インドは世界一の極右勢力で、過激な政治家の出身国でもある。規律正しく見えるインド人も、実は裏では凶暴だったり、好戦的だったりする人々もいるようだ。
タリバンのメンバーのほとんどが、A首相に親や親族を殺されている人たちかA首相の息子か橋本龍伍という人物の息子である可能性が大きい。
橋本龍伍は、1962年に死んだといわれている。
しかし、橋本龍伍に関しては、謎が多い。
橋本龍伍は死亡していないとすれば、天皇の父親だといっていたことが気になる。
Aの宮の父については、いろいろな人が誤魔化しをしたり、ウソをついたりするのではっきり断定できないが、Aの宮の父でタリバンの父でありながら、そのように見えなすぎる、というのがわかりにくくしている最大の点である。
オサマビン・ラディン師は、昔からアメリカとのいざこざがあったといわれているが、その原因が父親によるものではないかと思われる。
サイフ・アル・アデルというテロリストと小学校時代同級生であったが、その頃のことに関係があると思われる。
1962年頃、「俺は天皇の父親」と周囲に言った橋本氏がそれを聞いた者により警察署に通報され殺害されたということだ。
あるいは、A首相の息子であることも考えられるが、A首相は自分の子供たちに対し、冷たい態度を取ることで知られている。そのくせ、他人の子にはいい顔をしようとするので、子供たちからは人気はないが、無理やりにでも言う通りにしなければ、相当な苦労を強いられることもある。自分の子供を経済的な理由でなしに孤児院に入れることが出来るのもA首相である。
彼にとって子供は自分のための道具で、他人を助けるために自分の子を使い、子には何も与えなくていい、という思想の持ち主である(自分は財閥の息子で何不自由ない暮らしだが、子供は自分の手で這いあがれという無理な教育である。息子よりも娘は一層苦労が絶えない)。
Aの宮は、実は皇后の息子ではなく、高松宮の妻の息子であるが、天皇候補に名が挙がっているので、皇后の息子だと勘違いされやすい。
皇后は、橋本龍伍と名乗るヨルダン人と会ったことがあるらしいが、Aの宮は皇后の子ではないので、Aの宮の父親を知る上であまり参考にならない。
サイフ・アル・アデルはHの宮の肩を持っていたのが、他の者たちにとっては鼻持ちならない奴として映り、多少の対立があった。
Hの宮には、I知事も寄ってきて、I知事とサイフはたいしたいざこざはなかった。皇太子妃は、I知事が目をつけていた人物で強引な手法で知り合いになり、サイフも結婚を承諾したし、顔見知りだった(後になってHの宮の妻がI知事の娘で、サイフはHの宮の兄弟のような関係があることがわかっている)。
Aの宮の息子であるとI知事が思っていたヨルダン人は、A首相の兄弟ぐらいにあたる人である。
I知事とヨルダン人の間には、確執がある。しかし、A首相はI知事と親しくしている。皇后がA首相が一番マシだと思っていたからである。皇后とA首相の間に子供でもいたのかも知れない。
A首相はAの宮の叔父であると思っていたために、政治家にAの宮をよろしくお願いします、というつもりで多額の金を配っており、それがA首相の人気に秘密でもあったようだ。しかし、Aの宮の身内ではないかも知れない公算が高く、A首相の金配りは何の意味があるのかさっぱり不明だ。
勘違いによりとんだ散財であることも考えられる。
政治家にとってはそのような金はありがたいに違いない。
しかし、A首相は財閥なので戦争で設けられるし、テロという戦争ではないが中途半端な戦火も、国家予算を使い、自分の会社を儲けさせるのにも、自分らの懐に入れるのには、いい口実だったに違いない。
A首相の家(財閥・マハラジャ?)は、大勢の首相経験者の私腹を肥やすために充分な存在だったに違いない。
しかし、A首相は、自分が金を払っている雇い人に心の中でバカにれている。何故なら、自分の身内を肥やしにして、彼らに金儲けをさせているからである。