宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-706    仮谷さん拉致事件のつづき

 伊丹十三平田信の関係 寄生虫だった平田信

 伊丹十三には、同一人物か双子か兄弟かわからない人物の姿がちらついている。
 この人物は、同一人物なのか別人なのか判別が難しい。
 しかし、伊丹が嫌っていた人物が平田信である可能性もあり、平田信は悪質な伊丹のストーカーだった可能性もある。
 その場合、伊丹そっくりに変装して性格も似通ったように装っていたとすれば、伊丹にとっては迷惑だが、あまりに周囲から似ている、と言われたために本人がそのことを言えなかったか、言っても信じてもらえなかった、ということも考えられる。

 伊丹が銀座の広告会社を経営していた際に、取引先からの仕事が入っていたが、この取引先の人物が平田信であったという。
 
 もし、別人で兄弟でも双子でもなければ、犯行動機は平田にある。
 伊丹が演歌歌手Mを調べようとしていたのも、平田信が演歌歌手Mであることを知らなかったが、何か気になるので調べようとしたら拉致された、ということも有り得る。
 伊丹は、昭和天皇の関係者だったらしいが、それを恨んでいたのがオウムだ。
 昭和天皇は、Aの宮とK嶋紀子が婚約した際に「もう天皇家はダメだ」と思った、と伝えられているが、その直後に女子高生コンクリート殺人が起きて昭和天皇は殺害されてしまったようだ。この時、死んだのは常陸宮の方か昭和天皇の方かわからないが、昭和天皇崩御ということになっている。
 Aの宮は皇后美智子と同一人物者である。昭和天皇は一応、美智子皇太子妃には信頼感を持っていたようだ。
 もし、平田信が伊丹の悪質なストーカーで、双子を名乗っていたとすれば、犯行の動機が平田信にあり、仮谷清志殺害の直接の実行犯ではないが、仮谷清志の殺害の動機を作っていた犯人、ということになる。
 
 平田信やオウムは、ある特定の人に寄生虫のようにストーカーし、本人になりすまし(時には本人そっくりに変装して犯行現場に居合わせてわざと本人を疑わせるように仕向ける)ついに宿主を殺してしまう、という性質を持っているが、仮谷清志もそれにあたることになる。
 しかも、それは今から2000年以上も前のイスラエルパレスチナの紛争に起因しているというのだから、ストーカー歴は2000年以上にもなる。 
 
 パレスチナ人だった伊丹十三

 パレスチナで平和に暮らしていた伊丹十三は、ある日、隣のイスラエル人に奇襲され、家に押しかけられた。
 そこでは、伊丹の子供も何人かいたが、子供を殺す代わりにお前だけ助けてやる、と脅され、家を追い出されるハメに。
 そこから伊丹の足取りはわからなくなるが、イスラエル人は伊丹の家にいた子供を殺したかさらうかしてキリスト教を設立。
 イスラエルは、パレスチナ人の家に押し入り、子供をさらうなどしてこれらの子供たち(パレスチナ人)を犠牲にキリスト教を立ちあげた。
 パレスチナ人とは、キリスト教の犠牲に使われたのである(家を奪い、子供を殺す、さらうなどして、親をいいなりにする)。

 伊丹十三ノアの箱舟

 伊丹の経営していた広告会社は、キリスト教と関係のある名前である。大水害の日に船で海に出て助かった人物の名前を社名にしている(ノアの箱舟に由来している)。だから、伊丹がキリスト教パレスチナに関係があったとしても少しもおかしくないのだ。

 ノアの箱舟とは、東日本大震災津波被害の時に、沖合いにいた方がかえって安全だとする探査船「ちきゅう号」にも似ている。
 この津波被害が起きた原因となる巨大地震震源地の福島県福島第一原発パレスチナ人の仮谷清志の遺体の一部があったのだ。
 つまり、犯人たちは、ノアの箱舟思想を逆手にとって、大災害の計画を立てていたのだ。

 イスラエル人が演歌歌手Mを拠り所にする理由

 イスラエルは、演歌歌手Mを拠り所にし、日本で活動をしている、という専らの噂がある。
 これは、パレスチナ人の数少ない生き残りの伊丹十三を仮谷拉致事件で殺害しているからで、殺したのは平田信で演歌歌手Mである。
 つまり、イスラエル人が演歌歌手Mを拠り所にしているのは、演歌歌手M(イスラエル人)が仮谷清志(パレスチナ人)を殺害したからで、それがイスラエル人が日本ではびこる原因となっているのだ。 
 平田信(演歌歌手M)は、フリーメーソンの創設者でもある。フリーメーソンの事実上の教義は、人と人をすりかえることであり、これがストーカーによる寄生虫行為のことである。

 演歌歌手Mは二人いるが、一人は平田信でもう一人は上裕である。しかし、上裕は、演歌歌手Mが昔所属していたU山田洋とCファイブのM本悦郎と同一人物であり、事件を起こすにあたって演歌歌手Mの素性がバレないためのカモフラージュのような存在が上裕であると思われる。
 M本悦郎が演歌歌手Mに扮するようになったのは、1980年代である。