宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 34-2    日航ジャンボ機墜落事故のつづき 米軍基地問題に政府が揺れた?

 田宮が旅客機内に入り、荷物を置いて再び外へ出たことも考えられるが、他の赤軍派のメンバーである可能性もある。あるいは、赤軍派がいいなりにしている人物の誰かか、赤軍派の指示通り、荷物を置いて出ていったことも考えられる。

 当時の国際情勢がアメリカに不利だったために(米軍基地移転問題)、日本赤軍でR元長官(赤木志郎か若林盛亮)が、当時の防衛庁長官だった坂東国男(K籐K一→K井S香と同一人物)と共謀し、田宮高麿(I山E太郎)が株主をしているJALの旅客機を墜落させたのだろうか。

 この事件には、R元長官の息子のI知事でオサマビン・ラディン師が関与している。
 オサマビン・ラディン師は、I知事と同一人物で、赤軍であると思われる(小西隆裕?)。I知事は横田基地に関して発言をしているのが印象に残る。
 しかも、米軍のR元長官の息子でもある。この人物は、横田基地に出入りできる権限を持っていると思われる。横田基地は、在日米軍の司令部がある。

 オサマビン・ラディン師が関与しているということは、ただの事故ではなく、建物に衝突したとか、飛行物に衝突または誘導されたか、爆発物を仕掛け脅した可能性がある。
 エンジンが回収されていないという説もあり、エンジン部分に秘密が隠されているかも知れない。

 123便の墜落する前、米軍機が飛んできて、墜落させろ、とか、墜落しなければ攻撃する、と脅された、という説もある(この場合の米軍機とは、在日米軍横田基地との交信か、管制塔らしき、英語の人物であると思われる)。
 そのため、機長は名古屋に着陸せず、羽田に進路を戻した。そして、その行動が、アメリカの米軍には気に障ったのだ。

 何故かというと、会社や社会が問題を抱えている時に事故が起きた場合、そういう機会である、と機長が思い立ったとしても不思議ではない。
 機長は、羽田に引き返し、横田基地と交信している際に、しつこいほどに頭を下げる操縦をしている。しかし、横田基地との交信がうまくいかなくなったであろう地点から、今度は頭を上げろと指示している。その後、それまでまあまあうまくいっていた飛行は、横田基地との交信を境におかしくなり、墜落するはめになっている。つまり、横田基地の態度により、事故の運命が決まってしまったのだろう。もっといえば、基地問題か米軍問題を抱えていた日本政府は、アメリカの要求を突っぱねたために、アメリカが旅客機事故を起こすことを計画し、それが123便にあたった。この123便の機種は、70年代に事故を起こし、ボーイング社が修理をしたものの、そのまま収納スペースやトイレ部分のドアが開きづらくなっていたという(この機体に乗ったパイロットは常に70年代に起きた事故のことが頭をかすめ、もし事故が起きたら羽田に戻ろうと思っていたフシがある感じがする)。

 機長は、墜落させなければ乗客を殺す、いう米軍の脅しに対し、何らかの措置を取りたかった。米軍も実は名古屋空港が近いことを知っていたので、名古屋に着陸すれば助かったかも知れない。しかし、言う通りにしなければ、と脅されていたし、収納スペースの件(パイロットはこの機体について、いつも70年代の事故のことが頭をかすめていただろう)や会社や政府が抱える問題について、米軍と話をしたかったために、羽田への帰還を望んだ。
 しかし、羽田に戻る(これまでの政府か会社の意見を突っぱねることを意味する)ことを告げた瞬間から、機長に対し、英語を話す管制塔は「日本語を話していい」と言ってきたので、機長はダメかも知れない、と思いつつも羽田までの道、横田基地に頭を下げ、交渉が決裂した後、今度は頭を上げ、そして、山に墜落した。

 ところで、当時の内閣はN内閣で、米軍基地問題などで何かもめていたのではないだろうか。
 横田基地にしてやられたことを事故が語っているような気もする。

 最近もめているのは、普天間基地である。

 N元首相は、沖縄の基地問題のことで、昭和40年代の国会で国務大臣として回答を求められている。
 沖縄の基地問題に関してN元首相は詳しい可能性もある。

 しかしながら、1985年の8月に、沖縄の米軍基地に関して、何の問題があったのかは不明である。



 生存者の中にある女性がいた。この女性の父親か親戚は当時の防衛庁長官のK井氏(実際にはK籐K一だが、K井S香と同一人物)で、K井氏は、赤軍の坂東國男である可能性が高い(顔がよく似ている)。実の父親は、赤軍の魚本公博の兄弟である。この女性が事故の鍵を握るのではないだろうか。