宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 82    麻原彰晃はHの宮と同一人物かも知れない

 経済人・I山E太郎の顔とHの宮の写真を見比べてみたところ、若さに違いはあるが、口元、鼻、眉毛、一重まぶたの目など、顔のパーツがそっくりである。本人であるといっても過言ではないほどである。
 親子の顔はそっくりではないが、同一人物の顔はそっくりのはずである。
 I山氏がもし、化粧品マニアだとすると、怪人20面相以上である(詳しくは、村下孝蔵の死の謎のつづき◆46を参照)。
 I山E太郎がHの宮だとすると、麻原彰晃は、Hの宮である。
そして、Hの宮と髪型しか違いのない村下孝蔵氏も同一人物であると思われる。

 麻原が目指した自分が天皇になるシャンバラ計画と、Hの宮の天皇即位はほぼ同義語というよりも、イコールである。
 Hの宮はM元首相にも似ているし(同一人物)、A元首相(“プリンス”メロン)も同一人物である。
 
 I山E太郎の年齢は、とっくに60歳を過ぎていて、本物のHの宮をどこかで殺害していたと思われる。
 もし、Hの宮殺害の首謀者もHTの宮だったとすれば、天皇継承のライバルの明仁の息子を殺害する動機もあるといえる(ロッキード疑惑事件は、O久保氏がT元首相に献金しろ、とA前首相に命令し30万円を支払ったのがきっかけである。A前首相が何の会社にあたるのかは不明だが、T元首相の秘書には、今のHの宮とうりふたつなI山E太郎氏の別人格のニセのH山K夫が秘書をしていた)。 
 しかし、殺害時期に関して、さらに有力な説がある。
 
 本物のHの宮の父親であると思われる本物の方のH山K夫は、1968年頃、途中で「息子」らしき少年と落ち会い、護国寺のラジオ体操に出掛けたまま、戻っていない。
この少年が本物のHの宮だとすると、この頃、父親と共に殺害された可能性が高い。
 HTの宮の息子の平田信が、1976年頃、女の子を物色しはじめていた。
 I山E太郎がHの宮となったのは、この頃であると思われる。本物のHの宮が生きていたとすると、16歳である。I山はその頃、28歳頃である(I山E太郎の年齢が公表されている年齢と合っているかどうかはわからない)。
 I山E太郎がH山K夫を殺したなら、一緒にいた本物のHの宮少年も殺しているはずである。
 I山E太郎がHの宮を殺していたので、I山がHの宮になりかわっている可能性は大きい。

 遺体の遺棄場所であると思われる江東区南砂駅近くの都所有の土地であるとも、文京区の護国寺近くであるともいわれていて、現場近くにスニーカーが落ちていたという。 

 自民党のT派閥とは、T元首相の息子がHの宮だったのではなく、参議院議員のT中N紀でT元首相の娘婿がHの宮だった。T中N紀参議院議員とI山E太郎は同一人物であると思われる。

 ところで、明仁天皇の一族は、何故殺害されたりすりかえられたりしたかだが、やはり、M皇后が赤軍派の樺美智子だったから、ということだろう。
 樺美智子が赤軍派だったので、アメリカと親しいHTの宮が明仁一族と対決することになった。アメリカが出てくると、警察もある程度目をつぶらなければならない。そこで、すりかえや殺人が上手くすすんだのだろうと思われる。それに目をつけたのが、山口組などの暴力団(G藤組→I山E太郎で田宮高麿)だった。HTの宮は西園寺という昭和天皇香淳皇后との結婚を反対したアメリカ系の人物の仲間でR元長官である。
 
 本物のHの宮→父親の本物のH山K夫と共に護国寺のラジオ体操の後、殺害された。今のHの宮は、本物のHの宮か父親を殺したI山E太郎。
 本物のAの宮→H野という赤軍派に連れられ大阪のだんじり祭りが行われる長柄神社へ行き、行方不明になる。今のAの宮は、明仁と別の女性との間に生まれた演歌歌手MかK村T哉(同一人物の可能性もある)。本物のAの宮は殺害されたか行方不明である。
 本物の清子→H野に連れられ、大阪の長柄神社へ行き、そこでA前首相に引き取られ、A前首相の娘(恋人)として育つ(後に殺害されていたことが判明する)。
 樺美智子→1984年頃殺害されたかも知れない。
 明仁天皇サウード家として(サウード家の人たちは明仁の息子が多い)、アメリカと折り合いながら対立している。
 
 Hの宮の妻のM子皇太子妃は、NHKのDという番組の無口な工作人・NッポさんでK元首相の娘(この人物に親を殺害されているのかも知れない)。
 Aの宮の妻は、渡辺元会長か金日成の娘だが、和歌山殺人で共謀者・K元首相でK嶋辰H氏の娘(Nッポさんと同一人物?)ということになっている。