宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-481    仮谷さん拉致事件のつづき

 香港の返還

 1984~1985年頃、江崎グリコ・森永事件が起きた。犯人グループは山口組で、組の抗争でそれまで会長だった人物も殺害されている。
 この事件は、明仁とH陸宮の確執であるという説があり、H陸宮が仮谷事件で死亡しているのなら、おそらく、被害企業側がH陸宮側だろう。
 グリコは、中国の南京で、戦時中に市民にコートを配った地元企業であり、犯人の狙いは、在日中国の企業なのではないかと思われる。
 この当時、中国とイギリスの間で、香港の返還が決まっているが、犯人たちは、これに影響され、グリコ事件を起こしたのではないかと考えられる。
 犯人グループはつまりイギリスのマフィアの山口組北朝鮮と言われているがイギリスと北朝鮮は同じ)で、脅迫された企業が中国側ということになる。
 そもそも、何故、香港がイギリスの植民地になっていたかを調べると、麻薬が原因だったことがわかる。
 イギリスと清朝(中国)は、アヘン戦争をしていたが、1842年にアヘン戦争終結させるため交渉をし、香港島の割譲、5港の開港、貿易完全自由化などを要求を中国に突きつけ、それが受理された。
 間に第二次大戦が入り、一時的に香港は日本の植民地となっているが、日本の敗戦後に再び香港はイギリスの植民地となり、香港が返還される1997年7月1日まで、およそ155年の間、香港は麻薬戦争のためにイギリスの植民地となったのだ。
 麻薬といえば、マフィアの資金源なので、香港が中国に返還されると困るマフィア(暴力団)が出てくるはずだ。それが山口組だったのだ。
 脅迫された企業側(グリコだけが被害企業で、他はダミーという説もある)が、H陸宮側であるとすれば、H陸宮はどこかで中国や香港と関わった政治家であることが考えられる。
 香港の返還を決めたのは、エリザベス女王と鄧小平だが、鄧小平と仲の悪かった政治家が胡耀邦という人物だ。
 H陸宮が胡耀邦と同一人物かはわからない(H陸宮の昔の写真が全くないため)が、このような政治家の仲間であった可能性もある。
 鄧小平は、麻原彰晃と同一人物なので、もしH陸宮が中国や香港の政治家であれば、麻原にもH陸宮を殺す動機がある。
 エリザベス女王と鄧小平が何故、香港を返還しようと思ったのかは不明だ。しかし、田中角栄日中友好平和条約を締結しており、中国と日本が接近しすぎると困るために、田中内閣を犠牲に香港返還を決めたのかも知れない。ロッキード事件が外国の陰謀だと言われるのは、実は香港返還に関わっているためで、日本と中国の接近を望まないイギリスによるものだと考えることが出来る。
 しかし、1997年7月に返還することを決め、田中内閣や親中国寄りの政治家たちを追い詰めても、その日が近づくにつれて、腹が立ってくるので、H陸宮を仮谷氏に見立てて殺そうと計画したのかも知れない。

 アヘン戦争とは

 ところで、アヘン戦争というのは、中国とイギリスが競ってアヘンの売買をしていたのではない。
 イギリスは、中国から茶を買っていたが、対価する商品がイギリスにはなかったので、イギリスとインドの東インド会社が、インドで栽培したアヘンを中国に輸出し、それを茶の対価とした。
 しかし、アヘンが流れたために社会問題となり、中国はこれを取り締まったが、東インド会社は引き続きアヘンを中国に輸出した。
 清がアヘン禁止令を出し、イギリスの商館長を逮捕し、アヘンを押収したが、イギリスは逆に、貿易の自由化と開港を強要し、戦争に持ち込んだ。
 しかし、イギリスは、イギリス人が逮捕された広州ではなく、天津に向かったため、中国政府は慌てた。天津を脅かされた清は一旦休戦を命じ、抗戦派を罷免した。しかし、和平草案は両国に受け入れられず再び戦争となった。
 イギリスは、揚子江から南京に迫り、清は南京を揺るがされ、武器をヨーロッパ諸国から調達することも出来ず、イギリスの要求を受諾して、南京条約を結んだ。
 これがアヘン戦争である。
 
 アヘン戦争が日本にもたらしたもの

 アヘン戦争は、日本の幕府にも衝撃だった。日本も中国と同様に鎖国政策をとっていたが、この戦争により欧米列強への態度を軟化させ、この軟化政策が、開国、安政の大獄明治維新の大きなきっかけとなった。
 このように、日本人は、中国に従って続くように開国し、外国との不平等条約を結ばされたわけだが、日本は柔軟性があり、やわらかい気質な所を見抜かれて、現在では、対中国戦略に使われてしまったといえる。
 イギリスやヨーロッパ列強が、しきりに日本と中国との仲を引き裂こうとしているのは、イギリスがアジアの植民地化を企んでいるからである。