宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件92 赤軍派の革命計画

 
 赤軍派の革命計画

 赤軍派の革命計画は、おおまかに分けて3種類(段階)あり、P作戦、B作戦、M作戦がある。

 P(ペガサス)作戦・・・要人を誘拐し、獄中の塩見孝也を釈放する作戦で、毛沢東の中国に亡命し、中国で革命を起こそうとする作戦。
 B(ブロンコ)作戦・・・アメリカと日本の政治中枢を同時多発テロを起こし破壊しようとする作戦。
 M(マフィア)作戦・・・銀行や郵便局に銀行強盗に入り、革命計画を実行するための資金を調達する作戦。

 これは、銀行強盗事件(3億円事件なと、赤軍派は数回1970年初頭に銀行強盗事件を起こしている)、タリバンのテロ事件、中国のカルト・法輪功法輪功は1980年代前半に設立されている)のことと一致している。
 彼らの根本は、赤軍派の思想であると思われる。

 A前首相が天皇に間違えられる理由

 そして、P(ペガサス)作戦では、塩見孝也だけの釈放にこだわっている。これは、塩見が明仁天皇であることを示すものでもあり(塩見孝也は、顔と声が明仁によく似ている)、塩見(天皇→当時は皇太子・しかし、赤軍派の中で一番権力を持っている人物)のために、中国で革命を起こすことすら考えていたようであることがうかがえる。
 このことから、塩見が投獄されていたといわれる1982年~1989年まで、明仁皇太子の役を、監獄にいる塩見に代わってしていたのは、昭和天皇から「白痴」といわれていたA前首(HTの宮)ではなかったのだろうか。
 しかし、1989年に昭和天皇崩御し、11ヶ月後、自分が天皇に即位していることを知り、釈放しろと自ら命令をし、明仁天皇塩見孝也が監獄から出てきたのではないだろうか。
 
 A前首相が明仁天皇と同一人物に見えるのは、塩見が投獄されている間、皇太子の代役をしていたためと、その間、昭和天皇に不審に思われていたために、A前首相と昭和天皇の確執が生まれたのではないだろうか。