宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1007    仮谷さん拉致事件のつづき

 

 浩の宮と秋篠宮が入れ替えられていた?

 

  仮谷清志は、秋篠宮の方であることがわかった。

 秋篠宮の方が仮谷清志で、浩の宮の方が菊地直子高橋克也であると思われる。

 オウムは当時資金不足であったと考えられ、信者の中の資産家に目をつけ、「お兄さんの財産を君がもらえないか」などと、仮谷清志の妹の在家信者に持ち掛けたのだ。この話を知った仮谷清志の方が、自身が被害者となったり殺害されるのが嫌だったので、「資産家殺人(あるいは何らかの事件)を自作自演し、ほかの資産家の財産をせしめよう」ということになったのだろう。

 1994年の松本サリン事件の4ヵ月位前に、仮谷清志が江東区の一室から妹(菊地)に拉致され、文京区の部屋でネコと一緒に殺害され、コンクリート詰めにされたが、コンクリートが固まる前にネコと一緒に脱出し、自作自演事件の布石を敷いた。

 高橋克也は頭がデカいということだが、菊地直子は顔がデカく、つまり頭もデカいということなので、同一人物なのではないだろうか。平田信として出頭してきた人物は、当時の皇太子妃と同一人物であると思われる(顔の一部より)。つまり、皇太子夫妻が秋篠宮を殺害したということになる自作自演事件である。

この後、丁度1年後に、妹が警視庁に「兄がいなくなった」と相談し、仮谷拉致事件が公表された。

 この後、何年か、秋篠宮と関係のある人たちが狙いをつけられ殺害され、仮谷清志のようにコンクリート詰めにされて青森県(イランと呼ばれている)に遺棄され、証明書等を盗んだ犯人の中国人(中国人が殺害していたといわれている)らがFというコンビニで働き出したと思われる(この仮谷清志の関係者を殺害していた中国人グループについては不明である)。

 しかし、この被害者の人々は、犯人側の妹側の子供たちが殺害されているという風に噂になっていた。実際には仮谷清志の子や関係者が狙われていたようだ。

 しかし、仮谷清志は、国松長官とも同一人物だったので、自分の子たちを犠牲に財産を得ようとする、損して得取る要素のある自作自演事件の指揮を取っていたと思われる。

 国松長官狙撃事件が起きたのが仮谷拉致事件が公表された1ヵ月後なので、、資産家殺人が警察長官が絡んでいる自作自演事件だとばれないようにするために、狙撃事件が起こされたのではないだろうか。

 

 仮谷家はサウード家

 

 仮谷清志の妹のN愛子は、仮谷拉致事件を持ち込んだМ警察署の署員らの親である可能性があり、だから事件が公表され謀略もうまく行ったのではないかと思われる。

 Nの思想は強烈な女性差別思想であり、男は無罪になる権利を持っている代わりに、女は誰でも有罪になる義務があるというような原理主義の思想を座右の銘にしているような人物である。

 この思想を地で行く資産家は、サウード家であり、サウード家といえばビンラディン師の出身の家である。

 資産家殺人は、Nが嫁いだと思われるサウード家が首謀しているか、仮谷家が元々、サウード家の別名義の家なのではないだろうか。その場合、資産家殺人と原理主義はセットであると考えられる。

 М警察署は前々から東条英機と懇意にしていた説があり、第二次大戦が起きた理由もエネルギー問題(石油が輸入できない→女性が社会に台頭していると産油国が石油を売らない)が要素にあるといわれている。

 東条英機は、そのサウジアラビアを代弁するかのように、女性差別政策を強制したようだ。

 その東条英機とМ警察署が懇意にしていたということは、М警察署がサウジアラビア寄りの思想に片寄っている可能性を示すもので、М警察署の署員がサウジアラビアの王の家のサウード家の親近者であってもおかしくはない。だから、仮谷拉致事件の自作自演事件が長引くと、サウジアラビアサウード家の思想も強くなってくるのだ。

  

 仮谷清志は松本知子?

 

 仮谷清志は、松本知子と同一人物である可能性が出てきた。

 1994年2月に殺害されその後、生還して自作自演の仮谷拉致事件をオウムと協力して行っていたと思われる仮谷清志は、麻原によって演歌歌手Мと間違えられていた人物だったようだ。

 麻原(演歌歌手Мの妻)が「М社の社長を殺した」といい、94年に最初に社内で体制を敷こうとしていたが失敗に終わっているようだ。麻原は、М社の社長を演歌歌手Мだと思っていたようだ。実際には、松本知子(平成の天皇)が社長だったので、麻原は、演歌歌手Мと松本知子を間違えていたようだ。仮谷清志の妹Nが、麻原と同一人物で、仮谷清志の資産を奪おうとしたので仮谷清志は「資産家事件を一緒に起こそう」と麻原に協力を示す。

 その仮谷拉致事件の布石が1994年2月のМ社の社長殺害だったようだ。その後、仮谷拉致事件が発表された後、麻原は、「演歌歌手Мを制した者が次の天皇」だと社内で吹聴しており、これは、演歌歌手М=平成の天皇=仮谷清志であると麻原が思っていたことを示すものだが、平成の天皇と演歌歌手Мは同一人物ではなく、平成の天皇と演歌歌手Мは、兄弟である。しかし、この時点ですでに演歌歌手Мが死んでいて代わりを兄の平成の天皇が扮していたとしたら、麻原の吹聴していたことがつじつまが合う。

 麻原は、仮谷清志を演歌歌手Мをしていた人物であると思っているが、さらに演歌歌手Мは殺害されていて兄の方が扮していると思っているようで、これに合致する人物が松本知子である。

 つまり、仮谷清志は、松本知子だった、ということになる。さらに、国松長官をしていた人物と顔の一部がよく似ているが、別人である。

 ところで、仮谷清志は、不動産業者の中田清秀と同一人物ではないだろうか。資産家が不動産業を営んでいることはよくあることだ。オウムと協力状態にあるので、オウムの喜びは嬉しいし、逆もしかりだ。

 仮谷清志で平成の天皇は、当時の皇太子妃と同一人物で(顔の一部より)、麻原彰晃は当時の皇太子と同一人物である。いずれにしろ、皇太子妃の資産は皇太子の資産と同様に扱われるようになるので、麻原に取られたとしても大して変化はなかったはずだ。むしろ、二入りで共謀して他の資産家をやろうということになるのは不自然ではない。

 平成の天皇で皇太子妃と同一人物だった仮谷清志を(自作自演で)拉致したことにより、秋篠宮の子や関係する人たちが、中国人グループに殺害され、証明書などを取られて中国人かイラン人になりすまされている。

 94年に仮谷清志を拉致した時に、文京区本郷の平田信の住む一室に連れて行ったのは、仮谷清志が平田信と同一人物だったからである。江東区江東区の一室こそ普段別人が住んでいたのに当日、そこから拉致されている※)から連れ去り、平田自身の自宅に拉致され、そこで飼っていたネコも一緒に仮谷氏(平田信)の「遺体」と一緒にコンクリートに埋められたのだ。

 

 ※江東区から菊地直子に拉致されたのは仮谷清志だが、仮谷家の自宅ではなく、普段別の女性が住んでいる場所(江東区住吉)である。何故か当日、仮谷氏がそこから拉致されているが、そのせいで、元々の住人の女性が仮谷清志に間違えられ、その女性の別居している娘が仮谷清志の妹や菊地直子に間違えられ、捜査が大幅に混乱させられた。