宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 136    天皇陛下殺人事件のつづき 「天皇を殺した」と吹聴していた人物

 天皇を殺した、とは何だったのか
 
 A元照代は、社内で「結婚した」とウソをつき、「これからA元と呼んでね」、と言い、社内でA元さんと呼ばれていたが、法律的にはN階堂である。
 そして、このN階堂は、大内早苗の経歴にそっくりであり、大内早苗とも同一人物であると思われる。
 大内早苗が言っていた「天皇を殺した」という意味がまだわかっていない。
 例えば、本当に「殺した」わけではなく、「天皇がかばっている人を天皇自身が陥れるようになった」という、心の変化を「殺した」と言っているということも考えられる。
 こういうことだろうか。
 
 
 Aの宮と妻は、演歌歌手MとK池百合子だった
 
 Aの宮と妻は誰であるかが判明した。
 Aの宮は演歌歌手M(麻原)で、妻のK子はK池百合子であるようだ。
 Aの宮や妻として写真に掲載されている人物とは必ずしも一致しないことがある。
 K子の顔の特徴は、K池百合子の顔の特徴と違く、複数人の影がいた可能性もある。
 Aの宮は、皇太子を退けてまでも次の天皇になりたい野望があり、万が一それがかなわなくても、天皇上皇に就任することにより、本当の一族ではないとみなされている皇太子を牽制しようとしていると思われる。
 天皇の本当の一族は、Aの宮である、と天皇自身が思っていて、もし皇太子が天皇になれば、第二次大戦からのサウジアラビア支配が終わってしまう(天皇はサウジの国王と同一人物)という危機感から、何としてもAの宮に天皇になってもらいたい、として、政治や国際情勢などに干渉していたと考えられる。
 
 「演歌歌手Mを殺した者が次期天皇」の意味
 
 演歌歌手Mを殺した者が次期天皇、という話は、1995~6年の時に言われており、この意味は、「次期天皇として有力なAの宮を殺害した者が次期天皇である」ということであった可能性が出てくる。
 この社内には、同僚に皇太子もいて、この言葉は、皇太子に対するメッセージのようにも受け取れる。
 「Aの宮を殺さないと天皇にはなれないよ」ということだ。
 Aの宮が次期天皇になる野望を持っていたのは、今の天皇が即位してわずか5~7年後だったことになる。
 次期天皇はもうAの宮に決まっているから、六義園で殺害されたAの宮と同一人物者は天皇も同じ→天皇が死んだ、という風に噂のようになって流されたのだろうか。
 
 天皇六義園で殺害されていた
 
 天皇は、1996年頃、文京区駒込駅近くの六義園で、殺害されていたのだという。
 天皇は、千代田区のMという広告調査会社のM田という人物と同一人物(社長とも同一人物)であったが、会社にいたアルバイトの大内早苗(N階堂)や社員の早川紀代秀(O島という女の社員)に、鈴木裕行さんという名前で殺害されていたようだ。
 鈴木さんは、文京区本郷で文房具店を営む店主だったが、1996年に呼び出されたかどうかして六義園に行き、刃物のようなもので刺されて殺害されたのだ(殺害されたといっても、本当は生きている)。
 天皇は、演歌歌手Mと同一人物かは不明だが、大内早苗が言っていた「天皇を殺した」というのは、このことだった可能性が高い。
 
 犯人は
 
 天皇と同一人物のM田さんで鈴木裕行さんを殺害した犯人は、大内早苗と早川紀代秀であると思われる。
 現在は、大内早苗はA倍晋三、早川紀代秀はK池百合子と同一人物である。
 N階堂とO島の二人は、社内で力を持つために、社長と同一人物のⅯ田(鈴木)さんを殺害し、その後、N階堂は「天皇を殺した」と吹聴し、社内で大きな存在となった。(A元体制)しかし、その裏には、どうしても二階堂を主役にしたい社員のO島の思惑があったのだ。その後も、O島が社内で社長になっている、等と言われていたのだ。
 O島は、当時の皇后と同一人物で、この事件でつまり夫の天皇を殺害したということになる。
 もう一人、共犯者がいたという説がある。
 それは、N階堂と同僚の吉田という男のバイトで、この人物は、皇太子と同一人物である。
 吉田もやはり、A元体制でいい思いをしていた者の一人である。
 
 そして、その体制がまだ続いていると思われるフシがある。
 それは、(平成の)天皇生前退位を発表したのは、A倍(N階堂)政権であると同時に、K池百合子(O島)が都知事として立候補した頃と同時期である。
 1996年に自分を襲った二人の人物が中心となる政権が誕生したことにより、天皇天皇職を続けられなくなったということになるのだろうか。
 
 それは、この六義園殺人事件がきっかけになっている可能性もあるのだ。
 
 「演歌歌手Мを制した者が次期天皇」の意味がわかった
 
 「演歌歌手Мを制した者が次期天皇」の意味がわかった。演歌歌手Мを殺した者ではなく、制した者だったこともわかった。
 実は、これまで皇太子であると思われていた人物は、1994年に殺害されていたことがわかった。 
 殺害を命令した者が演歌歌手Мだったのである。
 1993年10月に、タレントやお笑いコンビにより、シンガーソングライターМ(1980年代にヒット曲を出した)の殺害計画があった。この殺害計画は、実行されていたが直接、狙っているシンガーソングライターМではなく、もう一人のシンガーソングライターМの殺害となった。場所は、シンガーソングライターМや歌のモデルが住んでいる家から近い大塚公園で行われたようである。この公園に、シンガーソングライターМから「行くように」命令されたK村Y子という歌のモデルが行ったようである。殺害犯人グループは、そこでK村さんを殴る、蹴るの暴行をした。K村さんはその後、病院へ行き医師の診断を受けて帰宅したが、帰宅した後倒れてしまった。同じ家に住む犯人の一部は、そのK村さんの遺体を青森県に宅配便を使うかして運び、お笑いコンビの一人の自作自演劇により殺害事件として警察に公表されている(八戸市女子中学生殺人事件)。
 遺体は警察の現場の検証が終わった後、遺族を名乗る者に引き取られていったが、この後、ドラム缶内に入れられコンクリートを流し込まれ弘前市に遺棄された。しかし、この後K村さんは、痩せた体を利用して固まったコンクリートから抜け出し助かっている。しかし、この数が月後に大変な事件が起こる。
 
