宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-519    仮谷さん拉致事件のつづき

 
 
 オランダとフェリペ2世
 
 スペインの王だったフェリペ2世は2世は(麻原であると言われている人物→実際には麻原ではない可能性もある)、スペインの他、ポルトガルネーデルランド(オランダ)、ナポリ、ミラノなど(イタリアの都市部)の王も兼ねていた。
 しかし、ネーデルランドはそのことに不満を持ち、独立戦争を行っている。
 フェリペに対抗したネーデルランドオラニエ公という人物が、ネーデルランドの北部7州を実効支配するようになり、ネーデルランド連合王国(ベルギー、ルクセンブルクなど南ネーデルランドを含む)を樹立した(オラニエ・ナッサウ家の一族ウイレム一世が即位)。
 しかし、このオラニエ公という人物が、フェリペ2世とよく似ていて、同一人物である可能性がある。
 そうすると、オランダはフェリペの支配でもよかったのだが、スペイン王ということが気に入らなく、特に、スペイン人に合わせるのが嫌だったために、独立運動を起こして、スペインはずしをしたかったということになる。スペインは、闘牛など、「赤」にものにこだわるところがあり、そこが好きではなかった、ということも一因なのかも知れない(赤狩りに通じる?)。
 オランダがあまりにも独立にこだわるために、フェリペも辟易していたことが見て取れ、フェリペは意外にもオランダに弱かった可能性もある。オランダ独立戦争の時、スペインのフェリペ王としては、財政が破綻に陥っており、このことで疲弊し、他の要因(病気の蔓延)もあり死去したという。
 フェリペがオランダに意外と弱かったとすれば、慶応時代の政変や今の状況は、フェリペがオランダに物をあげるために日本が使われている、という可能性も出てくる。
 オランダは、徳川時代に出島などに住み、鎖国の徳川政権下でも一定の貿易を行っており、これが何故だかわからなかったのだが、フェリペとの関係を維持(日本に攻撃しないこと)する条件として徳川家がオランダとの貿易を許可していた、ということも有りうる。
 つまり、フェリペはオランダの面倒を見ていて、その面倒の押し付け場所が日本だった、という可能性がある。何故かというと、日本は国際情勢にうといこともあるが、ヨーロッパは、自分たちの周辺で起きる問題を常にアジアに押し付けることを考えており、平和ボケな日本がうってつけなのだ。
 オランダとの比較でいえば、オランダは小さなことでもすぐ気づき、物を言い、すぐそれに対応する国民性であるのに対し、日本人はわかっていても言わないのが美徳で、上司はいつかはわかってくれる、と思い込んで自分の言いたいことも全く言わず、それが平和のためだ、長続きするコツだ、と考えているところが正反対なのだ。
 だから、外国から見て押し付けるには最適の国で、しかも軍も弱い。
 何もしなくてもボヤボヤしている間に敵国に侵入され殺害されても、それが後世に的確に伝わらない。
 こういうところを見透かされて、天皇(朝廷)をかばうことがオランダをかばうことに使われた感のある慶応時代の政変だが、実は、慶応時代はもともとは元治という元号だったのだが、社会不安の際の改元により、慶応と改められた。その慶応の他に「平成」という元号の候補があったというので驚く(今の日本の元号は平成)。
 1984年に、聖徳太子から福沢諭吉に一万円札の肖像が変わったが、これにたかって群がっているのが慶応大学OBの官僚たちである。
 
 慶応大学とオランダ
 
 慶応大学は、もともとは、蘭学塾であった。蘭学とは、医学、化学、物理学、天文学などである。オランダによって徳川幕府が倒幕されたとちょうど同じ時期に慶応の蘭学塾が創設されており、このオランダの時代はあとからその蘭学塾の名前を取って慶応時代と名づけられている。
 たった3年の間に、徳川家茂が死亡し孝明天皇が死亡し、王政復古が成立している。
 いってみれば、政治に幕府はいらず、朝廷の命令に従えよ、ということであり、その朝廷がオランダとグルだったか、朝廷があればオランダが守られる、朝廷がオランダや慶応に守られる、などの利益の一致があったのだろう。
 ところで、福沢諭吉が一万円札の肖像になってから5年後に、慶応時代の元号の候補だった「平成」が元号に使用されることになった。
 これはどういうことなのだろう。
 またオランダ式開国、政変、革命、大量殺人など慶応時代の忌まわしい出来事が復活すればいい、と思ってのことなのだろうか。
 人によって捕らえ方はさまざまだが、日本は慶応時代には、戦争なき敗戦をしたというのが多くの見方だろう。
 その時代を思い出して、朝廷(今の天皇ひかりの輪の上裕と同一人物)につかない人たちを(一万円札の)金によって皆殺ししよう、という思惑も見えてきそうだ。そして、そのことによって守られたり繁盛するのが慶応大学で、自民党は慶応大学OBの生活の面倒は見れるが、他の人たちのことは全く無視していても天皇からしかられることはない、ということだ。