宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-53    仮谷さん拉致事件のつづき 光明皇后,エカテリーナ

 殺人の人選は菊地直子マリー・アントワネット

 この殺人の人選をしているのは、菊地直子で皇太子妃M子であると思われる。皇太子妃M子は、外務省の元官僚である(実際は、外務省の元官僚だったO和田M子や家族を高橋克也と共に殺害している)。官僚情報を手に入れ、リストを作っているのではないだろうか。菊地直子は、ロシアのプーチン大統領の妻でもあると思われる。
 プーチン大統領(村井秀夫)は、ロシアの軍需企業(戦闘機)の経営者であり、この会社はインドの軍閥と同じである(蒋介石と同一人物でヒトラーとも同一人物→ロスチャイルド)。
 菊地直子マリー・アントワネットであるというのは、全くのウソではない。

 マリー・アントワネットは、オーストリアから嫁いできた時は、義理父のルイ14世の愛人に苛められていたが、14世が死んで即位した後、夫の16世をいいなりにして(実際は恐怖でビビッていた?)、自分の天下を作った。その裏には、このような官僚の大量殺人があったのではないだろうか。
 しかし、フランス革命前までのマリー・アントワネットの悪行は、たいして知られていないので、わからないだけなのだろう。

 菊地直子大正天皇の妃でロシアの女帝だったことがある
 
 菊地直子の素性について、新たなことがわかった。
 菊地は、大正天皇の妃だった光明皇后と同一人物である。大正天皇は、お寺を拠り所にして政治を展開していた。皇后が法華寺と関係があり、日蓮宗を信仰していた。
 そして、ロシアでは、エカテリーナという女帝だったという。

 日本とロシアの共通点は、これである。
 大正時代は、15年で終わっているが、大正時代とはどのような時代だったかは、大正デモクラシーが起きていたことぐらいしか知られていない。マリー・アントワネットの時代のように、陰の部分は隠されているのだろうか。
 
 イギリスとイタリアの対立

 マリー・アントワネットの父親は、神聖ローマ帝国のフランツ1世である。フランツ1世とハプスブルグ家のオーストリア大公との間にマリー・アントワネットが生まれた。
 フランツ1世は神聖ローマ帝国というからにはイタリア人であり、イタリアの財閥(貴族)だったのだろう。
 実は、イタリアはイギリスと長い間戦争をしており、何かにつけて対立していた歴史がある。キリスト教の宗派も、プロテスタントカトリックに分けられていて、宗教の対立もある。第二次世界大戦でイタリアが敗戦国となり、今でこそ息をひそめたが、その昔は熾烈な争いをしていた。
 イタリア(ロスチャイルド)は、イギリスに勝つために、イギリスの植民地だったインドを思い通りにしようと、イランに赴き、ゾロアスター教を広めたと思われる。ゾロアスター教が発祥したのは、インドとイランの国境付近であるという。
 そこで、インドに度々出入りするようになり、ついにインドの軍閥となり、台湾を建国し、中国共産党を手中に収めた(蒋介石)。そして、ロシアと中国のいがみあいに目をつけロシアの戦闘機製造企業の軍閥になった。台湾はアメリカのCIAがさかんで、ロシアのことでアメリカとも親しい。
 フランスは、イギリスとあまり仲が良くなく、フランスはイタリアとグルである可能性もある。
 キリスト教ではプロテスタントカトリックの対立があるが、キリスト教はどちらの宗派が人数が多いかで、イギリスとイタリアの勢力がわかるかも知れない。
 ハプスブルグ家は、スイスで発祥した貴族だが、スイスの国王一族かも知れない。