宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-13    村下孝蔵死の謎のつづき 60  黒い霧疑惑 Hの宮の父

 本物のHの宮だが、20歳頃の1980年、グリコ・森永事件が起きた1984年頃に死亡した可能性がある。

 1966~69年頃、日本の政界は黒い霧疑惑で当時の佐藤首相が、選挙をし初日の国会で解散するという異例の事態になっている。
 この黒い霧疑惑は、政界だけでなく、野球界にもあった。

 政界の黒い霧疑惑は、国会議員の金に関する疑惑だが、それと平行して野球界でも選手が暴力団関係者の者が試合に出場し、八百長をしていた、という疑惑が持たれ逮捕され永久追放されている。

 当時、日本は、アメリカがベトナム戦争により日米安保条約を守ることを前提として、野球になぞられた政治を行っていた。
 その野球が、暴力団の手により支配され、八百長をする選手が続出し、政界もそれに比例して、疑惑事件が相次いだ。
 
  
 野球選手だった人物か友人、周囲にいた人物などが、本物のHの宮の父親であるとしたら、1960年後半に選手が追放された後、よど号事件の赤軍派の手により、Hの宮がすりかえられ、本物のHの宮が、南海電車沿線の岸和田だんじり祭りの地で死亡したかも知れないことになる。

 Hの宮の父は、西鉄の選手かも知れない。
 狙われたと報道されたのは他の選手かも知れないが、実は永久追放の影で死んでいる(殺された)野球選手もいたかも知れない。
 西鉄の選手の中に、この人がいるからまだマシだ、とか、この選手の頑張りがあるおかげでもっているなどいわれていた人物がいたという。しかし、
ある時から姿を消している。
 

 佐藤元首相は、暴力団の渡辺芳則に顔が似ていてる。
 だんじり祭りを行う岸和田市一帯には、Y健組という山口組系の暴力団員が住んでいるとされる。
 Y健組は、他の山口組系の暴力団をしのいで勢力が強く、渡辺元会長は、山口組の会長に就任する前は、Y健組の組長だった。

 ちょうど、佐藤政権の頃、渡辺会長は、Y健組の組長だった。

 佐藤内閣には、今のHの宮の祖父のT元首相が国務大臣をしていた。
 黒い霧解散で更迭されているが、更迭された後も、黒い霧は収まらなかった。

 T元首相は、石井四郎らと行動を共にした中国大陸で731部隊などに従事していた関東軍の一人の石原莞爾という宗教家に似ている。
 関東軍は、戦時中、中国大陸で今でいうテロ活動にも従事していた。
 
 もし、石原莞爾がT元首相で、黒い霧疑惑で危機的状況になっていたか、自分の野望のために、自分の孫と皇族のHの宮をすりかえようと計画していたとしたら、南海の選手に金を渡し、八百長をさせ、永久追放させたか殺害し、父親の死んだか永久追放された父の息子・皇族のHの宮を連れ出し、自分の孫とすりかえたことになる。

 
 Hの宮が生まれた頃、日米安保条約は締結されている。
 もしかすると、次期天皇候補の第一候補の皇族の長男の父親が野球選手と関係があったことと関係があるかも知れない。その人物が、アメリカ人系だったことも考えられるが、もし、そうだとすれば、本物のHの宮の父は、野球界を金で支配していた暴力団と、支配した政治家の佐藤内閣に抹殺されたことになる。
 このことにより、次の天皇候補のHの宮が窮地に立たされた。そこで、父親を殺害してしまったかも知れないT元首相の孫とすりかえられ、本物のHの宮本人は祭りで死亡させられた、ということも有り得る。
 
 西鉄の選手でアメリカに関係のある選手といえば、船田という静岡県出身の人物である。
 ライフルマンというアメリカのドラマに出演していたアメリカの俳優と顔が似ているということから、ライフルマンといわれた。
 G組の本拠地も静岡県で、静岡県富士宮市には、今のHの宮を支援する宗教団体が多い。
  
 山口組のG組という暴力団は、西鉄選手らに金を払っていた暴力団か、接触のあった暴力団かと思われる。
 
 選手は90年代前半に死んでいる。
 その年、村下氏のライバルだったシンガーソングライターHがヒット曲を出している。
 天皇は初の中国訪問をしている。
 アメリカへ渡った日本人が消息不明になっている事件もある。
 
 ちなみにだんじり祭りで有名な岸和田という地域は、南海電車岸和田駅蛸地蔵駅から歩いて30分ほどの場所で行われる。
 当時の佐藤首相はY健組の暴力団の会長と同一人物であった可能性も高く、G組は二次団体である。
 選手の死には、別の球団の選手が関係している可能性もある。
 黒い霧疑惑の時には、別の選手も殺されたという報道がされたが、実は生きていた。
 二人の選手は喧嘩になっていて、もう一方の選手が20年後にその仕返しをしたかも知れない。皇族になっていたHの宮は、もうじき結婚を予定していた時だった。

 仕返しをするのにも時期が問題だった。下手に死なせれば、Hの宮がニセであることがバレてしまう。そこで、結婚することによりうやむやにしようと、その時を選んだのだろう。