宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ㉙-1015    仮谷さん拉致事件のつづき

 

 仮谷家の菊地直子がたかっていた家

 

 仮谷清志は、菊地直子の叔父と同一人物であると思われる。菊地直子の母親は、仮谷清志の妹のN愛子と同一人物で、自作自演の仮谷拉致事件劇を最初に持ち込んだE川紹子と同一人物である。

 E川紹子は、麻原彰晃とも同一人物である。つまり、仮谷清志の妹が麻原彰晃で、仮谷家はオウム一家ではないのだろうか。麻原彰晃には兄弟が多く、その麻原彰晃の兄が仮谷清志ということにもなる。

 仮谷清志本人は、麻原彰晃の妻の松本知子(平田信)とも同一人物で、麻原が狙っていた財産は、身内で妻の財産ということになる。    

 松本知子は、平成の天皇とも同一人物で、麻原彰晃が狙っていた財産は、天皇家の財産ということでもあるのだろうか。仮谷清志の当て馬として、拉致殺人事件を自作自演した高橋克也は、浩の宮と同一人物である。その直後、ある人物の子がたくさん殺害されたと言われたのは、浩の宮の弟のAの宮の子のことである。このようにオウム真理教は、天皇家と関係があり、また、仮谷家も天皇家と関係があると思われる。資産家殺人の被害が拡大したのは、天皇家の人物が仮谷清志だったからである。

 菊地直子は、裁判で無罪になっているが、その裁判の被告として出廷した人物が本物ではなく、本物の菊地直子は、陪審員として何喰わぬ顔をして、無罪判決を出した人物である。

 菊地直子は、1980年代に、文京区大塚のK村Y子という名前を名乗っていた女の兄であり、このK村家の別宅が埼玉県草加市の菊地家である。兄の妹のK村Y子は、演歌歌手Мと結婚の約束をしているらしい。しかし、演歌歌手М(浩の宮)は、男女関係を持った女の親を殺すという性癖を持っており(後に統一教会の創設者であることがわかっている)、K村家としては演歌歌手Мに家族を殺されたくなかったために、ある家にそれをそっくりそのまま押し付ける計画を立てた。K村Y子の兄は、K村Y子の通っていた文京区の学校の名前だけ同じの同級生(U田Y子という名前)に目をつけ、この家とその娘にK村Y子のことを押し付けて、演歌歌手Мに親を殺させようとしたのだと思われる。

 兄は、U田家の静岡県河津町に住む祖父と同一人物だったので、息子のTに「大塚にK村Y子といういい女がいるので、お前の娘のY子と入れ替えてみないか」等と言い、逆らうのが嫌だった息子が、さっそく文京区大塚の繁華街に行き、派手に行動するようになった。そこで、その地域のドン的存在の人物と知り合いになったが、Tの話を聞いたその人物は、Tのことを「自分の娘にそんなことを押し付けるなんてバカだ」と思っていたが、Tと出会った1年後にそのドン的人物は死んでしまっている。そこでやめておけばいいのに、祖父は、息子にまだそれをやるよう命令し、1990年にK村Y子が兄に殺害された後も続けるよう命令した。K村Y子を殺害し、なりすましている兄こそ、菊地直子である。

 U田家の祖父は、1998年5月頃に死んでいるが、その後、K村Y子で兄の母親の、K村TえがU田家に入ってくるようになり、U田家は一変した。TやTの娘二人(U田Y子さんやその妹)は追い出され、後から生まれたTのフリをするK村Tえと後妻とその子供の家族がU田家になった。

 その直前に、K村Tえは、М銀行小石川支店に、U田Y子さん名義の偽造口座を作り、K村Y子(菊地直子)とU田Y子さんを入れ替えるための謀略口座とし、K村Y子がうまく行かなかった時に、その口座に金を振り込むなどし、U田Y子さんに迷惑をかけ、K村Y子の支援をする、というような謀略が行われ、U田家の祖父の妻だった祖母等にも、K村Y子とU田Y子をすりかえてくれ、という名目の金をその偽造口座を使って渡していた。

 このように、家族全員が、K村Y子とU田Y子をすりかえる謀略を、K村家から金をもらって行うようになり、本来はK村Y子である菊地直子を、U田Y子さんであるかのような噂を立てられ、吹聴がまかり通るようになっていたのだ。

 K村家の謀略は、U田Y子さんの母親にまで及ぶようになった。

 U田Y子さんの父母は、1986年頃離婚しており、父親は文京区本郷に住んでいて、母親は江東区に住むようになった。

 K村家は、どうしても菊地直子として指名手配されたK村Y子をU田Y子に押し付けたくて、母親の住む江東区のマンションにもK村Tえ(Ⅰ田大作と同一人物でもある)らは、勝手に出入りするようになった。

 U田さんの母親の方は、「何だか仮谷家の人たちが勝手に家に入ってくるな」ということがうすうすとわかっていたようだ。93年頃にも、オウム信者がマンションの階段部分でU田さんの母親を待ち伏せして階段から突き落とすという事件を起こしており、U田さんの母親に迷惑をかけるようになっていた。

 菊地直子として指名手配される前から、K村Y子らは、U田Y子さんらに入れ替える謀略の迷惑をかけているが、オウム的には、K村Y子を指名手配犯にしようという計画が最初からあったのではないだろうか。

 菊地直子(K村Y子でK村Y子の兄)は、オウム内でもU田Y子に自身を押し付ける謀略をしている。

 

 オウム内でもU田Y子さんに入れ替える謀略

 

 K村Y子は、オウム内で麻原からマラソン大会の出場者として紹介された時に、事前に「U田Y子という名前だったことにしてくれ」と麻原に頼んでいて、麻原が「今度マラソン大会に出場することになった、えーと何だったけ、U田Y子さんだったけ?U田Y子さんです」と言っている。しかし、マラソン大会に出場したのは実際にはK村Y子で菊地直子であり、信者でもないU田Y子さんはマラソン大会に出場したこともなく、マラソンに興味も持っていない。

 

 K村家はミャンマーに由来する家

 

 菊地直子のK村家は、ミャンマーの国王か富豪の家に由来する。菊地直子は、イギリスのフィリップ殿下と同一人物でもある。一方、菊地直子らがこだわってたかってストーカーしていたU田家は、イギリスのエリザベス女王が在籍していたことがある家で、エリザベス女王とフィリップ殿下の確執は、国際社会でも知られた存在だ。

 フィリップ殿下は、イギリス王室の婿になってから「女が国王をしているのはもっての他だ」と言い、直後にドイツに亡命し、自身がイギリス国王になれるよう、イギリス王室の権限を背景にドイツ政権(ヒットラー政権)に頼み、イタリア、日本からも合意を取り付けている。このため、イギリス王室を婿でありながら敵対視するようになっており、戦争が終わった後も、イギリス王室の財産を狙った事件を起こしている(福田和子事件)。

 菊地直子がどうしても逮捕、有罪にされたくないのは、その女性蔑視思想を堅持するか発展させるためだろう。