宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-966    仮谷さん拉致事件のつづき 死んだのは演歌歌手Мの方だった?

 

 

 演歌歌手Мは二人いた 1993年に死んだのは演歌歌手М

 

 演歌歌手Мは、デビューした人物の直後に別の人物に変わっていて、初期の頃に代が変わっていたことがわかった。1993年に青森県で死んだのは、演歌歌手Мである可能性が高くなった。1993年に演歌歌手Мが死んだ後、デビューした時の人物がその後、演歌歌手Мに扮していてしかも親族であるために生きているものと勘違いしたのと、元々、そのことを詳しく知っている人物がいなかったことから、死んでいたことがわからなかったのだ。

 殺害したのは、K村Y子の母親である。

 K村Y子は、演歌歌手Мの婚約者で、演歌歌手Мの女性観は異常で男女関係を持った女の親を殺していいなりにし、親の資産をその女の継がせることにより、女の世話と金を自分自身がしなくていいようにするのだ。

 このため、K村Y子の親が「演歌歌手Мに殺害されるのは嫌なので殺害してしまおう」と計画したのだ。

 演歌歌手Мは、K村Y子の父親でもあり兄でもある人物であったようだ。

 つまり、K村Y子は、演歌歌手Мの娘でもあり婚約者でもあったことになる。

 元々、K村はこの家の娘だったが、1990年頃父親に殺害されてその後、父親が娘になりすましていた説がある。

 演歌歌手Мが大塚公園で暴漢に襲われ、病院に運ばれた後気がついて、医師に「充電をするように」言われたが、充電をせずそのまま帰宅し、そのうち意識不明になったか動けなくなった。

 その体を段ボールに入れ青森の別宅に送った後、青森の事件の当日に宅配便を受け取り、体につながっている充電線を取り殺害した。

 この後、自ら通報し、警察の現場検証が始まったが、その最中で遺体を引き取りに来た人物がいて、その人物が首を切断するなどした後、コンクリートを遺体の入ったドラム缶に流して固めた。

 「おかしい」と思って三沢基地に電話して抗議しに来たのは、演歌歌手Мの関係する資産家たちであると思われる。このことを、「Hの宮の子供たちが三沢で行方不明になって殺害された」という風に噂が流れたが、それは加害者の方であり、実際には演歌歌手Мとその子供たちが殺害され、首を切断されドラム缶にコンクリート詰めされたのだ。このドラム缶は青森県に運ばれた。

 Hの宮の非合法組織に、青森県を本拠地とする建設会社があり、この建設会社が闇の仕事を行い、演歌歌手Мのように、天皇に逆らう者を暗殺しては青森県に遺棄していたと思われる※。

 さらにこの演歌歌手Мが死んだ事件はオウム真理教の信者によって隠されていた。

 演歌歌手Мに扮していたのが初期の演歌歌手Мをしていた父親に代わり※2、死去ニュースにもならなかった。

 Hの宮は、演歌歌手Мを殺害していたことを隠すために、仮谷拉致事件の芝居をさせ、拉致されて行方不明になった事件を東京大学近くの警察署に公表させた。東京大学は付属の東大病院が、宮内庁病院になっている。

 Hの宮(早川紀代秀)が何故、演歌歌手Мを殺害していたことを隠したかったのかは不明だ。

 しかし、仮谷拉致事件を境にして、3人の指名手配犯も逃走し、資産家と当時の若い

20~30代がオウムのターゲットとなった。

 ※ I原慎太郎とK知事が殺害されている。I原氏は天皇の座を今の天皇と争っていた。K知事は天皇になることを目標にしていた。

 I原慎太郎→前年、母親が東京駅のコインロッカーで死んだ状態で発見された。翌年(2015年)の2月に愛知県小牧市で同僚らに頭を殴られ気絶したままシリアに運ばれ、後藤健二として殺害され、首と胴体がバラバラにされコンクリートに詰められ青森県に遺棄された。

