宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 50    1995年11月30日に死んだのは本物のHの宮


 1995年11月30日に田宮高麿が死んだというニュースが流れた。
 田宮高麿は、1999年頃から人事院総裁をしていたT氏という人物だった可能性も出てきている。
 
 もし、T氏が田宮高麿であるならば、1999年頃より、ニセのHの宮を天皇にしようとする勢力が行政を動かしていたことになる。

 赤坂御所近くの地下室で、田宮高麿であるといわれる人物が、演歌歌手らの暴行により死亡している。そのメンバーは、オウム信者早川紀代秀オウム信者の父親の渡辺芳則、森順子の母親のK柳、アメリカのB前大統領らであるといわれる。
 11月30日といえばAの宮の誕生日である。Aの宮の妻の誕生日は、9.11のテロと同じ、9月11日である。 
 これは、罪をなすりつけようとして日付を決定したものである可能性もある。
 
 田宮高麿は本当に死んだのだろうか。

 Hの宮の父母は、皇后とH前総務相であるという説がある。そのため、H氏は皇居のSPなどをすすんで引き受けている。しかし、1970年のよど号事件の時に、すりかえられた、という話もあり、どうやらそれがT派という自民党派閥の由来であると思われる。
 対する宏池会は、Aの宮派閥である。
 
 T派のドン、T元首相はロッキード事件で逮捕され、その後死去している。しかし、T派はそれで派閥を解消したりすることもなく、今でも自民党の最大派閥である。
 T元首相に気に入られていたO民主党党首は、妻が新潟県の出身者で、T元首相に可愛がられていた。

 ところで、1995年11月30日に死亡したのは、本物のHの宮であったとすると、演歌歌手Mらが自分たちが天皇を殺した、と言っていることと一致する。
 オウム捜査により田宮高麿らの赤軍派が疑われていたのをその殺人により帳消しにし、オウムが逃走するのにも充分な理由になったともいえる。
 
 もし本物のHの宮であるとすれば、当時35歳。田宮はその当時52歳。
見分けがつかない、といえばつかないだろう。
 
 地下室で殺されたHの宮は、ごめんなさい、とを泣きながら繰り返していたという。
 犯人らは、その時から皇居に勝手に出入りできるようになり、天皇もレイプをされたことがある、というのは有名な話になっている。
 
 郵政の民営化やタリバンのテロ事件というのは、本物のHの宮亡き後、ニセのHの宮の権力を強めるためのものだったとも考えられる。
 Hの宮は、自分の正体を暴かれるのをいやがっており、Hの宮の世話をさせられていた者を徹底的に排除し、日本から追放させるか殺すことばかりを警察などに指示しているとされる。
 1999年に田宮高麿と思しきT氏(映画監督Oで台湾の蒋介石)が人事院総裁になってから、ますますその傾向は強くなり、ニセのHの宮の妻の実の父親であるI知事が都知事に、演歌歌手Mは財務省などの予算を決定したり、
T氏と親戚関係があると思われるA首相は、外務大臣を歴任し首相にも就任している。
 T氏のことは、天皇も逆らうことが出来ない人事院総裁と紹介されることもあり、それが何の理由なのか国民の中で知る者はいなかった。
 しかし、天皇家の息子のHの宮を田宮高麿にすりかえて殺害していたとすれば、天皇が田宮高麿であるといわれても天皇が逆らわずに「そうです」、と言わねばならなかった理由なども解けてくる。

 ニュースを発表した北朝鮮は、金総書記の父親の金日成が、演歌歌手MとA首相(韓国の金詠三)に暗殺されているので、彼らがあれは田宮高麿だった、といえば、田宮高麿だと思うに違いない。それをニュースで発表しろよといえば、発表しただろう。
 
 Hの宮を支持していた者は、この世からだんだん姿を消し、ニセのHの宮や彼を支援する人たちのみの政治がそれから行われていた、としても、異論を唱える者もいないほど、意味のわからない政治や行政が展開されている。

 裁判所なども、スペイン人らの蹂躪行為(皇太子妃の母親がスペイン人)を受けているし、オウム信者などの取り扱いについては、逮捕するのはどうかと思う、と言っているも同然の指令になっている。
 
 警察には演歌歌手Mの信奉者が多い。防衛省も同じである。
 この理由を尋ねて、ちゃんとした答えの返って来る警察官も皆無である。
 
 
 本物のHの宮は、1970年にすりかわった後、新潟でしばらく過ごし、関西のだんじり祭りで有名な岸和田市に住み、阪神淡路大震災の後、皇居に呼ばれたとすれば、天皇だんじり祭りとの関係や、自分を田宮であると否定しない姿勢(息子が田宮高麿ということで殺されているので父親の天皇は、息子はそのせいで死んだのか、では自分が父親だろうと思っている)の説明がつく。
 岸和田市から皇居に呼び寄せたのは、お前は皇居に戻っていい、などと騙し、実は殺すつもりだったことが考えられる。