宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝剤探偵所の迷宮事件 39-28    上野公園ボート池殺人事件のつづき

 M皇后は、樺美智子に顔がそっくりであり、樺美智子も赤軍派などの仲間である。
 しかし、天皇明仁との間に王子や王女(Hの宮やAの宮、Nの宮)などの子供はない。だから、明仁は自分の子ではないので殺害しようと計画し、それを赤軍派の田宮高麿(Hの宮と同一人物)や 、赤木志朗ら赤軍派に頼んだ。そして、自分の息のかかかった者や親族を天皇家の嫁にしたり、殺害して替え玉をさせたりしている。
 
 M皇后とK原さんの妻の顔はよく似ている。 
 そして、K原さんの妻と娘のC子さんは、同一人物の可能性がある。
 もし、同一人物だとすると、M皇后の一般社会としての夫が高松宮であり、父親がマッカーサーでA生元首相ということになる(M皇后は、赤軍派闘争時代にバイクで大量の人を轢き殺していたことがあると思われる)。
 明仁を殺害した人物の娘と明の替え玉との結婚ということになる。
 赤軍派闘争と明仁皇太子のご成婚が同時期なのは、そのせいであると思われる。しかも、赤軍派北朝鮮人だが、明仁皇太子の替え玉は、ドイツ人である他に、北朝鮮の金総書記とも同一人物である。
 渡辺芳則はさらに、サウジアラビアの国王か息子を殺害していて、王の地位にある。


 被害者の佐藤さんは法華講員だった

 法華講員とは、古参の日蓮宗の信者のことで、S学会は、法華講員にしてみれば、日蓮宗新興宗教にした新参者であり、S学会は新しい信者を獲得し組織を大きくするために、悪どいことをしていたのだろう。実際に、会長や幹部は暴力団構成員がほとんどで、法華講員にしてみれば、それが嫌だったのかも知れない。もしかすると、S学会が山口組系なことに対して、法華講員は、稲川会である(実際にはS学会の幹部には、山口組と稲川会のまたがけ構成員がいる)とか、住吉会であるとか、暴力団の組が違っていた、などということもあるのかも知れない。
 法華講員とは、だいたい、規律などを重んじたり、人間関係などで相手に対し礼儀を重んじたりする傾向があり、それに対してS学会は、そういう性質は困る、面倒、というタイプである。そして、そういう人たち(法華講員)を操ることが出来れば、人望が集められる、と考えている人たちであり、この辺の考え方の違いが、S学会と法華講員の思想の違いでもある。
 また、日蓮宗を信仰する者の中で、稲川会構成員や住吉会構成員が排除されてきた、などという経緯もあるかも知れない。
 この事件の佐藤さんという法華講員は、住吉会の会長のF原R三という人物であったと思われ、友人の山谷氏は、稲川会である。
 佐藤さんは、事件の起きる半年前に、自宅でS学会でオウム信者らに脅迫を受けていた際、上の警察署に通報している。警察が駆け付けているので、調書が残っているはずである。
 その時、佐藤さんは、自分の名前が全部バレることを怖れて、佐藤という苗字と友人の山谷氏の名前をとって、佐藤K成と名乗っているという。
 警察は、この謎がわからなでいる、という情報もある。
 
 大正天皇は、日蓮宗の信者の親戚を妻にしていて、政策の基盤が日蓮宗だったという。
 しかし、大正天皇の息子たちは、実際にまだ生きており、彼らは暴力団山口組の幹部である。
 一方、大正天皇の息子が父親と呼んでいた人物が1988年頃にS学会により殺害されており、S学会の幹部は、この人物を大正天皇と思い込んでいた。
 しかし、大正天皇の息子が父親と呼んでいた人物は大正天皇ではなく、息子が父親と呼んでいたために間違えられていたのだと思われる。
 そして、大正天皇の息子たちは、山口組の幹部であり、その中の一人はA谷栄之助というS学会の幹部である。
 大石寺と呼ばれるS学会といざこざを起こしている寺があり、この大石寺の肩を持っている幹部がA谷である。
 この人物は、渡辺芳則や明仁天皇とも同一人物である。
 
 A谷氏は、大石寺側についていた人物ということになっているが、A谷氏は、山口組の組長だった渡辺芳則で、A谷氏の思想と他の法華講員(山口組でない他の暴力団の構成員やその人物についている人たち)との間に考え方の違いがあり、A谷氏は自分が助かるか幹部になるために、他の法華講員を脅迫したり殺害したりすることに加担したかったが、自分では出来なかったらしい。しかし、A谷氏には娘がいて、この娘が代わりに脅迫に加担したり殺害に加わっていた。
 A谷氏の娘は、I田D作の妻のN子と同一人物であり、I田とA谷のかけ橋のような存在だった。