宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件①205 9.11同時テロ事件 リーマンとタリバン 90年後半からの世の中は全て間違い

リーマンとタリバンの関係

 1998年のスーダン政府とのテロは、スーダンの公共事業の工事をオサマビン・ラディン師の会社が契約しているという話があり、その工事を円滑に行うにあたって、ケニヤとタンザニアアメリか大使館のテロを受けた。


 スーダンのA元首相とオサマビン・ラディン師の関係は、スーダン公共工事の発注者と受注者の関係ではないだろうか。

 どのような工事かは不明だが、タリバンのテロは、ただテロをするのではなく、裏に建設会社の利益があるようだ。タリバンのテロに経済が関わっているといわれているのはそのせいである。

 1994年に営業開始した関空の工事は、タリバンの会社の大成建設とK社が受けている。
 9.11のテロの時、関空に日本にいるタリバンがたくさん来てテロに関係がある、といわれているのは、そのことと関係があると思われる。
 国土交通省の役人は、この公共時事業でタリバンから多額の金を受けていると思われる。しかも、大成がタリバンであると知っていて、知らぬフリをしたと思われる。
 テロに国土交通省が関係かあるというのは、そのせいでもあると思われる。

 リーマンとは、オサマビン・ラディン師の建設会社に関係した企業の株を投資家にすすめたりしていて、投資家が株で儲けるために、タリバンイスラム教を支援するように仕向けているのではないだろうか。
 リーマンの被害者にあたる人々がいて、それは、冤罪をかけられ、テロ扱いされている人々がいる、ということである。
 それは、オサマビン・ラディン師や父親のR元長官のテロの犯罪が暴かれないようにするためである。
 それには、冤罪でテロのぬれぎぬを着せる必要があり、無関係な人やアメリカの施設にタリバンのテロについて通報した者たちも被害者となっていることが考えられる。
 アメリカに通報せずとも、はじめからアメリカ側がテロである、と言っていた人たちもいるが、そういう人もやはり自分は違うので通報するだろう。
 リーマンや彼らは、オサマビン・ラディン師やR元長官、他のメンバーたちが守られ、代わりにテロ無関係な人にぬれぎぬを着せ、妨害し使いまわすことも目的とした会社で、米軍の親族が多いのはそのためである。

 つまり、タリバンとは、米軍の二次部隊で、CIAと軍の混じったものと考えればわかりやすいだろうか。
 リーマンはその経済か株部門で、タリバンのテロリストを隠匿し、他人にぬれぎぬを着せ、テロを裏で支援することによりオサマビン・ラディン師の会社株や軍需株で金儲けをすることを目的としている。

 K元大統領の息子か兄弟もリーマンと関係がある。
 彼らの住む家の近隣には、リーマンの被害を受けている人々もいて、オウム信者のように、始終監視していると思われる。


 冤罪経済

 臓器移植法案は、リーマンの手口に賛同している法案であると思われる。
自民党の国会議員は、菊地直子を全員でかばい、他の人を菊池直子であると言い張り、冤罪を作り上げ、冤罪をかけられた人を妨害し、自分の得にしようとしている。
 リーマンの手口も似ていて、R元長官の息子のテロリストをかばい他の人をテロリストであると言い張り、冤罪を作り上げ、冤罪をかけられた人を妨害し、ドナーにし、自分の得にしようとした。

 これは勘違いであるとわかっていながらもまだ、すがりつこうとしている。
 冤罪は金になる、ということが証明されている。

 金のためには何をやってもいい、というのは、間違いであるし、まかり通ってはいけないのだ。自分の娘をかばうことを金もうけにしていたのは、M元首相である。M元首相の自宅に麻原彰晃が居候していたのは、菊地直子の正体をバラされないためである。M元首相は、周りの国会議員に、冤罪をかけにれている人に対し、自分の娘である、とわざとアピールしていた。これは、菊地直子が自分の娘であることを、他人になすりつけ、菊地直子に見せかけるための工作である。
 A首相も、菊地直子の冤罪をかけられた人を娘と呼んでいるが、菊地直子とA首相の息子が結婚しているからである。つまり、A首相にとって菊地直子は義理の娘で、しかも、ある特定の時期に同居していた関係である。そのためか、A首相の子などにはオウム信者が多い。
 

 1995年に菊地直子が指名手配され、天皇が無謀な冤罪の命令を指図してからの日本の全ては間違いである。これは、日本は冤罪経済だった。
 その現実から逃げるのは、卑怯である。
 その経済に乗って金儲けをしていた役人も多い。
 本物の菊地直子がわかった今でも、役人の中には冤罪をかけられた人を大嫌いだと主張する人もいる。それは、自分たちが間違いであったことに気づかなければ、永遠に恨んでいることだろう。