宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ①-195    9.11同時テロ事件のつづき テロの真の首謀者とは?

 9.11のタリバンのテロの直前、知事になって間もない(2000年頃知事に就任)I知事が、金欠に悩んでいた。
 そこで、金がなくなると何かをすれば金になることを知っているI知事が、テロを企み、学生時代の親友でロックフェラーの親戚のI山E太郎氏に3億円の金を工面させ、その資金を使い、テロリストらに報酬を支払い、アメリカにテロが起こされた。

 1989~1990年頃にも、アメリカにテロが起き、その時、アメリカの象徴だった映画会社の放映権利が日本企業Sに買収された。
 その当時、映画権を買収した日本企業Sの重役とI知事は、ある本で共著し、ベストセラーとなっていた。
 その時は、日本に対してB政権が市場解放などの圧力をかけ、アメリカでは日本たたきブームが起きた。
 
 これは、テロに対する圧力であると思われるが、アメリカはその時も、I知事がテロの首謀者であることを見抜けずに、お門違いの人や日本そのものに対してのブーイングが起きていた。
 
 この時のテロの資金を出したのも、おそらくI山E太郎氏である。
 
 I知事とI山氏は、学生時代の親友ということにになっているが、実際には、I知事に逆らえないI山氏が、かつあげ同然に金をせびられていたような関係であると思われる。
 I山氏の周囲の人間が、I知事に殺害されていたとか、脅されていたとか、そういう関係が推測される。
 

 ところで、9.11のテロでは、I知事の以前からの知り合いであった、皇太子M子が、携帯電話によるテロリストらとの連絡役をしていたといわれる。
 M子は、I知事やサイフなどのテロリストらとは愛人関係にあったが、皇太子の妃を決める段階から彼らが口をはさんでいた。
 テロの決行日は、9月11日。M子の義理の妹にあたる、K子の誕生日で、東条英機が第二次大戦の敗戦後に、自殺を図った日である。
 この日を選んだことにより、敗戦で悔しい思いをした戦犯たちの生き残り(ロックフェラーと親戚にあたるS財団のS川会長がA級戦犯であるが当時すでに死亡していた)や天皇家などからも協力を得られたと思われる。

 当時のアメリカの大統領のB前大統領は、I知事を苦手な人物としており、それには、I知事の義理の父親であるシリアの大統領(指名手配犯)がその理由に関係しているが、理由はわかっていない。
  
 I知事の孫に、K元大統領がいて、彼が大統領時代にもテロへの圧力としてアフガニスタンが攻撃されている(1998年?)。
 
 I知事は、イラクフセイン元大統領とも仲が良くなく、まるでI山氏と同様の扱いであったことが推測される。
 I知事とフセインも学生時代かそれより前の年齢の時に、幼なじみであったが、フセインを一方的にいじめていたのがI知事であったという。
 
 I知事の出身地は兵庫県であるといわれているが、少年時代には、転居をし神奈川だったり、小樽だったりしていて、いつの時代の幼なじみかははっきりしていない。
 しかし、テロの首謀者でフセインであるとアメリカが決定した時に、即座にフセインの居所を通報し、懸賞金をもらっていたのはI知事である。
 
 しかし、テロがI知事の主導により起こされていたとしたら、フセインへの攻撃も、I知事の計画のうちだったことが推測される。
  
 B前大統領とフセインは、事故機が突っ込んだ世界貿易センタービルで、
何かの会社の経堂経営者として、ビルのテナントであったという。そして、
その階を狙い、旅客機を撃墜させたことも考えられる。

 ビルへの激突の仕方は、I知事のひ孫のTという女と男女関係を結んだ、ムハンマド・アタという青年が、機長を脅し、目的のビルに旅客機を突っ込ませ、自分は、機長のアドバイス通りに、機長の席の後ろに隠れていたため、一命を取りとめている。
 アメリカ人は、運の強い男だとして、テロであったかも知れなかったが、
見逃していたようだ。

 もし、フセインの借りていた階に旅客機が突っ込んだとしたら、フセインは、誰かの言う通りにしていたら被害に遭ってしまい、そのまま犯人だと勘違いされたちょっと可哀想な人、ということになる。
 しかし、裁判の時に反論したり、意義を申し立てていた話が伝わって来なかったため、犯人か首謀者ということにされている。

 しかし、アメリカでテロが起きると、イラクが攻撃される仕組みは、湾岸戦争の時と同じである。

 湾岸戦争は、1990年のテロを契機に起きていると思われるが、イラクとテロとの関連性がはっきりしていないし、明確に理由を言える者がアメリカ国内にもいないと思われる。もしも、テロの首謀者の通報であるとしたら、
フセイン犯人説は、ぬれぎぬということにもなる。
 湾岸戦争が起きる前、フセインイラクを通報した者がいたのだろうか。