宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 38-75    八王子大和田スーパー殺人事件のつづき

 義肢協会
 
 常陸宮は、義肢協会という協会の会長をしている。
 8割の住民が行方不明になった地域には、昔、義肢会館という建物があった。
 犯人らは、この建物を手がかりにして、近隣住民を殺害し、土地を奪っていたことが考えられる。
 しかし、義肢会館は、普通の住民が出入りするところではなく、住宅地の一角に小さく建っている一階建ての建物である。
 行方不明になった住民らが皆義肢会館とつながりがあったというわけでもなく、ほとんど近隣という以外には接点はなかった。
 義肢協会の正式名称は、日本肢体不自由児協会である。常陸宮は、この協会の総裁をしていた。
 義肢会館と呼ばれていた建物の隣には、古い電柱があった。この電柱は、1990年代半ば頃から、たくさんの電線が目茶目茶に取り付けられたようになり、「何か変だね」と住民から言われていた。さらに、「これが盗聴の犯人だ」、と思う住民もいたようだ。

 1996年頃、義肢会館の近くにMとUという夫婦らしき人物らが引っ越してきた。
 犯人は、常陸宮を殺害した後、義肢会館の近くに引っ越して、近隣住民を殺害して土地などを奪っていたMらである可能性がある。

 気になる遺体の遺棄場所

 被害者の遺体の一部は、トイレに埋まっている可能性がある。
 犯人らは、トイレの下に工事の時に遺体を埋めてコンクリートで覆い、発見されないようにしているかも知れない。

 すぐに思いつくのは、渋谷の常陸宮の自宅のトイレだが、犯人は複数いるので、常陸宮(秋谷)殺害のきっかけとなった掬賃膾遒凌濃町の自宅のトイレなどである可能性もある。
 掬弔凌濃町の自宅は、犯人と思われる夫婦のように、別の苗字が表札に書かれている。
 掬賃膾遏米鸞緻椶埜什澆劉掬賃膾遒蓮↓妓郷蟻析困乃特喞昌劼汎碓貎擁)の妻は、中村泰と同一人物である。

 蛍光灯を使用しているのか

 トイレは、蛍光灯式の電気をしている可能性がある。
 電気をつけると、取調室のように蛍光灯の光が被害者の頭を照射するイメージだろう。
 蛍光灯といっても、細長いタイプのものではなく、電球のように丸いものも蛍光灯と呼ぶタイプのものがある。
 事件直後、掬弔枠鏗下圓隆愀玄圓任△襪隼廚す?鵑任い訖佑燭舛紡个靴董峅燭盥佑┐討呂い韻覆ぁ廚般仁瓩靴討い拭
 それは、被害者の遺体の一部が、掬賃膾遒硫箸離肇ぅ譴涼罎砲△襪らで、トイレはその時から思惑をする場所ではなく、何も考えてはいけない場所になってしまったのだ。

 M広告調査

 被害者の常陸宮は、1995年頃、御茶ノ水にあるM広告調査会社という会社で近藤今朝男という名前で部長をしていた。
 M広告調査は、それまで神保町に会社があったが、1995年7月頃に御茶ノ水に引越し、それと同時に人事異動があり、秋元という名前の菊池直子の上司に、大島という名前の松本知子が上司として同じ部署になった。
 大島は、秋元にやる気を起こさせる、という名目で、近藤今朝男を殺害しようと計画し、その計画に会社の社員が乗り、会社ぐるみで近藤の殺害を計画していたという。
 
 M広告調査は、会社ぐるみで部長の近藤を嫌っていたというので、大島(松本知子、掬賃膾遒虜福⊂泉純一郎の前妻)が近藤が嫌われるようにわざとあることないこと吹聴し嫌われるように仕向けていたことが考えられる。
 そのようにして、殺人を会社ぐるみにし、正当化しようとしたのだ。
 もともと、常陸宮(近藤)とオウム(松本知子ら)が、自宅が正面にあることで喧嘩していたというよりも、喧嘩にいたる経緯があるはずで、その経緯がM広告会社の部長と社員の間の対立だったのではないだろうか。
 常陸宮は、鈴木という社員と対立していたというが、鈴木も松本知子で大島(中村泰)と同一人物である。
 鈴木は、好妊リサーチという会社から出向してきた社員であるという名目だったので、厳密に言えばM広告調査の社員ではなかったようだ。
 好妊リサーチ社といえば、テレビ番組の視聴率を計る会社だが、テレビ局は視聴率を怖がっており、常陸宮の殺害とテレビ局との関係でテレビ局がそれを黙っているように言われていたというようなこともありそうだ。そのようにして視聴率に加減を加えていたのかも知れない。