 K知事→2020年11月29日に、東西線東陽町の線路内で電車に轢かれ死去していた。

直前に愛犬を同居人に殺され、同居人と同一人物者の支持者に言われたことにショックを受け、落胆していたところに「線路を降りればいいから」と言われ線路に降りたところ、「こっちだ」と呼ぶ声がし腕を引っ張られ奥へ連れていかれた後、殴られて気絶し電車が来て轢かれて死亡した。A元首相に狙われていた説がある。→犯人の手によって電車が来る直前に助けられた説もある。

 ※2 演歌歌手Мに扮していた父親は、2021年夏に、東西線茅場町門前仲町の間の線路で電車に轢かれて殺害された。

 

 当時の首相が暗殺されていた

 

 犯人が、何故、演歌歌手Мを殺害したことをひた隠しにしたかったかというと、演歌歌手Мが、当時の首相だった細川氏だったからではないだろうか。

 首相就任時に首相が殺害されたことがバレると非難されるし、当時はバブル景気後期で治安もまあまあ良かったので、テロ行為をした、と言われるのが嫌だったのではないだろうか。  

 演歌歌手Мが死んだと思われる翌日頃には、ニセモノ首相(犯人)によって、選挙制度の改革が自民党の首相経験者に打診されている。細川氏日本新党という党の党首で、自民党とは敵対する関係なのに、自民党に有利な選挙制度に改革しよう、と自民党を訪ねるのは、本物だったら不自然である。

 

 演歌歌手Мが仮谷清志だったのか

 

 演歌歌手Мが仮谷清志だろうか。

 菊池直子の家の家族関係を見てみると

父→演歌歌手М

母→Hの宮(早川紀代秀)

兄→麻原彰晃

弟→I原慎太郎

妹→K村Y子(菊池直子)(E川紹子?)

 

である。

 この家族間で被害者と加害者は夫婦である。夫婦は顔も似るというので、演歌歌手Мの方が仮谷清志であった可能性もある。

 仮谷清志は、I田大作とも同一人物である可能性があるのは、演歌歌手Мは複数の宗教の開祖者でもあるからだ。

 自民党公明党と連立政権をしているのは、会長が殺害され組織がおかしくなっていたので、自民党と組ませてくれ、と頼んだか、自民党の首相(K元首相?)に拾われたという説もある。

 

 警察に最初に事件を持ち込んだ人物

 

 東大近くの警察署に最初に事件を持ち込んだのは、E川紹子だと言われる。

 その相談内容の概要は以下だ。

「父と母がけんかして父がオウムに拉致された」というものである。

 この内容から、E川は仮谷の娘であると思われる。

 仮谷さんが拉致されたのは95年2月ということである。

 この内容と、先ほどの仮谷清志の別家族であると思われる家族構成に当てはめてみると、母親はHの宮で早川紀代秀で、父親は演歌歌手Мである。

 この二人がけんかして、父が拉致されたとすると、仮谷清志は演歌歌手Мということになる。

 母親が父親の財産を巡ってけんかになり、入信していたオウムの麻原に依頼したか、自分で拉致するよう麻原に命令したかである。高額の布施を払い、やってくれ、と頼んだということも考えられる。

 演歌歌手Мが仮谷清志なら、母親は妻の仮谷Sということになる。仮谷清志の息子は兄の麻原彰晃と同一人物ということになる。

 E川が警視庁に事件を持ち込んだのは、95年2月以降だろう。仮谷清志が拉致されてから事件を持ち込んだからだ。しかし、95年には演歌歌手Мは死んでいた。演歌あK主Мが死んだのは93年11月だからである。つまり、E川のこの通報はウソか、オウムの幹部に言われたかして偽の拉致事件をでっちあげたか、あるいは、父を殺害した人物が拉致事件を自作してそれをE川が本人同士のけんかで父が拉致された、と錯覚したことを警察に相談に行ったのだろうか。別名家族の表と当てはめると、E川は菊池直子なので、オウム信者になってからそれを相談したということになり、警察への相談はウソだった、という可能性がある。菊池直子のオウムへの入信は、1988年か1989年頃である。

