宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-630    仮谷さん拉致事件のつづき

 企業家殺人は東アジア反日武装戦線の犯行

 これらのことから、日本の企業り経営者を殺害して家族を精神病院に入所させ、人体実験にして殺害し、企業を乗っ取っていたのは、東アジア反日武装戦線であると考えられる。

 大道寺将司は、石井久子(高橋克也)と同一人物で、桐島聡(菊池直子)とは夫婦である。大道寺あや子は、W・ブッシュ(平田信)である。大道寺あや子と大道寺将司は、人物が逆である可能性もある。
その場合、大道寺あや子が高橋克也で、大道寺将司が平田信である。
 オウムの指名手配の三人が、東アジア反日武装戦線のメンバーだったのだ。

 この事件の時、近くの銭湯も襲い、殺害し、地面の下の配水管の脇にでも埋めたのだろう(このようにして活断層が作られる)。
 
 佐賀一丁目会社社長の被害者は正田英三郎氏か建次郎氏?

 佐賀一丁目会社社長殺人の被害者は、やはり当初の通り、正田英三郎氏かも知れない。
 深川江戸資料館を運営している江東区文化コミュニティの常務理事をしていた諏訪豊という人物に顔が似ている。
 オウムは、諏訪神社とか諏訪大社に思い入れがあるらしいことも理由の一つだ。
 また、この人物は、東銀座で広告会社を経営していたが、社内にこの人物の右腕と呼ばれる役員(Sという名前)がいて、右腕といって思い出すのが、福島第一原発所の敷地内に埋められたという人物だ。
 右腕の方は、英三郎の兄の建次郎だろう。
 もし、佐賀一丁目で死んだ人物が、正田英三郎氏か建次郎であるとすれば、遺体を遺棄されて何らかのテロに利用されているだろう(神戸医療産業都市に遺棄された?)。
 松本サリン事件でK野澄子という女性が被害に遭っているが、当初、この人物は正田美智子の姉にあたる人物である、と思われていたようだ。
 オウムの一連の事件は、正田家を狙ったものである可能性がある。
 仮谷拉致事件にしても、正田家と関係のある演歌歌手Mの肩を持っていた人物が殺害されているかも知れない。また、資産家を狙っているので、正田家と何らかの関係がある可能性もある。
 
 正田英三郎が死亡したのは、1997年4月25日(佐賀一丁目殺人の起きた日)だが、建次郎が死亡したのは、本当は英三郎が死んだ1999年かも知れない(皇后美智子の父が死去したとしてニュースになっていた)。建次郎の死と英三郎の死をすりかえたのだ。

 被害者は二人いて、一人は銃殺され一人は助かっている。殺害されたのは社長でもう一人は家族を装ったオウム信者だろう(大道寺あや子?)。家族はすでに殺害されていたことになる。
 
 佐賀町の隣には、隅田川が流れており、オウム一味は屋形船を借りて英三郎を屋形船に招待した。娘の美智子は、オウム信者だったので、招待されたら行くだろう。
 そこで屋形船に乗る際に銃殺されて、衣服を脱がされいけすに入れられた、という説も浮上している。
 しかし、殺害されたのは会社社長宅かも知れないので、この説と矛盾する。
 佐賀町一丁目で死んだのは、建次郎なら、この人物が銃殺され遺体をそのままにし、同時期には、英三郎氏を屋形船に呼び出し殺害し、いけすで運んでフランス大使館に寄り、青森県の風の松原に運んだ。
 それが皇太子妃M子だと思われていたのは、皇太子妃M子と皇后が同一人物だからで、この人物の父親が殺害されていたのを皇太子妃M子が殺害されたと思われていたのだ。
 皇后と皇太子妃の言い方は似ているので、犯人が美智子皇后のことをわざと皇太子妃と呼んでいたのかも知れない。
 美智子皇后と父親が間違えられていたのは何故か不明である。
 
 同じ時間に二つのグループが、一グループか一人は建次郎を自宅で殺害し、もう一グループが英三郎を屋形船内で殺害した。
 このようにすることで、警察が捜査をしている間にもう一人の遺体を運んでフランス大使館や青森まで運んでりして実行中にして捜査が混迷するようにした。

 しかし、会社社長が殺害されたのは午後9時頃で、屋形船に乗船する時間にしては遅い。屋形船に乗る時間を午後7時として、最初に殺害されたのは屋形船の方だ。殺害後、千葉県の沼に遺棄したのではないか、という説もある。
 その後、会社社長が殺害された。