宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 93 二人の王子は死んだ 皇后の子を狙う革命家

 二人の王子を殺したかったのは明仁

 明仁は、自分と皇后の間に子供が出来なかったことを恨み、二人の王子(Hの宮とAの宮)を殺害したかった。
 ライバルと思われたHTの宮はそのことを察したのか、明仁のために、二人の王子とその父親らの殺害を計画した。
 Hの宮の父は、H山K夫で、Aの宮の父親は、H元首相の父のH本龍Gである。
 H山K夫は、もともとH山家の兄と物理的にすりかえられていたH山Y紀夫がいて、H山K夫がラジオ体操に行った直後に殺害した。H山Y紀夫は弟がラジオ体操に行く姿を見送り、次のH山K夫を狙うI山E太郎に連絡を取り、どちらかが殺害を実行したのだろう。H山K夫には9~10歳ぐらいの小学生が一緒にいて、少年をY紀夫が、K夫をI山が殺害したと思われる。
 H本氏は、「俺は天皇のお父さん」という言葉を聞いた、K元首相とM元首相で、M元首相は、I山E太郎である。
 殺害したのは、I山E太郎である。
 和歌山県に住むH本氏の家族を、H本氏が留守中に殺害した。その際、娘は行方不明になった。その娘を、「あの時の娘です」とウソをついてAの宮の妻となっているのが、今のAの宮K子である。
 本物のAの宮も、死亡していると思われる。

 二人の王子やその父親や家族を殺害した首謀者は、HTの宮と同一人物のA前首相やグルの渡辺芳則である。
 渡辺芳則は、皇后の生んだ子を前々から目をつけては殺害している。明仁天皇とも見分けがつかないほどに妨害などをしていて、皇后の子を殺害し、明仁天皇にダメージを与え、ゆくゆくは天皇になろうとする計画を持っている。渡辺芳則は、赤軍派の坂東國男でもあり、K井S香でもある。
 警察を信用させる術があり、オウム捜査は、渡辺が指揮をしていたといっても過言ではないほどだ。

 H山家のH山Y紀夫は、生まれた後すでに、物理的にA前首相の孫か親戚の今のH山Y紀夫とすりかえられ、それを知ったH山の弟でK夫が、後に皇太子妃となる女性との間に子をもうけた。それがHの宮であったと思われる。
 しかし、K夫と息子のHの宮は、護国寺のラジオ体操会場で、H山Y紀夫(本名・I原伸T→I原S太郎の息子)とI山E太郎に殺害された。

 I山E太郎は、H山K夫とH本龍Gの家族を殺害している。
 H山Y紀夫でI原伸Tは、本物のH山Y紀夫と物理的にすりかわり、弟の息子であるHの宮少年を殺害していると思われる。

 Aの宮は、H本龍吾氏と皇后の息子であったが、1995年11月30日(Aの宮の誕生日)に、高橋克也(演歌歌手M)の息子に殺害されて、今のAの宮は、息子のJ事務所のK村T哉か高橋克也で演歌歌手Mである。
 高橋克也で演歌歌手Mは、東条英機の息子で三菱の御曹司である。K元首相は、、小学生の時に丁稚暴行に出され、その後養父となった人物が東条英機で、東条英機とは一緒に住んでいた。高橋克也もK元首相も、東条英機が父親である。
 
 明仁天皇とHTの宮(義の宮)の間には、天皇継承をめぐる確執があった。しかし、昭和天皇明仁のことを白痴だといったり、HTの宮であるA前首相を悪く言ったりしていて、どちらを支持していたかは不明だ。
 何にでもケチをつけたがる性格だったことも考えられる。 
 昭和天皇は、ドイツとサウジアラビアが味方していて、A前首相はドイツとサウジアラビアと親しい。しかし、明仁は、ドイツとはあまり関係がないらしい。このことから、昭和天皇と皇后の息子はHTの宮であるが、明仁天皇は、皇后と東条英機などの政治家の息子である可能性がある。
 いずれにしても、昭和天皇は、ドイツ人とサウジアラビア人の間の子で、しかも、本当の天皇家の子孫ではないかも知れず、関心事は、いかに日本国民に暴力で従わせるかである。 
 日本には、実は生きている昭和天皇明仁天皇、HTの宮など、天皇と呼ばれる人が三人もいて、しかも、誰をとっても日本のことはどうでもいい人たちである。
 テロがはびこるのも無理はないといえる。