宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件29-179 仮谷さん拉致事件 天皇の名の元に人体実験殺人事件

 ところが、初めはそのような動機だったが、正田家の人々を殺害し犠牲にして人体実験に使っているうちに、日本の企業が文句を言って来たり、調べたりするようになったために、日清の味方をする企業などの情報を収集し、それをパソコンに打ち込み、何か言ってくる企業の幹部なども殺害するようになった。そして、その数が増え、一般人なども天皇陛下の名のもとにどこも悪くもないのに人体実験に使われてもいいような状況に追い込まれた。それが、麻薬常用者(オウムは麻薬密売組織でもある。S啓はオウムの上佑が社長の息子を名乗っていた)による偽造口座の保持である。 
 オウムでは、人体実験のことを「血のイニシエーション」と呼んでいる。

 日清一族を殺害する前には、S啓はそれほど東大病院による取引があったのかは不明だが、日清一族を殺害したと思われる1997年以降、S啓の主な取引先は東大病院となった。
 その他、SニーやT芝などの電機系企業や、他の大学病院からの仕事が多くなった。
 もともとS啓は、Nコンというカメラ会社の代理店と顕微鏡の販売代理店だったが、2000年頃には、商社を名乗るようになっていた。
 文京区の他に横浜や大阪などに支店があった。

 S啓は、カメラ会社の代理店というよりも、顕微鏡のレンズや付属品などの販売が多かったが、医療器械にも詳しかったと思われ、人を一人殺して人体実験をすることにより、病院などから引っ張りだこだった可能性もある。
 社長の息子を名乗っていた上佑は、この時、近くの人などに、医療株が儲かる、などと話していた。

 三啓の社員だったオウム信者は、佐賀町一丁目の正田英三郎氏宅に行き、入浴していたか、部屋にいた正田さんを銃殺し、風呂場で人体実験に及んだのではなだろうか。殺害現場には、「桶」があったという。
 桶に湯を汲み、血のついた手を洗ったか、取り出した臓器を一時的に桶に入れていたからではないだろうか。遺体を解体する際には、包丁が使われた。このため、江戸資料館の演出の売り人の声は、「桶屋」と「包丁屋」だったと考えられる。
 あるいは、発見されなかった他の家族の遺体を、江戸資料館内で人体実験したことも考えられる。
 あるいは、発見された遺体はダミーだったことも考えられる。本当の社長は、人体実験のために解体され、江戸資料館に埋められた。
 江戸資料館では、長屋の隣に川があり、この川に見立てられている実際の川に浮かぶ船内で人体実験をしたことも考えられる。 
 佐賀町一丁目付近に川(永代橋がかかる隅田川)が流れており、実際は、この川に浮かんでいる屋形船の船内で人体実験をしたことが考えられる。
 しかも、殺して連れ込んだのではなく、自然を装い屋形船に誘い、被害者をその船内で殺害し、桶や包丁などを用いて人体実験をしたのかも知れない。 
 
 S啓の社長の息子と名乗っていた人物は、橋本Aという名前だが、H山Y紀夫で上佑史裕と同一人物である。
 この人物は、O尾学とも同一人物で、O尾事件の被害者の田中香織さんという女性は、S啓の営業事務をしていたことがあると思われる。

 橋本Aは、学習院明仁皇太子と同級生だった。どこかで正田さんと出会い、息投合し、宮内庁病院と取引があること、天皇の健康状態のために人体実験する人間を探していること、などを話した。しかし、そのうちに、自分(橋本A)たちが手を染めている麻薬と人体実験が関係があることがわかり、今度は、麻薬中毒者のために一般人や天皇家が犠牲になればいい、と復讐をはじめた。