宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 76 皇族のすりかえは天皇継承をめぐる確執

 菊地直子昭和天皇の娘?

 オウムの逃走犯の菊地直子こと天皇家の娘の清子は、1970年のよど号事件の際に、平野真美と名乗り兄の一路(文仁?)とともに大阪に連れられ、その後、A前首相※に引き取られた。平成天皇の娘ではなく、昭和天皇の娘だった。そのため、昭和天皇とA前首相は仲が悪かった。昭和天皇が何かにつけ、A前首相のせいにしていたのは、関係者の間では有名な話である。
 しかし、年頃になりオウムの幹部と知り合い、政治に利用されるようにもなり、そのことが原因で昭和天皇崩御した。
 宮内庁病院では、この菊地直子をかばうために、多くの冤罪者を出し、菊地ではない者が菊地直子であると疑われた。
 菊地直子は1986年頃のN政権の時に政治に利用され、タレントで歌手のオウム幹部の魔の手から逃れようと、テレビ局T社に就職し、アナウンサーとなった。それが菊地直子こと、A宮T子元アナウンサーである。
 菊地直子は、高校生の時に、自分とすりかわったNの宮と出会い、ライバルとして何かにつけて張り合っていた。
 しかし、どうしても勝つことが出来ず、当時Nの宮が名乗っていた同じ名前の「直子」という名の女性を殺害した。その女性は、麻原をコーチに持つマラソン選手だった菊地直子という女性で、清子より年上だった。
 清子は当時、熊倉と名乗っていた。
 菊地直子を引き取ったA前首相は、清子を引き取る代わりに、母親を殺す、と言っていたという説があり、皇太子妃美智子は、清子が年頃になる前に死んでいた公算が大きい。
 ※A前首相は、大手スーパーJスコの経営者のO氏である。赤軍派の可能性もある。

 M智子皇太子妃の死とは?

 1983~4年にかけて、グリコ・森永事件が起きた。
 渡辺芳則らは、この時、明仁についていた企業などを脅迫し、明仁の弟とすりかわった義の宮と関係のあるMG製菓と共謀し、グリコ・森永事件を起こした。
 つまり、グリコ・森永事件といっても、MG製菓の方は、山口組とグルである。この時、事件は休止する脅迫状で脅迫事件は一旦収まったが、それと引換えに皇太子妃を殺害したといわれている(しかし、実際には助かっているのかも知れない)。
 天皇家のM智子皇后の子たちは、1960年代の安保闘争の頃にすりかえられていたり、すりかえる計画が浮上していた。
 グリコ・森永事件は、皇太子妃の暴行事件となった。
 山口組がグリコなど、明仁皇太子ゆかりの企業を脅した。

 美智子を暴行事件が起きた場所は、都内か府内の「亀」と名のつく公園のトイレであった(都内の江東区にある亀戸天神であるといわれている)。
 東条英機なども、処刑されずに逃され、天皇だけ戦犯にならずにずるい、と思っていたという話も伝えられていて、その東条英機が、N政権のN元首相であり、オウムに狙撃され、オウムのいいなりになっていた国松長官ではないかという疑いもある。
 その東条英機を連想させるN元首相が首相の座に就いたのは、グリコ事件が起き渡辺が山口組の会長に就任した少し後である。

 明仁と義の宮の確執

 天皇家の戦後のすりかえについては、第二次大戦のことが尾を引いている可能性が高く、台湾の誰が昭和天皇の息子をすりかえたかが焦点でもある。
 S学会のI田会長(渡辺芳則)の父親は、I知事に殺害されているかも知れず、I知事やI知事の父親が台湾出身者であるとしたら、明仁の弟は、彼らに連れ去られたとも考えられる。
 I田D作氏は、ロシアのスターリンと同一人物だが、Y組の渡辺会長とも同一人物で、I知事に親を殺されているか、巧妙に騙されているかして、I知事がY組の影の支配者でもある。
 渡辺とI知事の関係は、本当の皇族を殺している者とニセの皇族の関係で、もともと渡辺らは、父親をI知事に殺されていることがきっかけとなり、義の宮と共謀し、本当の皇族を殺害する計画を立てた。
 なぜなら、自分が天皇になりたかったからである。
 これが、明仁と義の宮の天皇継承をめぐる確執である。
 
 I知事の弟にI原Y次郎がいるが、I原Y次郎は、山口組G籐組の組長のI山E太郎に似ている。
 I山率いるG籐組が9.11のテロリストが構成員であり、I知事とは無関係ではない。
 I知事の下のピラミッドが、G籐組の可能性もある。
 I原S太郎もI原Y次郎も、I田D作に顔が似ている。