宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1001    仮谷さん拉致事件のつづき

 

  青森の事件とシビリアンコントロール(経済)崩壊

 

 青森の事件の詳細がわかってきた。

 青森でコンクリート詰めにされて遺棄されたのは、シンガーソングライターМではなく、その歌のモデルをしていた女性(K村Y子)であることがわかった。

 加害者集団は、シンガーソングライターМを襲いたかったが、Мの方がそれに気づいて別人を大塚公園に行かせていたのだ。

 この別人とは、シンガーソングライターМの歌のモデルで、後の菊池直子である。

 加害者集団(タレントWとお笑いコンビDと部下)は、シンガーソングライターМを殴る、蹴る等して暴行を加えていたと思っていたが、実は別人だったのだ。

 K村さんは、この後病院に行き手当を受けたが帰宅後倒れ、ダンボールに入れられ青森まで送られた後、お笑いコンビDのMの自作自演劇により、青森で殺害されたことになり、現場検証を行った後に遺体を持って行かれコンクリート詰めにされたが、後から痩せてきた体を利用し抜け出した。

 その後、首謀者であると思われる演歌歌手Mが、K村さんが助かっていたことを知らなかったので、K村さんに「演歌歌手Мを殺した」と米軍三沢基地に報告されたのだ。

 この後、三沢基地は、当時の経済のシビリアンコントロールを演歌歌手Мが中心人物であると思っていたので、米軍とK村さんや加害者グループにより、経済の崩壊が動いてしまった。

 シビリアンコントロールは一人だけではなく、半導体の数以上いるだろうし、地域ごとに異なる人物を持っていると思われ、この1993年の事件はきっかけに過ぎないだろう。

 そもそも、シビリアンコントロールとは半導体と関係があるらしい。半導体の動きと人間のその個人の持つ特性と合わせて、その人の味方を人ではなく機械がサポートするというようなことがシビリアンコントロールということになっているらしい。しかし、これをオウム真理教に見破られていたので、オウム事件発覚後、経済CIAでオウム真理教が軒並み半導体企業を襲い、日本の半導体の多くがオウム仕様になってしまったと思われる。仮谷拉致事件は、資産家を襲い殺害するための自作自演劇ではないかと思われ、米軍とオウムにより、日本経済はメチャメチャにされている。

  そもそも、米国は日本の経済が好調だと不調になるような性質なので、バブル景気のような日本の好景気が気に入らなかったのだ。

 シンガーソングライターМは、エリザベス女王でHの宮で、仮谷清志と同一人物である。ちなみに、K村Y子とシンガーソングライターМは別人だが、似ている。

 

 菊池直子はK村Y子の方だが、2015年に逮捕されたのは仮谷清志の方であると思われる。菊池直子と仮谷清志はよく似ていて、同一人物である、と思われることが少なくない。仮谷拉致事件の初期には、仮谷清志はK村Y子の方だと思われていて、今でもK村Y子を仮谷さんだと思う人もいるのではないだろうか。

 仮谷清志は、遠藤誠一や林郁夫と同一人物で、オウム信者である。自身がやられる代わりに他の資産家をやってくれ、と頼むことが可能だ。

 しかも、K村Y子で菊池直子は、男尊女卑の思想にとても深く関わりがあるために、「逮捕したくない」と思う警察官が多いのだという。そのことも、オウム真理教は知っていて、わざとこの人物を菊池直子として指名手配したのではなだろうか。

 菊池直子はまだ逮捕されていないので、オウムが暗躍している。

 菊池直子は、小泉政権の時に誕生したクールジャパンの核になる人物とも同一人物である。

 

 演歌歌手Мが死んでいたのか

 

  演歌歌手Мは93年前後か89年頃に死んだ、という説がある。その場合、タリバンの罪等をすでに死んでいる人物になすりつけて逃走に使っている可能性もある。オウムの裁判の時期に麻原が「君は演歌歌手Мですか」と尋ねられた時に「そうだ」と答えた、という説があるが、麻原彰晃は演歌歌手Мと同一人物者ではない。麻原彰晃が演歌歌手Мを殺害してなりすましている可能性もある。

 仮谷拉致事件は、そもそも演歌歌手Мと妻の財産分与の話から、演歌歌手Мの肩ばかり持つ仮谷清志が憎くて麻原彰晃と同一人物の妻が怒って仮谷清志を拉致するよう命令した、という説がある。

 もし、麻原や信者が演歌歌手Мを殺害した上で、目黒公証役場の仮谷氏を訪ね、合法的に財産をもらおうとしたとして、殺害されていたことがわかってない仮谷氏に腹をたてたとするとつじつまが合う。

 妻と演歌歌手Мは離婚話が出ていたようだが、その後も離婚していなく財産分与の話までしているのに離婚しない、という不自然さがある。

 

 演歌歌手Мは1994年夏に殺害されていた?

