宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-449    仮谷さん拉致事件のつづき 熱田区の信者の母親

 仮谷さんは名古屋市熱田区の信者の母親のことか

 仮谷拉致事件で、仮谷氏に見立てられた人物とは、大内早苗が拉致したといわれる名古屋市熱田区オウム信者の母親のことである可能性がある。
 熱田区の信者の母親拉致事件は、1995年3月22日のオウム施設の一斉家宅捜査の前日の1995年3月21日に大内早苗が拉致を決行し、上九一色村の第10サティアンに監禁し、無断で保険を解約し、一斉家宅捜査(3月22日)の翌日に大内早苗は、郵便貯金口座から1000万円を引き出していたという(この金は成功報酬であったと言われている。)。
 1995年3月21日といえば、仮谷氏に見立てられたO和田M子が死亡したであろう日と一致している。
 1995年3月20日地下鉄サリン事件が起こり、翌日の未明にM子が死亡したと考えられ、オウム一斉家宅捜索は、この事件と関係があるのではないかとも思われる。
 大きな家宅捜索にならないように大内早苗が先手を打ち、M子を拉致殺害したのではないかという疑問も出てくる。
 大内早苗は、Aの宮紀子と同一人物で、O和田M子を殺害する動機があるといえばある。Aの宮は麻原彰晃と同一人物なので、天皇に即位すればオウムのユートピアが成立する。
 また、ライバルのHの宮は仮谷拉致事件の本物の仮谷清志であり、妻のM子は、Hの宮の実の父親である可能性がある。
 というのも、Hの宮は、1999年に死亡したシンガーソングライターM下孝蔵と同一人物だが、1995年頃、M下孝蔵のお父さんが死亡した、と噂が流れ、また、その年に発表したアルバムがその後発売中止となっている。
 仮谷清志に見立てられて死亡した人物というのは、仮谷清志の実の父親で妻のO和田M子の本物(歌手の河合奈保子)であり、また、この人物が死亡した日が、大内早苗が拉致した信者の母親の拉致日とピッタリ一致し、また、大内にはその事件を起こす動機もある。
 また、O和田M子の友人が、都内の中国大使館に呼ばれて銃殺された事件があり、この時、銃殺犯人は「我々は川嶋紀子である」という言葉を言い、突然発砲した、という情報がある。

 大内早苗は、この後、働いていた会社で特別待遇を受けることとなり、オウム逃走犯三人が指名手配された後、「絶対に捕まりたくない(菊池直子の手配のこと)」と上司でアレフの幹部で松本知子(後に上祐と同一人物者であることが判明)に相談している。

 O和田M子は青森県で死んだ?

 O和田M子の殺害時期について、2003年8月まで生きていた、という説があり、1995年~2003年までは、青森県などで働きながら、病院に通っていたというような状況だったのかも知れない。
 しかし、イラク戦争で、フセイン大統領が逮捕されそうになった時、フセインがO和田M子を殺す代わりに自分が助かろうとして、O和田M子を、逃げていた青森県風の松原の管理事務所が管理するトイレ内で銃殺し、八甲田山のトイレに埋めたのではないかと考えられる。
 風の松原の所有者は中国人で、大使館のように使っているというが、ここでも中国が登場する。
 
 皇太子妃殺害ばかりしている女?

 オウム真理教の時はHの宮皇太子の妻が殺害されたと考えられるが、この前の明仁皇太子の時にはどうだったのだろう。
 明仁皇太子成婚の時には、赤軍派が台頭していたが、やはりそれと同時かその直前に明仁皇太子と正田美智子の成婚があった。
 O和田M子(当時は皇太子妃)を殺害したのはライバルのAの宮紀子で大内早苗(斉藤明美)であると思われるが、この人物は、赤軍派の森順子と同一人物である(顔がよく似ている)。
 気になるのは、皇太子妃美智子を殺害したかどうかだ。
 赤軍派の時に、皇太子妃美智子と同じ名前の樺美智子という赤軍派のメンバーが国会の前で死亡しているが、この樺と皇太子妃美智子の顔はほとんど見分けがつかない(国会議事堂には女の霊が出るという噂がある)。
 皇太子妃美智子を赤軍派に見立てて殺害し、本物のテロリストの樺美智子の手下が美智子皇太子妃になりすましたのかどうかだ。
 もし死亡しているとすれば、ライバルのH陸の宮華子というHの宮の妻があやしい、ということになる。
 現在天皇をしている人物は、H陸の宮と同一人物だというが、(1959年~1960年代)成婚直後にすでに皇太子妃の方は死亡していて、その後明仁も殺したのではないかという疑問が出てくる。
 森順子は、明仁皇太子のお妃候補に敗れたE頭Y美子とも同一人物だ。