菊池直子ではない
村下孝蔵は菊池直子でなかったことがわかった。
菊池直子は、村下孝蔵のコーラスをしていたCと同一人物である。さらに、このCが、菊池直子でH田省吾と同一人物であることもわかった。そして、H田省吾がN渕剛と同一人物であることもわかった。
村下孝蔵とCは、実は、声も似ているが、顔の特徴も似ていて、間違えられることもあったようだ。
さらに、「構造改革」のK泉政権のK泉の秘書も、H田省吾と同一人物者である。
調味料のCMのBGMに使用された曲を利用して、「美しい日本」といった戦略を展開している首相の秘書も、H田省吾である。
「村下孝蔵を殺したのH田省吾」などと死の直後から言われていたが、あながちウソでもないのかも知れない。
N渕剛は、曲やタイトルに、アフガニスタンやブッシュという固有名詞や人物名が出てくるが、村下孝蔵よりも、どちらかというとN渕の方がアメリカからマークされそうだが、村下孝蔵は、ラムズフェルドからマークされ、朝起きると心の中で「おはようございます」とラムズフェルドにあいさつをしていたらしいのだ(させられていた)。
最終的には、「H田省吾でN渕剛によって殺害された」として、この力関係から、アメリカを挑発するようなことを言っていたのは、N渕剛ではなく、村下孝蔵である、とアメリカがみなしていた、それも、ビン・ラディン師とグルになって、という可能性が出てくるのだ。
村下孝蔵が疑われるきっかけとなっているのが、「釦(ボタン)」という曲だが、これは、湾岸戦争のイラクを舞台にした曲だが、アメリカやビン・ラディン師は、イラクを攻撃することを考えていたので、怪しいH田省吾に村下孝蔵を殺させて、「あやしいのは村下孝蔵」という風に見せかけ、テロの犯人はイラクでフセインと同一人物の村下孝蔵と見せかけたかったのではないだろうか。
村下孝蔵は、Hの宮と同一人物だが、村下孝蔵の死により、「ネコ」や「子供」がイビリのターゲットにされたが、こういう状況をすすめることも、敵対する人物らの利益になるし、敵対する人物というのが、H田省吾ことAの宮の妻の紀子だったり、アメリカ・タリバンであるブッシュ(ビン・ラディン師とはCIA長官で大統領)だったことになる)。
村下孝蔵が死んだのは、1999年だったが、9.11のテロが起きたのは2001年。2年間の間に、「釦」を発表した村下孝蔵を犯人にするための戦争をアメリカやタリバンが考えていたとしたら、H田省吾が何故出てくるのか、とか、悪事に何の関係もない「ネコ」子供」が犠牲になるのか、など、思い当たることも出てきそうだ。
とはいっても、村下孝蔵が、ブッシュからマークされる原因としては、アラブ人国家の大統領であったこと、日本の共産党の党首であること、社会党の党首で首相だったことがあること、ロシアの大統領であることなど、左派系の人たちのリーダー的役割を果たしていたということは否めない。
しかし、古い時代から一緒に生きてきた仲間と行動を共にするのが常なので、村下孝蔵と同一人物者が国のトップをする国を、過激派と関係があることにして攻撃する計画だ。つまり、村下孝蔵のせいで、世界の左派系を攻撃するのが目的のアメリカと半分グルであり、逆に言えば、村下孝蔵のせいで、世界の左派が大被害を受ける、ということになる。
同じグループ内の対立構造を国際政治に利用しよう、ということだ。
しかし、この裏には、キリスト教の思惑があり、それから敵対するイラクやシリアを攻撃する、ということは、昔から続いているキリスト教の弾圧戦争と同じである。だから、キリスト教が嫌いな日本も、対岸の火事ではない。
その弾圧戦争の始まりが、村下孝蔵の死だったのではないだろうか。
7月7日のロンドンのテロ
村下孝蔵は、7月7日の七夕の日にコンサートを開くのが恒例であった。
2005年7月7日に、ロンドンで同時爆破テロが起こった。
このテロは、ISの犯行である。
容疑者の中にH田省吾と同一人物者がいる。
伊豆高原の人物
H田省吾は、村下孝蔵の曲のコーラスをしていたCという人物だが、このCの息子にTというエンジニア(M谷という編曲者と同一人物)がいて、紺色のTシャツを着て村下孝蔵になりすましていた。体格、風貌などを村下孝蔵に似せていて、Cと共に、村下孝蔵を陥れる行動をしていたと思われる。
