宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件29-349 仮谷さん拉致事件 仮谷氏の殺害場所、焼却場所、遺体遺棄場所

 仮谷氏とは昭和天皇ではなく皇后美智子

 仮谷氏とは、正田英三郎の方ではなく、皇后美智子の方だという説がある。
 皇后美智子は、1989年に明仁皇太子が死んだ後、明仁をしていた人物で、この人物が明仁と皇后美智子だったということが考えられる。
 目黒の公証役場の仮谷氏とは、河野澄子だったことになる。

 仮谷氏拉致殺害事件の殺害、焼却、遺棄場所と動機

 仮谷氏の死亡時期は1999年9月で、殺害場所は亀戸6丁目のマンション内、遺体遺棄場所は淡路島の洲本ということになる(2001年4月21日)。殺害から遺体遺棄までは冷凍保存した。
 焼却された場所は、大阪此花区のI休という温泉施設(2001年4月20日前後)である。
 高橋克也(渡辺芳則)は、明仁皇太子と対立していたニセの常陸の宮で、前々から明仁皇太子と確執があった。平田信(司忍でW・ブッシュ)と菊地直子(竹中正久でI田大作でY代亜紀)は、高橋克也を通り越して自分が天皇になろうと画策していた。しかし、もともと明仁と対立していた高橋が天皇になった。
 ニセのNの宮が石井久子であり、仮谷氏は石井久子を通報していた。
 仮谷氏はNの宮にオウムに入らないかと誘われ、最初のうちは断っていた。石井久子は、麻原やほとんどのオウム幹部の母親である。

 正田英三郎氏の殺害

 父親の英三郎の殺害についてだが、もし、2001年1月2日だとすると、正月に皇居にいた時に殺害されたことが考えられる。
 1997年7月にヒマだ、と言った瞬間に頭を殴られた、というのは、実は2001年1月2日の間違いかも知れない。
 正月だと、皇族は皇居にいる可能性があるし、昼間の忙しさとはうって変わってしんと静まり返っているだろう。昼間はいろいろな人に会ったりして忙しいが(皇居は正月に人がたくさん来る)、夜には人がいなくなってヒマだ、と思ったとしても不思議ではない。
 宮内庁の職員も、家族や家庭があるとしたら、昼間は皇居にいるが、夜には家に帰って誰もいないことも考えられる。
 しかし、皇族本人たちは皇居にいて、その中に英三郎氏がいたが、すでにオウムに代わっているニセ皇族らに頭を殴られた。
 そして、一部を食べ、あとの散乱した部分をゴミ袋に札束と一緒に入れて、1月5日頃のゴミ収集日に出した。
 あるいは、東北の中国大使館だともいわれている。
 この時に出てきたのが、白神山地の近くの風の松原の管理事務所のトイレ内か管理事務所が管理する運動場の近くのトイレである。
 英三郎氏は、オウムに追われてここまで逃げて来たが、居場所を発見されて殺害された。
 
 しかし、この場所が何故中国大使館なのかわからない。トイレが中国大使館というのは意味が不明だ。しかし、中国の何かの施設があった跡地に管理事務所やトイレを建設したということは考えられる。
 また、風の松原自体が中国人の寄付による建設であるとか、風の松原の所有者が中国人であるということも考えられる。


 殺害後、遺体をどこかに運び、一部の腕を福島原発所内に埋めた。
 この解体は、福島県に近い温泉施設であると考えられる。

 洲走温泉という場所があり、洲本と似たような名前だ。
 他に、福島市佐倉の近くの土湯温泉という場所であることも考えられる。
 焼却は4月なので、それまで冷凍保存していた。
 解体できる場所、冷凍庫のあるところ、ということでやはり温泉施設があやしい。

 また、大阪と東北で、皇族の友人などが殺害されている。
 大阪だと、新大阪の付近で同級生がたくさん集められ、市内のホテルに缶詰めにされ、一人二人と行方をくらませた。
 東北の方は、大宮駅から出ているか経由する列車の経由駅であろう。
 杉沢村と関係のある場所で、遺体の解体はこの近郊の温泉地だろうとも考えられる。
 杉沢村は、秋田と青森の県境で、酵母菌がとれる白神山地あたりだ。
 杉沢村の時に出てきた温泉地は、不老不死の湯という温泉地と、Wェスパ椿山、長野県のぽんぽこの湯という温泉宿だ。しかし、ぽんぽこの湯は、O和田M子さんであるという可能性がある。
 不老不死の湯は、一軒の温泉宿があるだけで、静かな場所らしい。地獄谷温泉のように硫黄が噴出しているという。
 また、Wェスパ椿山という施設が深浦市にある。ここは、Dィズニーランドのような作りの施設(Kロポックルという施設もある)で、腕が館内に残されているという説があり、片腕を福島原発所内に埋めた、という正田英三郎氏の遺棄状況と一致している。