宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ⑱-2 国松長官狙撃事件のつづき 赤軍派の誘導捜査

 狙撃当日
 
 1995年3月30日、8:30頃、南千住の国松長官の自宅近くに車を停め、国松長官が姿を現すのを今か今かと待っていた。

 国松長官が姿を現した時、女は、国松長官という人物について把握した。そして、「今だ」と早川か平田にかけ声をかけたのが飯田エリ子である。
 早川か平田は、銃の名手でもあるらしい。
 早川は、焼肉店を経営していて韓国籍か韓国でも歌手をしているかも知れない。

 現場に残されていたバッチは、早川で演歌歌手Mがデザインしたもので、彼の事務所か自宅に大量にしまってあるらしいといわれる。
 もう一点現場に残されていたウォン硬貨は1988年製のもので、Mがこの頃、韓国に行っていたのだろうか。

 早川か平田と飯田か大内早苗を1班とすると、2班もいて、それが林泰男(上佑史裕と同一人物)である。
 彼は、盗んできた自転車を目につく所に置き、物陰に隠れて、出てきた国松長官を正面から狙撃した。そして自転車で逃走した。
 事件後犯人は自転車で逃走したとされているが、それは林で、早川か平田と飯田か大内は車であった。国松長官の目のつく所に自転車を置き、国松長官が何だあれは、と気をとられた瞬間に狙撃された。
 林泰男は元演歌歌手の段田という人物に似ている。
 国松長官を撃った銃は2種類あり、1つは早川と飯田班の銃、もう1つは林(と菊地直子?)の銃である。3発と4発発射されており、計7発命中している。

 長官狙撃後のオウム捜査

 菊地直子は、A前首相の娘である。
 A前首相は、警察でもないのに警察を指揮する公安にシンパが多い。
 A前首相は、元オウム信者の上佑の父でもある。

 A前首相は菊池直子の育ての父であるが、アメリカのペンタゴン元長官と同一人物で、彼の狙いは自分の息子を天皇にすることで、そのために警察を狙い息子の平田をHの宮であるといい捜査対象からはずさせた。

 国松狙撃後のオウム捜査での方針は、K新聞の記者のジャーナリストのE川S子の通報や情報が採用された。
E川S子は、オウム信者の大内早苗である。大内早苗は、飯田エリ子の娘である。国松長官狙撃事件の実行犯だったために、オウムの捜査に口を出してきた。


 国松狙撃前には赤軍派を摘発していた警察は、捜査を180℃転換させ、今度は元赤軍派のいいなり捜査と化した。
 E川(大内早苗)は、飯田エリ子と親子の関係で、オウム信者であるが、特に菊池直子をかばうと、A宮T子(菊地直子)がアナウンサーをしているTBSや、菊池の親のA前首相から、仕事や金がもらえた。
 A前首相が娘のために大金をはたくのは有名で、菊池直子をA宮ではなく、別人の名前を通報する(菊池直子を逃走させ、別人を菊池直子に仕立てる)と公安であると言っていたA前首相から金(懸賞金という名目だったが、実はA前首相から出た金)が振る舞われた。

 国松狙撃後に、オウム捜査で指揮を執っていたと同じ位の権限を持っていたのが、坂東で亀井氏である。
 彼も赤軍派でオウムと親しくしていたため、オウムはたやすく逃走できた、といえる。
 一般人から通報があっても、警察は特に逮捕することはなかったのだろう。しかし、オウム信者ではない者が通報された場合には、しつこく調べをしていた。

 K元首相は、赤軍派の奥平純三で、オウム逃走犯の高橋克也である。
 K元首相は、オウムの資金源で赤軍派の手配犯で、高橋克也である。 
 
 オウムの初動捜査に関わった赤軍派
・田中義三(国松長官)→捜査の指揮
・坂東国男(亀井金融相)→捜査の指揮
・E川S子(大内早苗)→初期の情報提供者→奥平純三でK元首相の妻,魚本公博の妻,麻原彰晃の妻
 
 このように、国松狙撃後のオウムの初動捜査には、赤軍派が重要な役割を果たしている。