宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ②-52    村下孝蔵の死の謎のつづき 妻がH田S吾に殺害されていた

 村下孝蔵の妻をH田S吾が殺害していた

 村下孝蔵の死に、H田S吾が関わっているといわれる。村下氏は、死亡する直前に「H田S吾が近くにいる」と口走っていたことからだ。

 村下氏は、1990年半ばに結婚(籍は入っていなかった)していた。 
 この女性は、村下孝蔵のファンだった女性で、コンサートなどにも訪れていた。村下孝蔵氏はこの女性の頼みごとを「やらいでかねぇちゃん」と言いながら、共に夫婦で行動していたり、言葉遊びをしたり仲が良かった。 
 女性と母親と村下氏の三人で集まって話をしたりして家族の交流を深めていた。
 しかし、村下氏を青年実業家にしたい、という別の人が現われ、村下氏と妻はその人に邪魔をされる形となり、家庭と仕事のどちらを取るかで村下氏は迷うこともあったようだ。

 1996年3月20日日比谷線に乗っていた妻は、地下鉄サリン事件の電車に乗り合わせた。しかし、翌日、入浴中に水死した。
 
 妻は、あるパーティーに出席していたが、このパーティーでお菓子ばかり食べている不愉快な感じのする男と出会い、男は自分の家に誘った。
 妻はいやだったが、夫の関係者かと思ったのでいやいや男の家に行った。そこで、入浴中に危険な状態に陥りそのままかえらぬ人となった。

 この女性は、地下鉄サリン事件の13人目の被害者と認定された(2010年)。しかし、名前は別人である。
 風呂場の浴槽の中に水銀などを混入し、青酸が体に触れたため死亡したと思われ、一緒に部屋にいた男が水銀か、青酸カリなとせの毒物を浴槽に混入させたものと思われる。
 この男は、オウムの上佑であった。
 死亡後、妻は、この後結婚するの妻の裕Kさんの父親をしていた菅原という人物と上佑により、遺体をフランス公邸に運ばれ、エビアンの水で生き返るかの蘇生を試みせれたが、生き返ることはなく、そのまま庭に遺棄された。
 当日以降、妻の仲間も上佑らに呼び出され、その場で銃殺され、遺体は庭に遺棄された。

 この妻の殺害事件は、オウムによる謀略である。
 何故、このようなことになるかというと、村下孝蔵氏は皇太子のHの宮と同一人物で、妻は、実は皇太子と結婚したO和田M子さんだったのだ。
 同じく天皇の座を狙おうとするAの宮夫妻は、オウムの林郁夫と大内早苗の夫婦である。
 Aの宮夫妻は、自分たちが天皇になりたかったので、ライバルのHの宮の妻を殺害してしまったのだ。

 その後、妻が死亡したことを村下氏に勘付かれないように、妻を殺害した上佑の娘と村下氏は結婚する。村下氏を青年実業家にならないか、と誘っていた人物(大内早苗)と上佑の間の娘(S井法子)である。

 上佑は、H田S吾と同一人物である。青年実業家に誘った人物は、H田S吾の妻か同居者の大内早苗である。
 Aの宮と上佑は同一人物ではないが、Aの宮と上佑は仲間である。

 村下氏は妻の死後、妻が死んだことがわからずに、妻によく似たS井法子と結婚した。
 
 村下孝蔵氏が死の直前にH田S吾に呪われたのは、H田S吾で上佑が、村下氏のレコーディングスタジオの近くにいたか、暴力団構成員でもあるH田S吾が、村下氏のスタッフを丸め込んでいて、あんなふがいない男は殺しましょう、などと言いくるめていたためだ。
 
 1999年6月に村下孝蔵が死んで、葬儀の喪主をしていたのが裕Kさんであるが、この裕Kさんは、大内早苗と上佑の娘(S井法子で千乃裕子、)である。

 村下氏は、妻(村下孝蔵としては入籍していない)を殺害した上佑や菅原氏の娘(旧姓O和田R子)と結婚した。村下氏の苦悩が始まったのは、だいたいこの時期ぐらいからである(O和田M子さんの本当の妹ではないと思われる)。
 
 村下孝蔵氏にとって大切な女性は、1996年3月22日に死亡している。

 村下孝蔵をしていた人物は実際には生きているが、シンガーソングライターの村下孝蔵氏は死亡した(引退した)。

 しかし、Hの宮が天皇後継で劣勢なのは、Aの宮家の邪魔によるものである。