宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1009    仮谷さん拉致事件のつづき

 

 仮谷清志はやはり女王で皇太子(当時)

 

 1994年に江東区住吉の一室から連れ去られた人物は、ニセ仮谷さん(演歌歌手М→チャールズ皇太子と同一人物)だが、もともと、この家に住んでいた人物は、高橋克也で当時の日本の皇太子と同一人物であることが分かった。さらにこの人物は、イギリス女王とも同一人物でありこの人物のことを仮谷清志と呼んでいたと思われる。

 当時、仮谷清志は、演歌歌手М(麻原彰晃)と短期間、入れ替わっており、演歌歌手Мはやってきた菊地直子に連れられ、車で移動し、文京区の平田信が借りている部屋に行きそこで待っていた仮谷清志で高橋克也に殺害され、青森でコンクリート詰めにされ遺棄された。しかし、コンクリートがまだ柔らかいうちにネコととも麻原彰晃によって遺体を移動させられ、生きているように見せかけられたか、殺害された人物が自力で抜け出したかのいずれかである。

 この自作自演劇を行う理由は、教団の資金不足が原因であると思われるが、在家信者の仮谷氏の妹のN(菊地直子)が、元々、福田和子として仮谷清志と同一人物者の財産を狙っていたことから、兄の財産が欲しいなどと麻原に頼んでいたが、仮谷氏にそれを知られ、仮谷氏が「自分の財産を取られるのは嫌なので自作自演の資産家殺人をしよう」と麻原に伝え、その経緯から、麻原が被害者となる仮谷拉致事件(オウムの自作自演劇)が起きたと考えられる。その1年後に、Nで菊地(ジャーナリストに扮している)が「兄がいなくなった」として、仮谷氏にみなされている演歌歌手Мが殺害された場所の管轄警察署のМ警察署に相談しに行ったということだろう。

 拉致役で元々の言い出し人は菊地直子早川紀代秀)で、殺害役は仮谷氏で高橋克也だが、平田信は部屋の借主で殺害当時に目撃されなかったようなので、出入りしていたいずれかと同一人物の可能性もある。

 平田は演歌歌手Мが在籍していたコーラスグループの後釜の人物で、演歌歌手Мに勝てない可能性があったので演歌歌手Мが邪魔といえば邪魔だと思っていた関係だ。

 

 この殺害事件の時死んだのが、演歌歌手Мだが、何故、それをきっかけにH川政権が小選挙区制度に変更しようとしたのかがよくわからないが、不正がしやすい選挙制度として知られているようなので、事件が発覚しないうちに制度を変更し、できるだけ長く時間を稼ぎ、資産家殺人を長引かせようということだったのかも知れない。

 H川は、平田と同一のようである。

 

  

 この事件の後の出来事については下記の説がある。

① 演歌歌手Мの切断された頭部が平田信の部屋にあったので、平田信が演歌歌手Мと呼ばれるようになった説がある。

② 演歌歌手Мは、Aの宮と同一人物だったが、Aの宮が死去した後、Aの宮の子が生まれ、その2ヶ月後に阪神淡路大震災が起きた。→同時に演歌歌手Мは、渡辺芳則とも同一人物であり、組長が殺害された後に起きた地震だったので、それで山口組の構成員が救援物資を配っていたのではないだろうか。

③  演歌歌手Мと一緒に殺されて頭部を切断されたネコは、殺害現場の近くの家で飼われていた飼いネコだったが、このネコの飼い主の若い女性が仮谷清志の娘に間違えられ、菊地直子とも間違えられている。

④ 麻原彰晃は、演歌歌手Мの妻と同一人物。

⑤  演歌歌手Мと妻の間には二人の子がいるが、そのうち男の子の方が、1995年に兵庫県の学校の門で頭部が発見され、殺害者少年Aが逮捕されている。少年は、仮谷家のいずれかの人物と同一人物である。その人物は、国松長官とも同一人物である。

 

 警察に逆らった人物として?

 

 仮谷家の娘だったNは(苗字がNなのでNという人物と結婚していたと思われるが、結婚した時期は不明)、1980年代に別名K村Y子として演歌歌手Мと交際していたが、演歌歌手Мは、男女関係を持った女性の親を殺し、親の持っている資産や会社の運営を女性にさせるというようなことをしていた。

 K村さんと関係を持った後、演歌歌手Мは、K村さんの親を殺害したと思われるが、その親が仮谷家のNの親と同一人物だった可能性が高く、Nは、その後、仮谷家の財産を運用しようとして、それを麻原(演歌歌手Мの妻)に相談したと思われる。

