秋田県か青森県に、杉沢という場所があり、村だったが、集団で村人が殺害される事件が起きたとかで、村がなくなっている。
この村のことは、津山30人殺しとつながりがあるとされるが、津山30人殺しでは、昭和天皇の妃の島津良子(ながこ)が殺害され、それを知られると困る犯人が村人を30人殺したのではないかと思われる事件である。
この津山30人殺しと関係があるとすれば、次の代の正田美智子さんの関係者が逃げ住んでいたか、正田美智子さんの一族か関係者も同じように殺害されていて、遺体を杉沢か東北に埋めた可能性がある。
天皇陛下の病気が人体実験に発展
天皇の病気の様子を宮内庁病院に聞いてきた医療機械の関連会社がある。
この会社の幹部が、明仁天皇と同級生だという橋本Aという人物で、橋本Aは、宮内庁病院(東大病院)が「人体実験でもできれば・・・」と言うのを聞いて、早速実行に移した。
そして、それが正田一族の殺害と、大勢の人の解剖死につながっている。
天皇のために人体実験をするとなると、妻の家だという連想から、正田美智子さんをサリン事件の被害に遭わせ、障害者施設に入院させた。そして、このような病院に入院しているからいいんだ、と人体実験を家族に行った。 天皇の病気のことを橋本Aが、正田家と人たちと話し合う会をもうけ、その会の入り口(屋形船の船上口)で銃殺し、人体実験を行い、江東区にある江戸資料館の厠に埋めた。
その後、心配してやってきた日清の関連会社や日本の財界人などを人体実験と称し、オウム施設内で殺害していた。
橋本Aは、オウムの上佑である。そしい、橋本が幹部であるS啓という会社には、オウム信者が働いていた。
グリコ事件の時、トイレで暴行されていたのは正田美智子さん
江崎グリコ・森永事件の時、犯人が終息宣言を出す直前に、正田美智子さんは、亀戸の亀戸公園のトイレ内で、赤軍派に暴行を受けた。その後、入院し、回復している。
グリコ事件では、Nの宮の誘拐が目的だったが、Nの宮は、赤軍派などに連れ去られ、1978年頃、すでに殺害されて江東区のマンホール内に遺棄された。
誘拐されたのは、正田美智子さんと正田英三郎氏で、犯人が社長をするという条件で正田英三郎氏は逃げ出している。Nの宮と間違えられて誘拐された正田美智子さんは、一時、犯人グループの家に住んでいたが、亀戸公園のトイレ内で暴行を受けた。そして、その直後にグリコ事件の終息宣言が出された。
犯人グループの中には、明仁天皇も含まれていて、正田美智子さんと明仁天皇の仲は良くなかったようだ。
これは、正田美智子さんが、皇太子との成婚を辞退していたためで、正田美智子さんの替え玉となったのが、E頭Y美子さんだった。
つまり、二人は入れ替わっていたが、E頭Y美子さんと入れ替わる前から、正田さんの関係する人が、殺害され、正田家は皇太子の世話をせざるを得ない状況となっていた。
昭和天皇は、注射を打たれ解剖死した
仮谷拉致事件で殺害された天皇というのは、昭和天皇のことであると思われ、江東区の会社で働いていた昭和天皇は、佐々木規夫という赤軍派に注射を打たれ、解剖死させられている。
佐々木規夫は蒋介石の息子であると思われ、兄弟から天皇陛下と呼ばれていた。
殺害された昭和天皇は、葛西臨海公園のなぎさにある松の木の下か、野鳥観察地帯に埋められたと思われる。
これは、仮谷さんが明仁天皇と同一人物だったが、明仁天皇を殺害するわけにはいかなかったので、明仁天皇の邪魔になる人を、明仁天皇の犠牲として殺害していた。
仮谷さんは、A生元首相ではなく、明仁天皇と同一人物だったようだ。
明仁天皇で仮谷氏をかばうために、邪魔になる人々を大量殺害していたが、そういう人たちを医療のためと称して行っていたのが、橋本AのS啓という会社であり、親玉のドイツ系のTルモという医療機械製造会社やドイツのSメンス社という軍閥の医療機械製造会社である。
Sメンス社は、電信設備、鉄道、電灯、家電、医療機械などを発明・販売している企業で、兵器の製造にも関わっていると思われ、天皇の名の元に大勢の日本人や財界人(経団連など)、役人、一般人、学生、子供などを殺害し、医療機械の性能を試したり、兵器開発に利用していたりしていた。
そして、これらの実験の殺害行為が、仮谷さん拉致事件の内容である。
つまり、仮谷さんを殺害しないために、他の人たちを大量殺害した、だって天皇陛下だろう、というオウムの理屈である。
天皇にとっての邪魔者は、兄弟、親戚を含め、オウムやドイツに大量殺害された。