宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-58    村下孝蔵の死の謎のつづき

 村下孝蔵のお父さんが死んだ

 早川紀代秀と松本知子が村下孝蔵で仮谷清志の財産を狙っていたということで、1995年頃に村下孝蔵のお父さんが死んだ、というのは、村下の実の父か義理の父かはっきりしないが、H田省吾の父が死んで、村下孝蔵は義理の父にあたるので、それをお父さんと呼んでいたということも考えられる。浜田の父が死んだというのは、死んだように見せかけるためで、実際は死んでいない。騙すために死んだことにして、同一人物者が別名を名乗って村下孝蔵に妨害していた、という可能性もある。
 あるいは、言葉通りに、村下孝蔵の実の父が死んだのかも知れない。
 もし、そうだとすれば、村下孝蔵の実父を殺害したのは、H田省吾で村下裕子とその親(早川紀代秀)と共犯で殺害ということになるだろう。

 村下孝蔵のお父さんについてだが、実の父は調べることが出来ない。映画館を経営していたというだけで、名前も顔もわからない。
 彼らがお父さんと呼んでいる人物かあるいはそれに近い存在だとすれば、村下孝蔵のプロデュースをしていた人物が浮かぶが、スタッフの中の年長者の死を村下孝蔵のお父さんと呼んでいたということも考えられる。

 村下孝蔵のお父さんが死んだ、と言われていたのは、1995年頃である。これ以降、村下孝蔵の悪評がテレビ業界などで出るようになった。1995年といえば、八王子でスーパー殺人事件が起きており、この中の被害者が村下孝蔵のお父さんと関係がある可能性もある。

 村下孝蔵が1995年頃出したアルバムが理由がわからなく廃盤になっている。このアルバムの中に、イラク戦争と思われる「釦(ボタン)」というタイトルの曲がある。
 廃盤の理由は、釦という曲に理由があるのかも知れない。
 また、H田省吾のお父さんが、イラクフセイン大統領と同一人物である。H田省吾と村下孝蔵は夫婦だったので、村下にとって、H田省吾の父親は村下の義理父である。
 フセイン村下孝蔵の実のお父さんを殺害された可能性も出てくる。
 しかし、村下孝蔵の父は、村下孝蔵のメモリアルコンサートのサイトで名前をつけてコメントを出しており、生きているらしい。そのサイトへの書き込みは2006年のものである。

 そうすると、村下孝蔵のお父さんは死んでいなかったということにもなる。死んだというのは、母親のことだろうか。
 村下孝蔵は、熊本県の出身だが、村下がデビューした後、東京に引っ越してきた。熊本と宮崎と鹿児島の県境にある伊佐市に住んでいた、という情報もある。

 村下孝蔵の父が死んだのではなく、指名手配犯として手配された

 村下孝蔵の父が死んだという情報が流れた1995年に、オウムの指名手配が同じ年の同じ月に行なわれた。
 村下孝蔵は、大内早苗で菊池直子と同一人物なので、指名手配されて慌てていたことを、田宮高麿の死にしたが、それで収まるわけではないので、「お父さんが死んだ」ことにしたのだだろうか。
 村下孝蔵は菊池直子と同一人物だったのだ。

 村下孝蔵李洪志ではない

 中国の法輪功の教祖・李洪志という人物は、村下孝蔵ではなかことがわかった。李洪志の顔は、Hの宮に似ているが、Hの宮と同一人物ではなく、顔の似ている早川紀代秀である。
 早川紀代秀は、Aの宮、皇后美智子と同一人物者である。
 村下孝蔵である妓郷蟻析困帆畧邉代秀は顔が似ているために、判別がもとから難しいのと、早川が自分の存在をあまりアピールしない人物だったためだ。 

 お父さんが死んだのはH田省吾?

 H田省吾は、皇后美智子と同一人物である。
 1995年4月に、江東区佐賀町で会社社長が銃殺される事件が起きた。
 この事件の被害者は、皇后美智子の一族のS田建次郎という人物であると考えられる。同時に、兄弟の英三郎氏が殺害され、遺体を千葉県の手賀沼に遺棄した、といわれているようだ。
 皇后美智子の父は英三郎氏なので、H田省吾のお父さんが死んだことになる。
 
 何者かがこの人物のお父さんで英三郎氏が殺害されたを、村下孝蔵のお父さんが殺された、という噂を流していたことが考えられる。
 また、H田省吾という人物の父親が殺された、と噂を流すと、H田が誰であるか、誰が殺害されたかがわかってしまうと考え、わざとわかりにくい表現方法で噂を流したということが考えられる。そして、その噂を流したのは、殺害されたことを混乱させるためのもので、犯人の一味という可能性が出てくる。
 
 このことにより、村下孝蔵は、その年に出したアルバムが廃盤扱いとなった。お父さんが死んでいるという噂を真に受けての配慮からかも知れない。さらに、この時期から村下孝蔵は、テレビ局などで噂のある人物ということされてしまった。