宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-55 仮谷さん拉致事件のつづき オウムの無差別な通報は魔女狩りと酷似している

 中世ヨーロッパで流行った魔女狩り

 15~18世紀頃まで、ヨーロッパなどで魔女狩りが流行った。当時のイタリアのローマカトリックが、異端児の審問をしたのが始まりであるとされる。
 キリスト教でない者(?)が次々と魔女として、住民から通報され、拷問にかけられたり水責めにされて処刑された。
 この密告は、住民などの世間の噂や妬みウソによるものがほとんどで、罪のない人々が魔女として捕まり処刑されたという。
 魔女といっても、女だけではなく、男も密告の対象となり、化学者、物理学者、薬学・医学者などが処刑された。
 15~18世紀といえば、神聖ローマ帝国マリー・アントワネット、ナポレオンの時代も含まれる。
 特に、神聖ローマ帝国は、今のイタリアでローマカトリックの発祥の地である。当時の神聖ローマ帝国の王は、高橋克也(K元首相)でフランツ1世の時代も含まれる。
 オウムの通報が流行ったのは、1996年頃からであるが、オウム信者が中世のヨーロッパ人だったことを考えると、現在の世の中で起きている無実な人へのオウムの通報も、処刑の方法こそ違うが、魔女狩りにあたるのではないかと思われる。
 魔女狩りが流行っていた中世ヨーロッパの時代、天候の不順(日本の猛暑と酷似)、人間や家畜の病気(口蹄疫と酷似)、農作物の不順などが、魔女のせいであるとして、住民による無実者への密告が相次いだという。
 その中には、動物にも魂がある、と信じた者が異端児扱いされ、これも魔女狩りの対象とされた。
 魔女のイメージは、「子供を捕らえて食う、カギ鼻の女(菊地直子の特徴に似ている)」であったという。
 この魔女狩りが始まったのは、イタリアのローマカトリック教会からであるが、現代の世の中においても、類似する傾向が多くみられ、オウム信者などが中世ヨーロッパと無関係ではないことを示すひとつの手がかりともなる。

 神聖ローマ帝国の王は、熱心なカトリックの信者であり、最初の命令は、この人物で、ローマ法王庁の最高権力者と同一人物である可能性がある。
 自分の支配に従わない者(それを非キリスト教と呼んだ)を、密告させ、
逮捕し処刑し、自分の体制を作ろうとしたのが目的であろう。

 現代の自民党のK政権(民営化の邪魔になる者を排除し、殺害する)の時ともよく似ている。
 
 現代で考えれば、魔女狩りを指揮していたのは、アーレフひかりの輪の上佑(ナポレオンと同一人物)と、パナウェーブである。
 上佑は、オウムの逃走犯は無罪である、本当の逃走犯は別にいる、として、警視庁の指名手配の名前や特徴、写真を無視した主張をしている。これは、主張だけでなく、実際にオウム信者らが警察官を殺害し、制服を取り上げオウム信者が「警察官」を名乗り、オウム信者でない人へのストーカー(捜査の意味であるらしい)や不法侵入(家宅捜索の意味であるらしい)をし、外国で偽造口座を作り、オウムの逃走犯に持たせ、オウム逃走犯に見えるようにしていた。そして、それらの人々をかばいだてする官僚や警察官、一般人などを殺害し、溶解炉を使って灰にし殺害の痕跡を消し、河川などに捨てていた。

 オウムとひかりの輪、パナウェーブの関係

・オウム逃走犯をかばいだてすると他の幹部や信者も助かる(オウムの信条)
・オウムの逃走犯は警視庁の発表している者とは別人であると主張(アーレフひかりの輪
・無実な人々を通報したり、殺害したり、かばう人を殺害(オウム、アーレフひかりの輪、パナウェーブ)
・殺害した人が発見されないように溶解炉で焼却し、灰を河川などに捨てる(パナウェーブ)
である。

 三段階の組織に別れ、魔女狩りとも思える行為を行っていた。しかし、これには、警察の中に、オウムシンパがいるはずであり、オウムシンパが警察署内に増えた理由として、警察官本人や警察庁の幹部、警視総監などの殺害、警察官の家族を殺害する、などの行為が行われていた。このことにより、警察内ではオウムが怖いという恐怖感が強くなり、本物の逃走犯を発見しても逮捕しに行けない、行った者が殺される、などの噂や事実が警察官を襲うようになった。
 さらに、政治の中でもオウム信者が頭角を表すようになり、ついには首相にもなった(高橋克也麻原彰晃、上佑史裕など)。