宝財探偵所の迷宮事件 29-337 仮谷さん拉致事件のつづき
仮谷氏の遺体は、右腕などを福島県内に遺棄したか埋めたかしたあと、車で東京に戻り、東京の台場から徳島行きのフェリーで徳島へ行き、遺体を自宅へ置いた後、火をつけ火災にしたのだろう。
翌日、抗議をしに来た明仁天皇(常陸の宮)をS啓内で殺害し、遺体をまた車で運び、洲本の別荘地へ遺棄した
ただ気になるのは、大阪の人工島の隣にも福島区という区があることである。福島区は人工島の咲洲のある此花区の隣にある区である。
遺体を解体した場所は、福島は福島でも大阪の福島区の温泉施設という可能性もある(此花区西島にI休という温泉施設もある)。解体した後、腕や一部を福島県内に運んだ者がいて、また大部分の遺体を団地内に遺棄した者が小池(麻原)なのではないかということも考えられる。
焼却
オウムが焼却に使用しているマイクロ・ウェーブだが、ドラム缶に電子レンジの装置を取り付けて、ドラム缶内に遺体を入れて焼却する、というイメージがある。
しかし、この方法だと焼却するのに臭いがたち込める可能性がある。
しかし、業務用冷凍庫のように業務用の大きな電子レンジかオーブンのようなものがあると、遺体を電子レンジかオーブン内に入れて加熱すると、半生状態の遺体が出て来る。
また、臭いは屋内なので外に洩れない。
また、もう少し効率的に、入浴施設と焼却施設が同じビル内か建物内にあるといちいち移動する必要もなく、1ヵ所で解体、焼却が済む。
この条件に一致するのがサウナである可能性がある。
例えば、清掃局の焼却の熱を利用するタイプの入浴施設などである。此花区にこのような入浴施設がある。
また、サウナは、サウナストーブという電気やガスのストーブで石を熱くし、そこに水をかけて蒸気を出すという仕組みがある。
このサウナストーブが電気のストーブであることから、マイクロ波を出していることもあると思われる。
常陸の宮(M田という人物)の死亡時期が、1997年~8年なのか、2001年なのかわからない。
例えば、1997年7月に殺害した後、業務用冷凍庫で冷凍し、4年後の2001年4月に焼却して解凍し、淡路島洲本に遺棄した、ということも考えられる。
M田という人物は、H顕微鏡店の店主だったが、そこは自宅であり、また皇居も自宅なので、皇居と顕微鏡店を混同した話しが出てきたというこも考えられる。
また、仮谷氏も2001年4月より前に殺害されたが、しばらく保管して徳島県の住宅に遺棄したということも考えられる。
菊地直子と北朝鮮の関係
この事件の首謀者は、菊地直子の意思が強くはたらいていると思われる。
福島県は菊地直子と同一人物の大内早苗の出身地だからだ。
菊地直子は、北朝鮮の金総書記と同一人物で、金は北朝鮮の建国者なので、北朝鮮を大切に思っている。
共産国を従えるのは北朝鮮であるとすら思っている。日露戦争の時、日本の首相が北朝鮮をリーダーにした共産圏の協力を要請したというが、この人物が菊地直子である。