菊池直子の「天皇を殺した」はウソ
御茶ノ水の広告調査会社のM田という人物は、演歌歌手Mであることがわかった。
1996年頃、菊池直子(Ⅰ原慎太郎→A元と名乗っていた、旧姓はN階堂)は、社内を自分中心の体制にするために、「天皇を殺した」と吹聴し、対立する人たちをそのパワーで左遷させたりしていた。しかし、天皇は高橋克也であり、高橋は生きていて、2012年に自首もしていることから、菊池直子はウソをついて自分中心の社内体制にしたかった、ということになる。
菊池が殺した人物というのは、六義園で殺害されたS木裕行さんか、その息子だろう。
菊池が殺した、と言っていたのは、このS木さんであるということは、この人物が天皇ということなのだろうか。警察で死んだことになっていたが、その後生き返ったのだろうのだろうか。
菊池は、天皇を殺したと吹聴して、そのように思い込んだのか、1996年の殺害後に、六義園近くの高級住宅の並ぶ通りで、近くの女子中学生や女子高生を騙して拉致し、サティアンに連れ込む、という事件を起こしていたようだ。このことは、公表されていないが、管轄の警察署で知られている。
この事件の後から、M田は、会社に出勤する日が極端に少なくなっている。
「天皇を殺した」
最近になり、犯人は、A元と吉田であることがわかってきた。
A元は菊池直子と同一人物で、本名はN階堂だが、ある時「結婚して苗字が変わったからA元さんと呼んでね」と言ってきたが、実際には結婚して苗字が変わったわけではないのに、ウソをついて社内で呼ばせる名前を変更していたのだ。
それは、菊池直子や麻原彰晃(同一人物)として捜査の手が迫っていたので、同じ名前で呼び続けられると、会社に来れなくなるからだ。この会社は、当時、他にもたくさんのオウム信者がいて、A元にとっては居心地のよい会社だったのだ。
ところで、S木さんを殺害した、もう一人の犯人の吉田は、高橋克也と同一人物である。
事件が未解決なことをいいことに、女子高生などをサティアンに連れて行ったようだ。
「タレントになりたいならウチに来なさい」などと言って言葉巧みに騙していたという話もある。
A元と吉田が殺害した人物が、天皇なのだろうか。
そうではないはずだ。
それは、吉田が天皇だからだ。
謎の共同通信社
この事件の後、S木さんの会社と取引のある文京区内の会社の社長宅に、共同通信社の記者が取材と称してやってきた。
この記者は、知人である社長を、「S木さんが殺害されたが、お前が何か知っているのではないか」と心理的に脅迫し、社長から、ウソの証言を得ることに成功している。
その証言は、事実とは全く異なるものだが、そう言わないと帰らないか、別の記事を書く、と脅迫でもしたようだ。
その社長の子供が、御茶ノ水の広告調査会社で働いていた、A元の同僚だった。
S木さん殺害は、犯人は、A元と吉田という同僚だったので、社長の子も犯人と同僚だったことになる。
S木さん殺害の犯人は、「息子と交際していた女」だったことを知っていたようだが、社長は何らかのことで脅迫されて、自分の子が息子と交際していた、と言ってしまったのだ。
ところが、事実は全然違う。
社長の子はA元と同僚なだけで、社長の子は息子と交際していたわけではない。
会社での力関係が、A元の方が若干上だったので、A元のしていることを社長の子に押し付けられた、という感じが本当だったのが、それがわからなくて、自分の子が息子と交際していた、と記者に言ってしまったのだ。
そして、この共同通信社の記者は、S木さんにも似ていて、S木さんはM田に顔がよく似ていた。
三人は同一人物かも知れない。
もし、三人が同一人物なら、S木さんは刺殺された後、生き返り、普通に生活し、M田とS木さん、共同通信社の記者の三人を使い分けていたのだ。
M田は、事件後から会社にあまり出社しなくなり、「どうしたのだろう」と思われていた。
しかし、裏では、菊池直子を別人(前出の社長の子)とすりかえる謀略をし、冤罪捜査の原因を作っていたと考えられる。
M田は、社長の子が退職した後、A元とその人を入れ替えて、捜査しにやって来た警察官に偽証をし、従業員のS崎(アルバイトの伊藤、仮谷清志)もそれに習い、会社の人たちによる集団偽証を行った。
S木さんの刺殺事件で一番損をしたのは、社長の子でA元の同僚だったことになる。
S木さんの刺殺事件は、謀略だったことになる。