宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 天皇陛下殺人事件 116 姉歯物件の場所の殺人は女性天皇計画のため

 姉歯物件のあった(ある)場所(1998~2006年頃)

 建築主 ヒューザー

 竹の塚 
 北千住 
 池上 
 江川 
 赤羽 
 鶴見 
 新横浜 
 町屋 
 浮間公園 
 川口
 東陽町 
 下総中山 
 町田 
 豊田 
 北烏山 
 稲城 
 溝ノ口 
 東向島 
 川崎大師
 住吉 
 横浜鶴見 
 藤沢 
 船橋 
 船橋海神

 建築主 シノケン

 初台 
 麻布 
 西早稲田 
 芝浦 
 大門 
 浅草田原町


 建築主ヒューザーの建物が建てられた元の場所に住んでいたのは、O和田M子さんが死亡したことを知ったHの宮が、次に結婚するか付き合おうかと考えていた女性が住んでいた場所であることがわかった。
 しかし、事前にそれをヒューザーに知られ、H山Y紀夫に殺害されていた。
 何故、このようなことをするかといえば、O和田M子さんを殺害して皇太子妃M子のフリをしているE頭Y美子(菊池直子)が、ヒューザーの社長と親族関係にあるからである。
 これは、ヒューザーの社長が、
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■兎Y美子を女性天皇にしたかったこと
などが考えられる。

 さらに、シノケンの社長は、E頭Y美子の実の父親であると思われ、この人物(H山Y紀夫)も、ヒューザーの社長と同じように考えていた。さらに、H山が殺害したと思われる場所に住んでいたのは、旧華族のような一族の令嬢であったと考えられる。


 E頭Y美子とは

 E頭Y美子は、いろいろなことを勘付く官僚たちに対して「どうしても女性天皇になりたい」と言っているという。
 しかし、この人物は、フランス革命を起こしたマリー・アントワネットと同一人物であり、夫のルイ16世は、今のHの宮と同一人物で、フランス革命カップルである。
 フランス革命時に、マリー・アントワネットは王妃と呼ばれていたが、その当時のフランスは別に女王制ではなかった。
 しかし、平民たちに恨まれていたのは王妃の方であったとされ、妻の王妃は大人しいルイ16世をいいなりにして、フランス革命を導いた張本人とされている。
 マリー・アントワネットは、オーストリアの女帝の娘だったが、結婚直後に本物を殺していた疑いが最近では持たれている(つまり、ニセモノだった)。
 フランス革命で死亡したのは、王妃の身代わりとなった人物に違いないが、フランス人の中では、この女の正体に気づく者もいて、助けてやる代わりに、日本をやってくるよう、命令されている可能性がある。
 つまり、E頭Y美子は、フランスの諜報機関ということになる。
 しかも、フランス経済界で財閥(ブランド企業)の会長などをH山がしている為に、フランスの経済のために日本の経済を崩壊させる計画があったなども考えられる。


 Nの宮は1997年か2007年に死亡していた?

 Hの宮と皇太子妃M子の娘のR子が夫婦をしている家が都内にあった。
 しかし、2006年頃、夫がある事件の被害者に間違えられ、家庭内が混乱したために、疲労が重なり2007年3月に脳梗塞で倒れ、そのまま死亡した。
 この死亡した女性に妹がいて、顔は姉によく似ているが、1997年頃、新宿中央公園で暴漢に襲われたが、その後、新宿駅の医務室に行き、いきさつを話していたら、医務室の職員が、この女性を菊池直子と間違えて通報し、その後警察が身柄を引き取り、留置されていた。
 女性はこの後、処刑されたらしい。さらに、この女性の夫のような人も殺害された。
 この時の暴漢が上佑史裕で、命令者は大内早苗である。大内早苗はAの宮紀子と同一人物で、皇太子妃M子と張り合っていた。

 この時警察署で死亡した女性か、2007年に死亡した女性のどちらかがNの宮である可能性がある。皇太子妃M子と皇后が同一人物のため、皇后の娘であり、皇太子妃M子の娘でもある。そのために顔が皇太子妃M子と似ていたと考えられる。
 2007年の時は、皇太子妃M子は、自分の意見と娘の意見が違ってきたために、娘が邪魔になり、娘を殺害しようと思って、自分の家で一日だけ代わって欲しい、と頼んだ。
 N代は1970年のよど号事件の時に行方がわからなくなり、グリコ・森永事件の時に拉致された、熊本県にいる、殺害された、などといわれていた。
 
 Nの宮は2007年の秋頃にK田慶樹氏と結婚したが、この時結婚したのは、ニセのNの宮である。この人物は、Hの宮と皇太子妃M子の別名夫婦の家にいた娘であり、皇太子妃M子の娘ではなく、夫の前妻の娘である。
 2007年に結婚したのは、本物のNの宮が死亡し、自分がニセであることを隠すためであったと考えられる。
 Nの宮は、グリコ・森永事件の時に、世田谷区成城の家に行ったが、しばらくそこにいた後、現在ではどうなっているのか不明である。
 別の説では、本物のNの宮とHの宮の間に子供が出来たが、ニセのNの宮に妬まれたため、殺害されたか、天皇家の多くの皇族が殺害されていたことを知り、ショックのために自殺をしたという。