葛飾区金町にある運送会社
葛飾区金町にS井という運送会社がある。正田英三郎氏が死亡したと報道された数日後に、シンガーソングライターM下孝蔵という歌手が死亡したと報道された。正田英三郎氏が死亡したのは1999年6月18日、M下孝蔵が死亡したのは1999年6月24日である。
金町にあるS井運輸で、M下孝蔵が葬式をしていた、という噂があった。しかし、M下孝蔵は、中野区にあるH寺という寺で葬儀が行われている。
葬式をしていたのは、葛飾区の方ではないはずだが、死亡した時に住んでいたのが葛飾区金町であった可能性がある。
しかし、奇妙なことに、佐賀一丁目の丸T運輸の裏にある「丸」という文字のつく会社があり、この会社は、葛飾区のS井運輸と建物の作りがそっくりである。
葛飾金町のS井運輸と丸T運輸の裏にある「丸」のつく会社は、同じ会社なのだろうか。二つの会社は名前が違うが、建物の作りがそっくりで、同じ系列の会社であるとしたら、一族が経営していた可能性がある。
S井運送で葬儀をしていた、という噂は、葛飾の方ではなく、江東区佐賀の方なのではないだろうか。あるいは、葛飾区の方であるとしたら、葬儀をしていたのは、M下孝蔵ではなく、同時期に死亡した正田英三郎氏の方なのではないだろうか。
正田英三郎氏の家は、葛飾区か佐賀の会社社長の裏にある家だったのではないだろうか。
もし、そうだとすると、佐賀一丁目の会社社長が1997年に死亡した後、裏に住んでいた正田さんがいるはずで、この辺りには、正田さん一族が住んでいた可能性がある。
あるいは、S井運送がM下孝蔵が住むようになっていて、正田さんの家族が会社社長の直後に死んだ後に殺害されていたとしたら、この家をもらっていたのは、M孝蔵であることが考えられる。
M下孝蔵は、後藤組の後藤忠政と同一人物であり、正田英三郎と同一人物の伊丹十三の自殺の原因を作った人物は、後藤である。
一族を殺害した仲間に後藤がいたとしたも不思議ではない。
後藤忠政や後藤組は、オウム信者がほとんどで、麻原彰晃のバックは後藤組である。
佐賀一丁目の丸T運輸会社の近くに、Uという会社があり、この会社の経営者が後藤と同一人物である。さらに、S啓の会社と建物の作りが似ていて、会社の名前は違うが、関係のある会社であることが考えられる。
皇后一族が経営する会社は日本社会に大きな影響力を持っていた
天皇の妻の家として、正田家は、丸T運輸をはじめ、自動車製造や日本の伝統文化に関係する業種の会社を経営していた。
そして、その業界の誰もが、正田家の経営する会社を中心に回っていたはずである。
しかし、それを正田家一族を殺害することにより奪っていたのがオウムである。
新しい天皇が即位するたびに妻の一族が殺害されていたのは、このような仕組みを知っていたオウムでありニセの一族が、日本の社会を牛耳ろうとしてか、崩壊を狙っていたものであると考えられる。
ニセの一族はいつも同じ一族であり、替え玉の女もいつも同じ人間である。
そして、この一族のバックにいるのは、アメリカが合衆国(CIA)である。
アメリカは実は熱心なキリスト教信者が多く、徳川一家を狙っていたのも、キリストでありアメリカであると考えられる。
何故、徳川が狙われていたかというと、いつも幕府や徳川家に妨害をしてくるのがキリスト教の犯罪組織であり、徳川家は、警察の前身に逮捕するよう命令していた。しかし、いくら逮捕しても一向に犯罪の減らない警察は、徳川家の命令を聞くより、キリスト教側についた方が得が多いとして、キリスト教と警察が結びついてしまった。それが、鹿児島で起きた西南の役である。
江東区にあるオウム一家
江東区の砂町銀座商店街の近くに北砂という町があり、この町にオウムが住む家がある。
K沢という家で、麻原彰晃と松本知子夫婦、娘の菊池直子(大内早苗、E川紹子と同一人物)、息子の大内利裕、平田信の一家である。隣の家のWという家に一人息子がいて、この息子が高橋克也である。母親はアーチャリーであると思われる。
オウムの道場が亀戸にあったが、オウムの家族が住む家から車で10~15分ぐらいの同じ区内である。
麻原彰晃は、創価学会の学会員だが、名誉会長のI田D作は、麻原が長年働いていた会社の上司である。他の家族も皆、創価学会員で、オウムは創価学会の二次団体のようなものである。
そのため、麻原彰晃よりもI田の方が力があり、I田は野田という信者である。
他の幹部もI田の方が力があると思いがちだが、内部抗争があり、I田派と上佑派がある。しかし、上佑の方が力が上で、I田派は上佑派に逆らえないが、I田は皇族のHの宮と同一人物なので、微妙である。