スイスは、永世中立国だが、これは、マリー・アントワネットのハプスブルグ家に関係があると思われる(ハプスブルグ家はスイス発祥の貴族)。
マリー・アントワネットは、ナポレオンの妻となったマリー・ルイ-ズと同一人物であると思われるが(姉妹である可能性もあるが)、ナポレオンの皇帝としての戦いとは、マリー・アントワネットを巡る関係国との戦いであった可能性がある。
マリー・アントワネットが処刑されたものとして、ナポレオンは、マリー・アントワネットの関係国との戦いをしていたが、マリー・アントワネットは妻だったので、ナポレオンはいいが、マリー・アントワネットには厳しいものだったと思われる。この戦いにより、ナポレオンは、妻のマリー・アントワネットの関係国をモノにしていた可能性があり、ハプスブルグ家をいいなりにしていたことが考えられる。しかし、ナポレオンは、妻と別れるとハプスブルグ家にやられてしまうか、ほとんどのものを失ってしまうので、愛妻家のフリをし、妻のご機嫌をとっていたのだと思われる。妻はそれをナポレオンの愛だと勘違いしていた。ナポレオンには、妻を愛するフリをして実家を支配するという計算があったのだ。
ナポレオンの後に、マリー・アントワネットが嫁いだルイ王朝が王制復古でフランス国王に返り咲いている。この時の国王は、マリー・アントワネットの息子である(ルイ18世)。
フランス革命とはフランスにしてみれば、あってないようなものだったか、ほとんどうやむやになっているも同然なものであると思われる。
ナポレオンとは
ナポレオンの素性は、フランスの王妃時代のマリー・アントワネットの愛人だったスウェーデン人のフェルゼン伯爵だという説がある。
フェルゼンは、愛人のマリー・アントワネットが処刑された後、独裁者になったらしい。
この独裁者がナポレオンである可能性がある。
フェルゼン伯爵が、ハプスブルグ家かロスチャイルド家かあるいはどちらでもないかはわからない。
どちらでもない場合、ナポレオンとは、マリー・アントワネットを巡ってハプスブルグ家(母方)とロスチャイルド家(父方)をいいなりにしている者であると思われる。
スウェーデンの貴族に、フェルデン公と呼ばれたカール12世というスウェーデン王がいる。この人物は、ロシアのピョートル大帝(エカテリーナの夫)の好敵手として知られ、ナポレオン・ボナパルドの先駆者と評された人物である。日本では「北方の流星王」として知られているらしい。
カール12世は、熊殺しの異名があるが、菊地直子は学生時代(といっても285歳頃)、熊倉と名乗っていた。
この人物は、元オウムの上佑であると思われる(推定年齢320歳以上)。
カール12世は、バルト三国との戦いでも知られている。バルト三国の中の一国が世界の自殺率ワースト10の1位である。