宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 59    すりかえられた親子の行く末

 H前総務相は、1998年7月頃、シベリアに拘留された人々を集め会合を開いた。H前総務相の祖父は、シベリアに拘留された人々を早く帰還するよう、働きかけていた。
 しかし、その会合に集まった一人の老人は、帰り道、何者かに突き飛ばされ、その二日後に死亡している。
 老人は、シベリア拘留されていた人達の会合だと思っていたし、仲間も数人いたらしい。
 老人を突き飛ばした人の意図は、こんな会に出やがって、という意味あいがあったらしい。
 その会は本当は何の会だったのか。

 あやふやな言葉で元兵隊を誘い、わざと怪しい解釈をさせ、突き飛ばしたようにもみえる。
 老人は、石井四郎ではなかったが、石井四郎に間違えられることもあった。その会とは、元戦犯の会だったのだろうか。
 戦犯の罪をまたなすりつけようとして、あやふやな言葉で誘い出し、突き飛ばしたし死に至らしめたのだろうか。
 
 この老人は、元兵隊だが、階級は上の方でないことがわかるのは、有力な政治家に嫌われ気味だったし、全員が無起訴となった元731部隊の戦犯などから罪をなすりつけられ、仲間はずれになっていた。
 石井四郎であったなら、昔の主従関係は兵隊仲間では持続しているはずである。
 戦犯を逃れたぐらいの地位にある人が、やすやすと引っかかる手口ではない。

 これは、H前総務相の罠であるといえないだろうか。

 H前総務相が、この老人が死ぬことにより得る利益は、
・家族を自由に使うことができるようになる。
・遺族に罪をなすりつけることができるようになる。
ということである。

 1998年頃、H前総務相で田宮高麿と思われる人物は何をしていたのだろうか。
 この老人は、1971年頃娘が生まれた。しかし、病院内ですりかえられた。
もし、H前総務相が田宮高麿であるなら、すりかえた本人か首謀者であるといえる。
 この老人は、あさま山荘事件にも関与しているなどと言われたりした。
 子供をすりかえられ、違う子供を娘として扱っていたが、あさま山荘事件が起きたのは、娘の誕生日と同じ頃である。
 すりかえられた娘で老人の娘ではない方のために行われた事件だろうと思われるが、娘の父親は演歌歌手Mである。
 演歌歌手Mの家にいた1971年頃生まれた娘が老人の子であり、老人の家にいた(老人とは孫の関係にあたる)娘が演歌歌手Mの娘である。
 
 H前総務相は、老人の死亡と同時に、娘か孫を殺すようを指示したとされる。用済みになったので殺せということらしい。
 娘か孫は、ガラスケースに入れられ、生きたまま海に沈められたという。
 その場所は、中央区の事務用品を販売する会社や大手飲料会社の近くで、高橋という橋に関係しているとされる。
 その前には、港区にあるフランス大使館に気を失った状態で運び込まれ、死んでいる人間を水に浸けておくと生きかえるか、などの実験にもされていた。
 フランス大使館には、広告代理店の大塚と呼ばれる男が入り込み、その実験を顔色も変えずにしていた、という。
 この事件は未遂に終わっている。
 この娘か孫は、演歌歌手Mの娘と病院内ですりかえられた。