宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-67    村下孝蔵の死の謎のつづき

 村下孝蔵は93年に死んでいた

 

 村下孝蔵は1993年に死んでいたことがわかった。

 事件名は、青森県八戸市女子中学生殺人事件という。

 この事件が起きる前日に、村下孝蔵の一家が住んでいた文京区大塚の家みら近くにある豊島区の大塚公園で、村下孝蔵がお笑いタレントコンビとそのグル歩武集団に襲われ、いったん病院に運ばれたが、自力で自宅に戻った後、倒れ、家族に宅配便で青森の別宅に送られていたのだ。

 青森の別宅では、村下孝蔵が扮していた女子中学生に扮していた者と首謀者が、自作自演の事件を起こし動かない遺体に争った傷を付ける等してその時に殺害された風を装い、警察に通報した。警察の実況見分をしている時に、遺族を名乗る者が現れ遺体を引き取りたいと言い、遺体を持って行き、そのまま首を切断され胴体にコンクリートを流しドラム缶に詰めて弘前市に遺棄したと思われる。

 首部分はどうなったのかわからない。

 昔、江戸時代に敵の武士の首を切った後、どこか一か所に埋められたというようなことがあったらしいが、そういう場所に埋められた可能性もある。

 それが、大手町の平将門(村下孝蔵の親?)の首塚の辺りかも知れないのは、大手町、丸の内付近は最近、大々的に再開発されているからだ。あるいは、品川の再開発地区である可能性もある(М井不動産の建てたビルの地下等)。

 村下孝蔵が殺害された後、関係者や娘や息子等も殺害され、同じように首を切断されて青森県に遺棄されていると考えられる。

 村下孝蔵は、浩の宮、エリザベス女王と同一人物で、政変が起こったと考えられる。

 村下孝蔵が死んだ時、1989年に演歌歌手Мを殺害していたK村という女(村下孝蔵のレコードのジャケットの切り絵のモデル)が、米軍三沢基地に「演歌歌手Мを殺した、シビリアンコントロールを止めてくれ」と頼んでいる。しかし、その時死んだのは、演歌歌手Мではなく、村下孝蔵の方であり、これは、村下孝蔵浩宮エリザベス女王であることを知っていたので、それを隠すためのウソだったことが考えられる。

 村下孝蔵は、イラクフセイン大統領と同一人物か関係者だった可能性があり、この頃からタリバンの首謀者と変えられていたと思われる。

 9.11の首謀者は、通報により演歌歌手Мということになっているが、その演歌歌手Мはすでに1989年に死んでいて首謀者になりうるはずもない。また、ビンラディンは小林という人物ということになっているが、これが村下孝蔵と同一人物で、村下孝蔵は93年に死んでいるので、ビンラディン師ではないし、フセインが9.11の首謀者ということもないだろう。このようにして、すでに死んでいる人を犯人に仕立てて、真犯人はパワーを増幅させていたのだ。

 

 村下孝蔵は二人いた

 

 村下孝蔵が死んだ時、報道されなかった理由として、村下孝蔵が二人いたからだったことが考えられる。

 村下孝蔵は、初期は別人が扮していて、93年に死んだ人物の死後は、初期の人物が再び村下孝蔵として活動を再開していた。

 この二人の関係は親子であり、曲を出しても売れなかった親が曲を作ってレコードを出してみたらヒットし、これが「初恋」という曲だったという。

 それ以後、親が村下孝蔵として活動するようになり、人気を得ていた。

 テレビにも出演するようになっていたが、それを面白くない、生意気だと思う人物がいて、この人物が村下孝蔵を殺すよう命令した首謀者(蘇我氏)だった。この首謀者には、お笑いタレントグループの部下(源氏?)がいて、首謀者はそのグループに村下孝蔵の殺害を頼んだ。

 

 93年に死んだ村下孝蔵が中期の村下孝蔵だとすると、初期と後期はその息子ということになるが、その家族が大塚に住んでいた。

 初期と中期の村下孝蔵は、Aの宮と同一人物である。しかし、この初期と後期の村下孝蔵も2015年に殺害されたと思われる。

  中期の人物の死後、曲調が変わったとして、ファンも離れて行った時期がある。初期と後期の村下孝蔵は、結婚(再婚)した、と言われたのもこの頃だ。

 青年実業家になった、と噂が立ったこともあったが、人が変わった為に色々な変化が起きたのだろう。

 

 麻原彰晃とH田省吾

 

 村下孝蔵の死に関係しているというH田省吾は、麻原彰晃と同一人物である。

 村下孝蔵は、浩の宮でエリザベス女王だったので資産家には違いなく、仮谷拉致事件の仮谷清志であったと思われる。

 仮谷さんを拉致して殺害したのは、麻原彰晃なので、それでH田省吾が関係していると言われたのだ。

 村下孝蔵の死の直後に、H田省吾のファンを名乗るオウム信者が、村下孝蔵のファンの前に現れたが、このH田ファンの人物が麻原彰晃でH田省吾と同一人物だったと思われる。

 

 初期、後期の村下孝蔵は、中期の村下孝蔵を殺した人物と結婚

 

 初期と後期の村下孝蔵は、中期の村下孝蔵を嫌っていた。自分が元々の村下孝蔵

なのに、勝手に曲を作って売れていたからだ。

 後期の人物が結婚した相手は、中期の人物を殺害した首謀者と同一人物である。

 中期の人物を初期と後期の人物が嫌っていたので結婚したのか、あるいは、首謀者が近づいてきたのかはわからない。しかし、同じ人物をしている人物を殺害したのだから、平穏無事であるはずもない。

 このため、後期の村下孝蔵も、ギターに毒ガスをかけられる等しておかしくなっていったのだろう。

  

 村下孝蔵を殺害したリーダー格の人物はコーラスをしていた人物

 

 中期の村下孝蔵を殺害したリーダー格の人物Мは、H田省吾が以前活動していたグループAのメンバーで、村下孝蔵の曲のコーラスをしていたCという人物と同一人物である。