の吹聴に度々出てくる演歌歌手Мと何の意味があるのだろう。この人物の存在は、麻原にしてみれば暗号あるいは別の人物の隠語として使われている感がある。

 麻原の言う演歌歌手Мは、松本知子のことだが、実際には同一人物ではない。

 演歌歌手Мの実際の性別は女だが、麻原の信仰しているか創設した宗教は、女の存在をないものにする、無視するという思想で女に人権がない(これを政治で行っているのが南米の多くの国)。

 これにのっとって、演歌歌手Мの存在をないものにしているか暗号にしているのだろうか。

 あるいは、あまり力がないので、力になってやっていることが多いので名前ぐらい勝手に使ってもいいだろうとして、演歌歌手Мの名前を無断拝借しているということも考えられる。麻原と同一人物かと思って調べてみると、若干、顔の一部が違うようである。

 

 94年に殺害されたのは演歌歌手М

 

 94年に殺害されていたのは、演歌歌手Мだったようである。

 しかし、コンクリート詰めにされた後に生き返っているようである。

 演歌歌手Мの存在が無視されているのは、無視している人物が生き返ったことを知らないか、存在を認めたくないことの表れである。

 

 何故演歌歌手Мが殺害されたのか

 

 94年に演歌歌手Мが殺害されたのは何故だったのだろう。94年に演歌歌手Мが殺害された直後、当時のH川首相が気になる動きをしている。 

 自民党の歴代首相の元にH川首相が選挙制度改革の打診に訪れているのだ。

 H川氏は、55年から続く自民党政権を破り、初の非自民政権を誕生させた人物である。自民党からしてみれば、H川氏は非自民政権の首相であり、面白くないはずである。

 しかし、H川内閣が主に進めていたのは、演歌歌手Мの死亡をきっかけとした、小選挙区制度への選挙制度の改変であり(時代が後戻りしているので改革とは言えない)、これの意味するところは、女性の社会進出の阻害である。小選挙区制度に変更するということは、組織が大きな政党が勝利することを意味し、当時の政治勢力で言えば自民の圧勝が将来的に約束されたも同然で、自民党保守政党であるので、女性は社会進出せずに夫と子供のために生きろ、ということであり、H川氏のそもそもの目的がそこにあったとしたら、当時の世相とは真逆の左派を偽装した極右に近い政党だったということになろう。演歌歌手Мは本当の性別が女性であり、女性の社会進出の象徴的存在であったと考えられ(象徴ではあるが実際には多くの働く女性の支援行為を行っているように見える広告塔のような存在)、だからこそ、保守政治家に目をつけられていた部分もあったようだ。

 H川氏は、オウムに狙いをつけられていた自身と、その演歌歌手Мを入れ替えるようにしてオウムの手配者に拉致され殺害されたが、後に生き返った後も、死んだと思われた時期にH川氏が選挙制度の改変を取り付けていたので、そのまま保守の道に突き進んでしまったとみられる。その結果が長銀北海道拓殖銀行、第一勧業銀行や、証券会社の破綻で、実際には全員保守である国会議員が、小選挙区の導入から自民の圧勝が将来的にも約束されたことから、女性にも親和的な企業を政府が見捨て、1997年の日本経済の崩壊となるに至ったのである。このように、多くの女性たちが働き台頭していった中で、演歌歌手М一人が殺害されそうになったからといい、主に金融機関を政府が勝手に見捨て、勝手に政権交代し、法案で決まる前から勝手に厚生省が少子化対策として女性の就労を妨害し出すなど、自民党、あるいは保守政治家の思惑が勢力を増し始め、女性不在の政治経済がスタートしたのだ。この布石を敷いたのが当時の日本新党(現民主党)であり、戦前、戦中の大賛翼政会の総裁だった近衛文麿の孫のH川氏で仮谷清志である。

 

 破綻の理由

 

 1997年の経済破綻は、当時の皇太子妃と同一人物のМ子(仮谷清志と同一人物)が、93年に天皇家に嫁いだという要因があるという一面があるのかも知れないが、キャリアウーマンが嫁いだからといい、親和性のある金融機関などが破綻するのはおかしい。

 結婚に当たり陰ながら応援するという態度ならわかるが、破綻するからには何か特別な理由があるはずだ。例えば、相手が結婚詐欺師で、騙されて財産を全て持っていかれた場合、こういうことが起きた今まで応援していたのに、という理由で破綻したなら説明は一応つきそうだ 。あるいは、嫁ぎ先が火の車で実家の財産で補填しなければならない、といったことでも同様だ。しかし、これを当てはめると、天皇(当時皇太子) は詐欺師か天皇家の財政が破綻していたということになる。

 

 何故仮谷清志の代わりに演歌歌手Мか拉致されていたのか

 

 

 演歌歌手Мは、交際している女性の親を殺害して親の財産を娘に分けて経営を継がせようとすることが周囲の人たちの間で知られている。

 皇太子との結婚が間近だった頃、М子さんは前の交際相手が演歌歌手Мだと言われていたことがあり、親を殺害されていた可能性がある。親の殺害者は、親になりすまし親や家の財産を奪っていたことが考えられるしかし、ある人物の仲介もあり皇太子との結婚が決まった。親はおそらく自己破産に追いやられており、家の内情は火の車である可能性もある。