 しかし、仮谷家も演歌歌手Мに家をどうにかされるとして、Nや仮谷家が演歌歌手Мの殺害を計画したのではないかと思われる。

 それをオウムと共同して行ったのが仮谷清志を演歌歌手Мとすりかえて殺害する仮谷拉致事件であると思われるが、仮谷家は警視総監の人物がいる家だったのだ。

 演歌歌手Мは、警察に逆らった人物として警察からマークされ殺害され、歌をきいていた人や関係者が、警察やオウムから目をつけられ取り締まりの対象者となったのではないかと考えられる。

 演歌歌手Мと一緒に殺されたネコを飼っていた飼い主の女性は、K村Y子と中学の時の同級生で、名前が同じだということもありK村Y子の当て馬に使われていたようだ。
 演歌歌手Мの婚約者でもないし関係はないが、一時的にファンだったことがあり、演歌歌手Мが死去した後から「お前は未亡人だろう」、「婚約者だっただろう」、「菊地直子だろう」、「麻原彰晃だろう」、などと様々な噂を立てられたり風説の流布をされたりして、まるで被害者遺族のように扱われている。

   何故浩の宮の子がたくさん殺害されていたのか

 

 1994年に殺害されていたのは演歌歌手Мだとすると、何故、同一人物ではない浩の宮の娘や息子がたくさん殺害されていたのだろう。

 浩の宮は、むしろ、殺害者(高橋克也)と同一人物である。このことの意味するところは、おそらく、三人の中で殺害に手を染めた者が一人であり、他の二人に通報されたか、あるいはもっとも何もしていないに近い者により通報されていたからではないだろうか。

 つまり、通報により殺害者は被害者を背負うことになり身内がたくさん殺害されてしまったのだ。

 さらに、加害者のほうが被害者であるという風に認識されるようになり、天皇が死んだ、浩の宮が死んだ、とささやかれるようになったと思われる。

 この噂を受けて、1997年の選挙制度の変更と相まって経済崩壊につながったのではないかと思われる。

 もう一つの理由として、1982年8月に起きた福田和子事件で、1997年に時効寸前に逮捕された福田和子は実は別人で、被害者の安岡厚子さんだったことと関係がある可能性がある。

 安岡厚子さんは、エリザベス女王で浩の宮と同一人物である。つまり、福田和子事件の被害者と仮谷清志は同一人物ということになる。

 しかし、時効寸前になっても捕まらなかったので、被害者のほうが福田和子に見えるようになり、被害者のほうが通報され逮捕されてしまったのだ。
浩の宮は、福田和子事件の加害者と、仮谷清志で演歌歌手М殺人の被害者側として認識され、娘や息子がたくさん殺害されてしまったと思われる。

 その二つの要因と、「保守」の二大政党制を標榜するH川政権の小選挙区制度に選挙制度を変更するという計画が重なり、女性が活躍する経済が破綻してしまったのだ。

 

 菊地直子の方が殺害者

  演歌歌手Мを殺害したのは、菊地直子で、拉致したのは菊地に見せかけた高橋克也だとすると、菊地が演歌歌手Мになりすまして活動している意味がわかってくる。 

 自身と似通った子を殺し自身の地位を高めるという方法が行使されていたという説もあるが、指名手配に相乗りした形でそれが行われごちゃまぜになっているということも考えられる。そこには、財産を搾取するという目的も含まれている。さらに、この殺人がエシュロンか盗聴活動の正体なのだろうか。盗聴にイラン(ホメイニ支配は盗聴がひどいらしい)が関係しているのは、青森県のことをイランと呼んでいるらしいからで、イランの盗聴活動のてにをはが日本に輸入されていたのだろうか。

  中国人が殺害し、イラン人がその人になりすまし、都市部のコンビニで働く。事情を知っているイラン人がやってくるので盗聴は都市部に及ぶ。中国人も知っているので、盗聴は中国とイランのせいで始まるとして、中国とイランが日本に盗聴を誘発する意味は何なのだろう。

 昭和天皇は、中国人であるという説があり、ホメイニは、昭和天皇のお父さんと言われている。昭和天皇は、当時の皇太子と同一人物である。つまり昭和天皇の再登場を意味していたということになる。

 

 演歌歌手Мは生き返っていた

 

 オウム真理教の三人の指名手配犯に殺害されていた演歌歌手Мはその後、生き返っていたようだ。演歌歌手Мの親によって助けられていたようだ。

 小選挙区制度を変更するのに根回しをしていた直後であると思われる。しかし、演歌歌手Мが殺害されたことを、別の女性が殺害されたこととすり替えて吹聴され、それが経済破綻につながったというインチキが行われていたのだ。

 演歌歌手Мが殺害されていたとしても、女性の社会進出と同調した経済が崩壊するのはおかしい。これは、アメリカの謀略であるという説もある。