 3人の指名手配犯も家族の中にいるのだろうか。

 家族の中で怪しいのは、妻の仮谷Sと娘のY子だが、Y子は菊池直子だとすると、平田か高橋が妻の可能性があるが、頭がデカいという特徴が母親の顔の特徴と一致しているので、妻で母親は高橋勝也ということになるだろう。残るは平田だが、平田は、演歌歌手Мが死んだ後、演歌歌手Мの父親とは別に父親演歌歌手Мになりすましていた説があり、仮谷家の別家族の父親として警察に情報を提供していた人物だといわれ捜査の協力的なところがあるので、平田はこの人物だろう。

 

父→演歌歌手М→1993年11月に死去。えんじ色のジャージを着ていた?後に平田

母→Hの宮→早川紀代秀高橋克也→裁判に菊池直子として出廷し

「私は仮谷清志だ。仮谷清志と菊池直子は同一人物だ」と言い、無罪を主張した。しかし、この人物は仮谷清志ではない可能性がある。

兄→麻原彰晃麻原彰晃の裁判で「あなたは演歌歌手М」か、と問われ「そうだ」と返事→演歌歌手Мの妻と同一人物だが、演歌歌手Мと同一人物ではない。→演歌歌手Мに罪を押し付けようとしていたことがうかがえる。

弟→I原慎太郎→2015年2月に死去。青森県弘前市に遺棄。

妹→K村Y子、菊池直子、E川紹子→ウソの拉致事件を警察に相談し、捜査が混乱している間に財産を搾取しようとした?

 

 演歌歌手Мは当初父で娘だった

 

 演歌歌手Мは、当初、父で娘だった可能性がある。

 事件当日、中学生を殺害したので年齢が近い方がしっくりくる。演歌歌手Мは、前日、K村Y子さんの姿をして大塚公園にいたところを暴漢に襲われて病院に行き自宅に戻っている。自宅で意識不明になった後、家族が段ボールに詰めて青森の別宅に宅配便で送りそれが夕方16時ころの時間指定になっていたのだろう。

 当日、K村Y子さんになりすましていたのは母親で、東京から青森の別宅までK村Y子さんの体が運ばれてくるので、母親がなりすましていても、本人らしく見えたのだろう。友達と別れて家に着くと宅配便はすでに置いてあったのか、受け取ったのかして、偽装工作に体を家のドアや壁に当てたり刺したりしていかにも争ったような状態に見せかけてから、充電の線をはずすなどして(こんな物で送っても、暴力を与えても意識が戻らないなら殺してもいいだろうと思い)、殺害したのではないだろうか。

 当日、「前日に殺したはずなのに青森にまだあの女がいる」、と焦った家族が手伝っていたことも考えられるが、不明だ。

 自分たちの母親が、この娘のせいで殺されるのはたまったものではない、と思う家族がいても不思議はないからである。

 演歌歌手Мは、自分と同一人物者を「娘で婚約者」ということにしていたのだろうか。

 K村Y子さんは、複数の別宅がある家族の家の娘で、その別宅の中に草加市の菊池家があった。その家族の娘が直子という。K村Y子さんが菊池直子と同一人物であるというのはそこからきている。殺害したのは母親だが、共犯者が兄である可能性があるのは、オウム信者の名前は麻原彰晃と共犯で殺害した人物の名前で信者を呼んでいるらしく、菊池直子はオウム信者の名前なので、麻原が殺害に関与していると思われるからだ。

 菊池直子は菊池直子と名乗っていた人物を殺害した母親ということになる。しかし、仮谷Sかも知れないので、「菊池直子は仮谷清志と同一人物」、というのはおかしいのではないだろうか。

 K村Y子に現在扮しているのは、麻原彰晃である。母親は裁判で無罪になっているので、母親と一緒にK村Y子さんを殺害した麻原が扮している。

 

家族構成では、次のようになる。

 妹→K村Y子で演歌歌手М。埼玉県草加市で菊池直子と名乗っていた。→1993年11月に死去。殺害者の母親がK村Y子、菊池直子となり、E川紹子としてウソの拉致事件(被害者はすでに死んでいる)を警察に相談し、捜査が混乱している間に、若い人々に冤罪をかけようとして一方で財産を搾取しようとした早川紀代秀