宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-244    仮谷さん拉致事件のづつき 国松長官は林郁夫(ネオナチ)だった

 国松長官は、林郁夫

 本士警察署の署長で、国松長官狙撃事件の国松長官は、I原S太郎と同一人物であることがわかった。
 国松長官は、手足が義足使用者で、胴体に防弾チョッキを着けていたため、顔、頭が狙われなければ、銃弾を受けても無傷だったはずだ。
 国松長官が運ばれた病院が、もし林郁夫が院長をしている「オウム病院」であれば、国松長官の銃撃は、本当は銃を浴びていなかったとしても、オウム医師の発表により、重体とされていたはずである。
 国松長官は、赤軍派の田中義三にうり二つである。そして、その人物は、I原S太郎と同一人物だったのだ。
 I原S太郎は、ドイツのナチのゲッペルスと同一人物であり、オウム捜査による日本人の冤罪死は、ゲッペルスの手法によるものである。
 本富士警察署は、1960年代に、赤軍派の「東京戦争」により標的にされて、爆弾を署長室に仕掛けられ、署長室が爆破されている。その時、本物の国松長官が死亡していたが、わからなかった署員たちは、それを発表せず、そのままI原S太郎で田中義三を受け入れ、田中は、その後も本富士の署長として居座った。
 国松高次は、小杉巡査部長の「疑惑」(本当はグル)の責任をとったこともなく、国松長官狙撃事件により、話をはぐらかし、被害者面してオウムに操られる風を装った。
 国松と本富士は、逮捕した女が、菊池直子である、として、親や兄弟を調べるのではなく、その友人関係にばかり的を絞り、同級生を取り締まり捜査対象とし、オウム信者を通報する可能性のある同級生を大量殺害させた。
 I原S太郎は、後藤田長官とも同一人物で、オウム捜査の黒幕である。
 そして、その人物が、オウムの菊池直子の息子であり、菊池直子が一番可愛がる息子であった。
 
 恐怖政治の巡業者たち(オウム真理教)を指名手配することを、スイスから頼まれた、ということだった。
 スイスの国王は、国松長官であり、国松長官は依頼者で実行者である。
 このオウム事件の一連の犯行と捜査は、国松長官の意思によるものと考えられる。
 I原S太郎は、実は日本人から慕われていたわけではなく、物凄いろくでもない人といわれていたが、それが証明されたのがオウム事件の犯行と捜査の結果である。

 国松長官は、東電の清水と同一人物

 地震テロを首謀したと思われる東電の社長の清水は、国松長官と同一人物者である。
 I原で林郁夫の狙いは、日本崩壊であると考えられる。これはオウムの思想と一致するもので、理由は日本がキリスト教ではないからであると考えられる。
 I原は、キリスト教の教祖であり、踏絵を行った徳川幕府を倒幕した鹿児島軍団の一人(坂本竜馬)である。
 
 ドイツは本富士署

 ドイツは、キリスト教徒の国として、キリスト教ではない国の日本を、天皇の妻を殺す、という方法で、徳川幕府倒幕後も、謀略活動を行っていた。
 昭和天皇の妻の良子を殺し、親族・友人らを殺害し、明仁天皇の殺害も行っている。古くは、徳川家に通信設備を贈って、幕府の盗聴を行っていた。
 本富士警察が、ゲッペルスの手下たちのドイツ人であるのは、天皇家ご用達病院が、隣の東京大学病院だからである。
 東大の隣の警察署は、天皇の病気の面倒をみる、と称して、天皇の治療に支障をきたす者を殺してもいい、という思想を持っており、明仁天皇を殺したのは、オウム幹部の早川を天皇にして、天皇の治療に支障をきたす者を殺してもいい、という思想に変えるためである。
 明仁天皇の妻だった正田家の人々も、ニセの明仁の妻ではないので、゛「天皇の治療のため」と称し、殺されているし、明仁天皇や正田家についていた企業や政府、役人なども東北で殺されている。
 ドイツは、キリスト教の教祖であるI原S太郎の指示の元、この旧体制崩壊と新体制作りを行っていたわけだが、それは、徳川幕府崩壊後から、天皇が新しい世代になるたびごとに、それを計画して実行していた。
 ドイツにとっては、毎回のことである。そして、今回も3度目か4度目のことである。
 そういういきさつで、本富士警察署には、ドイツ人が多い。ドイツ人は何だかんだ言って、ゲッペルスのいいなりであった。
 ドイツの大量殺人の首謀者はゲッペルスである。
 日本のオウム捜査の警察の捜査(警視庁)は、いってみれば、ナチのS.Sと同じである。