つまり、本当に張作霖が死亡していたならば、このようなことにはならなかったのに、張作霖が死亡したと思い込み、実は昭和天皇の息子が死んでいた、という逆の真相があった、と考えることも出来る。
これ以前、張作霖は実は日露戦争でも登場する。
張作霖は、もとはロシアのスパイだったが、日本軍に見つかり、逮捕された。しかし、当時の関東参謀の児玉源太郎(ロッキード社の児玉Yの父で台湾の総統をしていたことがある→A前首相が児玉の息子Yか、昔にYを殺していたと思われる・A前首相は、別名でロ社の日本代理店をしていた・A前首相とHTの宮は同一人物である)に助けられ、処刑を免れ、その後、日本のスパイとして、ロシアの情報収拾をした。
日本は日露戦争で勝利したが、その時の恨みを抱いていた可能性もある。 あるいは、溥儀皇帝が最後の皇帝になったこと※を恨みに思い、日本の天皇の息子を物理的にすりかえ、天皇家をのっとろうと計画したのかも知れない。
明仁一族殺人に関わる中心的人物は、明仁と天皇継承をめぐり対立していたHTの宮で中国の趙爾巽の息子と、森順子で皇后MでT元外相で西太后の娘である。T元外相は、自分が産んだ天皇の息子を二人を、亡くしている。これは、赤軍派がマドンナだったT元外相で皇后Mの意を汲んだものではないだろうか。今、Aの宮をしている人物も、赤軍派の魚本公博で演歌歌手Mである。赤木志郎は、A前首相である可能性がある(赤木志郎は1970年頃、赤木志郎名義の偽造パスポートを渡辺元会長を介して文京区に住む男性に持っているように、と言い、渡している。また、男性の妻には、森順子の偽造パスポートを渡辺元会長の妻を介して渡している)。
中国最後の皇帝溥儀は、3歳で西太后に次期皇帝に任命された。その後、養父と西太后は相次いで死亡する。
溥儀の母親は5人にいた。
溥儀の即位した時代は、清国に陰りが見え始めた頃で、清国反対派が溥儀の住む紫禁城を狙ったりしていた。
溥儀は清国最後の皇帝となったのは、西太后の時代から決まっていたことであり、日本のせいではない。溥儀の側近だった者が陰りの見え始めた清国を支配か統治しようとして、西太后を殺そうとしていたので、西太后は溥儀を次期皇帝に任命したのだろう。
実は、日本にも、徳川時代末期に同じようなことが起こり、将軍の側近や政治家が当時の将軍を暗殺したり、ライバルを暗殺したりしていた。そのバックには、欧米がいた。
これは、イギリスやアメリカ、ロシアの通商貿易を押さえられなくなり、鎖国をしていた徳川が恨みを買ったものであると思われる(本当の狙いは日本を支配すること→その際に天皇家を脅したか、天皇家を助ける代わりに徳川家を狙わせた)。
中国にも同じことが言え、溥儀の家庭教師や欧米の友人たち(スパイ)が、中国を開かせようと企んだものではないだろうか。
蒋介石の国民党は、西太后や養子の墓地を荒らしたともいう。
蒋介石は、台湾人でアメリカと親しくしているし、中国と台湾の内戦も起きている。
中国と日本は同じような経緯で、皇帝や将軍を失っているが、溥儀の時代には日本も欧米と戦争をしようとしていた直前であり、溥儀皇帝や清国が衰退したのは、欧米のスパイの計画のためだった可能性がある。
溥儀は、殺害されたわけではなく、何度か皇帝になり退位し、最後は一般国民となり、死亡した。
赤軍派は北朝鮮のイメージがあるが、中国も関係がある。
森順子は、西太后の娘で中国人である。その森順子が皇后Mである。森順子は赤軍派のマドンナである。
天皇家と赤軍派の関係
・Hの宮・・・田宮高麿
・Aの宮・・・魚本公博
・清子・・・森順子の娘
「明仁」の子全員が、赤軍派と関係がある。
そのうち、Hの宮とAの宮の本物は、殺害されている。
天皇継承をめぐり、事件が起きている。
Hの宮を殺して自分が天皇になろうとする平田信と父親のHTの宮とその
息子(覚せい剤容疑で逮捕されているO尾M)が、Hの宮(政治家をしている)の自宅に1月26日に弾丸を送りつけている。
平田信のHTの宮ファミリーとしては、Hの宮で民主党のO前党首を殺害しなくては、自分の芽がない、と思っているようだ。