 

 演歌歌手Мと思われる人物が殺害されていた詳細は下記である。

 

 シンガーソングライターМの歌のモデルの殺害に失敗した演歌歌手Мは、モデルが生き返っていたことを知らなかった。しかし、ある時、モデルが演歌歌手Мと同一人物の住んでいた江東区のある場所にやってきて「ちょっと来て」と言われ着替えたうえで、文京区のあるマンションに連れて行かれた。

 そこで意識はすでに朦朧(もうろう)としていたようだが、そのマンションの一室にはもう一人人物がいて、その人物に浴室に連れて行かれて斧のような物で首を切断されてしまった。この後、青森に遺体を運んでコンクリートに埋めて遺棄していたのだ。この殺害は1994年夏に行われていたようだ。仮谷拉致事件が起きたのは1995年2月だ。演歌歌手Мは、仮谷清志ではないとしたら、実氏である可能性もある。仮谷拉致事件の仮谷氏は、前年に息子を殺害されていたことになる。

 演歌歌手Мとシビリアンコントロールの関係だが、演歌歌手Мは、三洋電機創立者だったようだ。電機企業なので半導体は付き物だし、半導体企業を経営していたことも考えられる。

 

 トルーマン大統領と同一人物者

 

 演歌歌手Мは、トルーマン大統領と同一人物者と言われていて、マッカーサー元帥との力関係をシビリアンコントロールと呼んでいたようだ。

 演歌歌手Мが生きているか死んでいるかが重要な点なので、トルーマン大統領の写真を見たところ、Hの宮の顔の一部に酷似していた。演歌歌手Мは、Hの宮なのだろうか。

 

 やはり殺害されたのはHの宮

 

 殺害された人物はやはりシンガーソングライターМで、K村Y子(菊池直子)が演歌歌手МとシンガーソングライターМを間違えていたのだ。演歌歌手МとシンガーソングライターМは、顔の一部が似ていて江東区の居場所に行った時にパッと見「演歌歌手Мだ」と判断したが、実際にはシンガーソングライターМだったのだ。この後、文京区の一室に行き、待っていた高橋克也に殺害され首を切断された。シンガーソングライターМは二人いて、一人は初期と後期の人物、もう一人は中期で殺害された人物である。初期の人物は、ヒット曲を出していた中期の人物を嫌っていた。殺害されたシンガーソングライターМは、Hの宮やエリザベス上と同一人物である。

 K村Y子は、このことを、米軍三沢基地に「演歌歌手Мを殺した」と報告した。しかし、やはりその後殺害されていたのは、Hの宮の子供たちである。

 このHの宮殺害の日時は、8月頃なのか2月頃なのか問題である。8月は演歌歌手Мの誕生月、2月はシンガーソングライターМの誕生月である。狙った人物を殺害するなら、誕生日に実行することにより呪いが強力になる。

 もし、決行日が2月だったとすると、最初からシンガーソングライターМだと知っていて殺害したことになり、米軍への報告は勘違いではなくてウソということになる。

 

 これが仮谷拉致事件の真相か

 

 ところで、この日の事件に関与しているのが、菊池直子と高橋克也である。シンガーソングライターМを文京区本郷の一室に連れてきたのがK村Y子(菊池直子)である。そして、その文京区本郷の一室で待ち伏せして殺害したのがでもう一人のシンガーソングライターМ(高橋克也)である。この時、平田信は部屋にいたのだろうか。もしこの殺害のことを仮谷拉致事件と呼んでいるとすれば、部屋の借主が平田信だったという可能性がある。三人が指名手配されたのは、このHの宮殺人事件によるものかも知れないし、文京区本郷はМ警察署の管轄であり、何故、大崎で起きた仮谷拉致事件をⅯ警察署が公表し初動捜査を行ったのかの説明がつく。拉致していたのは江東区だが、江東区にはオウムの亀戸道場があった。この後、実際に死んだ人を演歌歌手Мとすりかえて報告している。仮谷拉致事件は、事件後に起きたオウムの自作自演拉致事件劇ではないだろうか。

