宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-814    仮谷さん拉致事件のつづき

イラン革命のインチキ

 1978年9月にイラン革命が起きた。
 1953年から、アメリカ寄りのパーレビ国王がイランの国王になった。
 パーレビは、農地改革や森林国有化、国営企業の民営化、婦人参政権識字率の向上などを宣言し、白色革命を行なったが、1978年に、ホメイニ師の悪口を新聞が書いたことをきっかけに、民衆が立ち上がり、パーレビ政権を倒して、ホメイニ師をトップとするイスラム共和国の樹立と、ホメイニが提唱した「法学者の統治」に基づく国家体制を宣言した。
 この革命は、西側諸国にとっては衝撃的だった。
 民主化をすすめる王が嫌だ、といって、民衆の力だけで革命を成し遂げ、国民投票によりイスラム法を尊守するという法学者を国のトップとし、アメリカが後ろ盾をしていた王を追い出してしまったからだ。
 イラン革命は、他のイスラム国家にも大きな影響を与えた。
 それまで、だんだんと民主化をしていた近隣国は、「なんだ、やっぱり前のままでよかったのか」と安心感を与え、民主化せずに、これまでのイスラム国家体制でいけばいいのだ、と思ってしまう人も続出した。

 しかし、これには裏があった。
 王をしていたパーレビと、新しい国のトップとなったホメイニが同一人物だったのだ。
 このことは重要だ。なぜなら、民主化が嫌だったのは、実はイラン国民ではなく、王本人である可能性が高くなるからだ。
 王の権力や力を用いて、民衆が革命を成し遂げたことにすれば、西側も納得する、という計画を思いつき、それを実行したのだ。
 パーレビは、民主化政策の何が嫌だったかといえば、農地改革でもない、森林国有化でもない、婦人参政権の導入が嫌で嫌で仕方がなかったのだ。
 女をやれなくなったら、自分の権力もおかしくなる、有無を言わせず女を殺すことが出来れば、クリーンなイメージと政治力パワーが手に入る、それより何よりもっと嫌だったのは、これまでイビリ倒して残虐な殺し方をしていた女性の権利を認めるのがまっぴらだったのだ。

 パーレビは、何とかして婦人参政権の導入をやめたい、そう考えて、革命の自作自演を企み、それを民衆パワーのおかげにすることで「合法的に」しかも「アメリカに逆らったようには見えないように」革命に成功したのだ。
 そして、国王も法学者も両方とも自分なら、革命前も革命後もイランは自分が統治する国になる。

 ホメイニがイラン革命を成功させたことにより、近隣諸国は、再び、女性に対して暴力を振るう、権利を一切認めない、恐怖政治の顕著な特徴を、イランを崇拝することによって再開したのだ。
 
 パーレビでホメイニは、妓郷蟻析困任△襦
 この人物の政治信条を見れば、それは明らかだろう。

 赤軍派はイラン人

 赤軍派もおそらくイラン人だろう。
 赤軍派が台頭するきっかけとなった事件は、イスラエルのテルアビブ空港で起きたテロ事件だ。
 イランとイスラエルは、対立していることがあり、アメリカの仲介でイランとつながりを持ったイスラエルは、その後、イランとの貿易を拒否するようになったこともある。

 赤軍派が出てきたのは、日米安保条約締結の頃である。
 アメリカに反対する北朝鮮共産国とのつながりを持ったグループに見せかけて、実は日米安保条約を政治家の心の中で滞りなく結ばせるための自作自演だったのだ。
 国民が嫌だ、嫌だ、と騒いでゲリラ活動などをしていると、その反動で政治家は冷静にアメリカと条約を結ぶ。そして、本当に日米安保条約を嫌だと思う市民が出てこないようにアメリカの息のかかった(本当は中心的存在)「腹いせ劇場」を演じていたのだ。
 アメリカとイランは結びつきが強いらしい。
 北朝鮮はどうだろう。
 北朝鮮とイランは、兵器や核の貿易をしているようだ。
 アメリカと北朝鮮も実は裏で結びついている。
 アメリカ-イラン-北朝鮮の関係を知ることが赤軍派事件の本質に通じるのだろう。

 赤軍派は、アラブ赤軍派というグループがあった。
 アラブ人は、イラン人と対立しており、昔からの紛争がある。
 イラン人は、自分たちと他国の人をすりかえて物を言うことがあり、アラブ赤軍派は、本当はイラン赤軍派である可能性がある(イラン赤軍派も日本の赤軍派も同じメンバーだろう)。
 赤軍派の起こしたハイジャック事件や旅客機テロ事件は、イランに関係がある可能性がある。
 仲の悪い国の空港や旅客機を乗っ取り、テロ事件の捜査に弱い日本にそれをなすりつけ、未解決事件でもってそれらイランと仲の悪い国々を支配しようとしたのではないだろうか。