 Hの宮が殺害されていた
 
 生き返ったK村さん(替え玉のK村さん?)は「シンガーソングライターМのせいでひどい目に遭った」と考えた。1994年のある時、シンガーソングライターМの住んでいる別の家(江東区)にK村さんが訪ね「ちょっと一緒に来て」と言い、文京区本郷にあるマンションの一室にシンガーソングライターМを行った。そこではである人物が待っていた。ある人物とは、前回、公園で暴行を受け青森で遺棄されたK村Y子と同一人物の男である。シンガーソングライターМの正体は、Hの宮でエリザベス女王である。
 男は、シンガーソングライターМの首を斧で切断し殺害した。部屋にはネコがいて、そのネコも殺害を目撃したといって殺され、Hの宮の遺体と一緒にドラム缶に入れられコンクリートを流し込まれ青森県弘前市に遺棄された。
 首を切断されてしまったので助からず、皇太子はそのまま死んでしまったようだ。
 「天皇陛下を殺した」とはこのことだったのだ。
 
 シンガーソングライターМを江東区の家から文京区の家に連れてきた人物は、高橋克也であると思われる。この人物は、演歌歌手Мと同一人物で、チャールズ皇太子と同一人物である。もう一人の本物のK村Y子は、菊池直子と同一人物である(埼玉県草加市の自宅で菊池直子と名乗っていた)。そして、文京区の部屋の借りぬしが住民が平田信だが、これは当日の事件の時は不在だったようだ。平田信は、平成の天皇と同一人物なので、息子が殺害されるとわかったら止めるか直後に通報されると思ったので殺害現場にはいなかったか、殺害した後に事後報告を受けた後に呼ばれたか帰ってきて、二人と一緒に遺体解体に関わったか、浴室に保管してあった首が盗まれたりしないよう、監視役をしていたことが考えられる。殺害には関与してなかったか、一家の長男が殺害されたことを自身が関与していたことになるのが嫌だったので自首したのかも知れない。
 しかし、平田は、93年にK村Y子が襲われた時に指揮していたタレントと同一人物で、その時には「シンガーソングライターМをやるよう」お笑いコンビの配下たちに命令をしていたようだ。これは何故かはわからない。
 お笑いコンビのグループの中に、前出の「天皇を殺した」として体制を作っていた大内早苗がいるが、この人物が麻原彰晃である。
 
 このHの宮の殺人が仮谷拉致殺人事件ではないだろうか。
 オウムが言う仮谷拉致事件は自作自演劇であり、被害者も加害者もオウム信者による芝居で、真の仮谷拉致殺人事件は、Hの宮殺人のことではないだろうか。
 
 Hの宮の殺人の後から、犯行現場になったと思われる文京区本郷のマンションの周辺の住民が「今度新しくつくられた東大前という駅が出来たのでここの土地の価格が上がる、今なら○○億円で売れる」等と持ち掛けられ、そのまま住民が姿を消すという事象が増えていた。もし、何もないならそれはおかしいし、94年以降、大手出版社が移転してきて、これまでのシビリアンコントロールが一変している。東京大学はオウムのターゲットだったし、数年後には、東大病院が宮内庁病院になっている。 
 
 殺害されたのはHの宮ではなく、天皇の自作自演
 
 94年に仮谷拉致事件のモデルの事件が起きているようだ。95年に兄の仮谷清志がいなくなったと警察に相談に行った人物がいて、その事件と思われるのが94年に起きていたのだ。
 仮谷拉致事件は、平成の天皇が日本全体を右派政権、右派経済にしようとして、左派政権が台頭しないように選挙制度を変えたり、左派経済家を陥れて財産を搾取するのに噂を吹聴して襲うなどを計画するのにその発端として起こされた自作自演劇である。
 天皇自身が殺害され役と指名手配犯を買って出ることにより、世に社会不安を巻き起こし、左寄りの人々に恐怖感を与えている。
 仮谷清志の替え玉として拉致され殺害されたのが天皇である。しかし、コンクリート詰めにされ遺体遺棄された場所で、コンクリートが柔らかいうちに抜け出し難を逃れたが、そのことを仲間や信者にも教えなかったために死んだという噂が広まっている。
 実際に天皇と同一人物の平田以外の仲間によって殺害されたのは天皇だが、そのことでHの宮の関係者を襲い転嫁することにより、左派の後退を推進している。

 
 二つの事件はつながりがある
 
 天皇が殺害された事件は、今のところ二つあり、一つは、天皇が仮谷清志と勘違いされて殺害された仮谷拉致事件と、もう一つは六義園殺人事件である。
 仮谷拉致事件は、平田信天皇が、左派の本陣ともいえるHの宮や女性の社会進出を抑止することを目的として起こされた事件だが、この事件によって危機感を感じたHの宮が、天皇の目的を達成させるまいとして天皇と同一人物者を六義園付近で殺害するのが六義園殺人事件である。