 Hの宮の遺体は、首と胴体を切断され、胴体部分は青森県に運ばれコンクリート詰めにされたかし、首部分はまだ文京区本郷のマンションの一室にあったのではないだろうか。だから、オウムが拉致事件劇のことをМ警察署に言いに行った時に事件が公表されたのではないだろうか。また、文京区本郷に、人の頭部だけがたくさん保管されているという漫画家の家があり、Hの宮の頭部はこの家にあったかある可能性もある。

 この事件の後、本郷で、暴力団の抗争とみられる銃撃事件が起きており、ドアに銃跡がしばらく残っていた。

 

 平田信が自首した理由

 

 2011年に平田信が自首してきた。この理由として考えられるのが、

①Hの宮の父の平成天皇だったから

➁Hの宮の妻のМ子だったから

が挙げられる。

 自首した時期は、東日本大震災が起きて半年後位である。

 東日本大震災は、菊池直子の通報が多くなっていて、もう少しで逮捕されそうになっていたので、焦ったオウムが、福島第一原発の原子炉を何度も非常停止ボタンを押して非常停止を繰り返していたからであると思われる(このため自身が起きた)。

 このことにも関係がある可能性がある。

 しかし、1993年にシンガーソングライターМを殺害するようお笑いコンビDに命令したのは、平田と同一人物のWというタレントだ。WとDのМは同一人物だったので、Мとして暴行を行ったのは、本来はHをしている演歌歌手Мである。演歌歌手Мが、この事件の首謀者だった可能性があるのは、演歌歌手МもシンガーソングライターМを嫌っていて、親を殺した等と言い、色々な信者に指示する立場にあると思われるからである。

 

 何故ネコが傷つけられているのか

 

 2000年以降、ネコが傷つけられたり殺されたりする事件がよく報道されるようになった。これも、Hの宮の殺人と関係がある。

 Hの宮を殺害した部屋にネコがいて、殺害を目撃してしまった。犯人は斧でネコを殺し、死骸をHの宮の遺体と一緒にコンクリート詰めにして青森県弘前市に遺棄した。そのことが他のネコに伝わるとどう事件がバレるかわからないため、同じような模様のネコを中心にネコを傷つけたり殺したりしていたのだ。

 

 菊池、高橋、平田の事件の関わり

 

 このネコを斧で殺したのは、平田信である。ネコの死骸とHの宮の遺体を一緒にコンクリートに詰めるには、死骸と遺体をドッキングさせる必要があり、Hの宮の遺体を浴室で解体している時に同時進行でネコを斧で殺したとすると、部屋には二人いたのだろう。

 K村Y子(菊池直子)は、殺害されたシンガーソングライターМの歌のモデルである(しかし、殺害されたシンガーソングライターМは、高橋克也と菊池直子を同一人物だと思っていたらしい)。

 殺害された人物に「(自分の代わりに)公園に行くよう」言われ行ったら暴行を受けて殺害されそうになったことで、殺害された人物(Hの宮と同一人物のシンガーソングライターМ)を恨んでいた。

 江東区の家から文京区の家まで連れてきたのがK村Y子(菊池直子)で、文京区の家で待っていたのが高橋克也で、高橋克也はもう一人の本来のシンガーソングライターМである。そして、この人物により殺害され、平田信と一緒に浴室で解体していると思われる。

 殺害現場になった文京区本郷の家の借主は平田信で、この平田信が演歌歌手Мであると思われる。演歌歌手Мは、殺害、遺体遺棄後、妻に首の監視を頼んでいるが、この妻が出頭してきた平田信で、平成天皇と同一人物である。

 ネコを殺したのは平田信であると思われる。平田信は、部屋の借主だっただけではなく、遺体遺棄も一緒にしているようだ。シンガーソングライターМは、肺活量が他人よりも高い数値だったらしく、殺害後にシンガーソングライターМの肺活量に関することを吹聴している

 

※シンガーソングライターМは、初期と後期を高橋克也が扮していて、あまり売れなかったのでそれを見かねた妻(Hの宮)がシンガーソングライターМとして活動したらヒット曲が出た、といういきさつがある。ヒット曲を出したシンガーソングライターМは、Hの宮と同一人物で、これが中期に活動していた人物である。中期の人物は、後の菊池直子をモデルに曲を作っていて、人気が出て、高橋克也や菊池直子にとってはそれも面白くなかった。

 平田信のシンガーソングライターМへの殺害動機は不明だが、ファンの取り合いであった可能性もある。