村下の妻の裕子は、Tの妻でもあり、H田とも親しくしていた人物で、裕子を使って村下孝蔵を陥れようとしていたようだ。
その頃、村下孝蔵の周りには、スタッフや妻など敵が多く、周りから言われたことに影響されやすくなっていたようだ。
村下孝蔵は、謀略の上に、毒ガスなどを衣服やギターに付着させられてもいて、死の原因はこの辺りにあると思われる。
O田和正
最初、紺色のTシャツを着ているTをどこかで見た時、「村下孝蔵ではないか」と思ったのが、元OフコースのO田和正である。
O田和正は、村下孝蔵の1周忌コンサートで姿をファンに見られている。
「何故、こんなところにいるんだ」とファンに思われたのは、O田も村下孝蔵が何故死んだのかを不思議に思っていたからなのだろう。
付き人で青年実業家
裕子はM沢りえ
何故、村下孝蔵が、Tや裕子やCに謀略をされなければならなかったのだろう。
それは、裕子がM沢りえと同一人物だったことと関係がある。
M沢りえは、1990年頃、ヌード写真集を出版した。
これを企画したのは、コピーライターのⅠ井重里である。Ⅰ井重里は、村下孝蔵と同一人物だった。
村下孝蔵でⅠ井重里と、M沢りえと同一人物者は、昔から確執があったらしい。
M沢りえを嫌っていたある人物が、電通に入社したのを機に、Ⅰ井は、M沢にヌード写真集を出すよう説得し、M沢りえは、それを承諾した。しかし、M沢りえは、このことにずっと不満を持っていたのだ。
しかし、仕返しをする時がやってきた。
それは、裕子でM沢りえがTと結婚した1995年頃だった。
T(演歌歌手M→村下孝蔵は、演歌歌手Mに曲を提供していたことがある)は、裕子が働かないことを条件に、Ⅰ井に仕返しをすると言った。
Tの父が、Cと同一人物者であり、三人で村下孝蔵を陥れようと計画したのだ。
M沢りえと女性の確執
M沢りえはエリザベス女王と同一人物である。
1970年代、女性は、実家から拉致されて他の家に連れてこられて、そこで男の子の格好をさせられ育てられた。
他の家というのが、エリザベス女王とフィリップ殿下と同一人物者の日本人名の夫婦の家である。
その女性は、1990年頃、女性の名前で電通に入社した。しかし、女性とエリザベス女王の間には確執があったので(連れてこられた女の子と里親の関係)、まさか電通に入社するとは思わなかったM沢りえの方が、写真集を出版することになった。
その後、M沢りえは、このことにずっと不満を持ち、恨むようにもなっていたので、女性が電通で制作進行係として手がける仕事のクライアント(広告を出す企業)に圧力をかけるなどの妨害をするようになった。
そのクライアントの一つにSャープがある。
この殺害された女性は、紀の宮様である。
他人の手が原因の確執が、エリザベス女王との間に存在していたのは、紀の宮様だったのだ。
紀の宮様は、糸井とT(写真家のSと同一人物)によってエリザベス女王と張り合わされた挙句に、殺害されてしまったのだ。
何故、紀の宮様が拉致されたかというと、1960年代~1970年代に台頭した赤軍派の仕業である。
赤軍派は、他人の家の子を拉致して別の家に預けて育てさせることにより、その拉致された子が不幸になる代わりに、拉致されてきた家や拉致した本人たちがいい思いができる、という思想の元、一般人の家の子を拉致するだけではあきたらず、王室の子を拉致して育てさせるようになったのだ。
Tは、M沢りえの写真集で撮影をした写真家のSと同一人物である。事情を一番よく知っている人物が、Tでもあったと思われる。
尚、紀の宮様と一緒に、イギリスの家に連れてこられたのが、兄妹の秋篠宮様であると思われる。
拉致されて他の家で育てられ他人の確執などに利用された挙句に、バラバラ遺体となって発見される。公開捜査では通報者を犠牲に犯人側に情報を教える。
このようにして凶悪犯罪の被害者が拡大するが、この思想を首謀しているのがTである可能性もある。
事件の影にはロシア?
村下孝蔵の死は、M沢りえの復讐の一環である可能性が強いが、この事件で見え隠れするTの存在が、日本や国際社会の政治にも見えない形でうごめいている感もある。
電通クライアント企業の陥れ攻撃も、実は、裏で指図をしているのは、Tかも知れないのだ(経済破壊だったらロシアは得意そうだ)。