宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-744    仮谷さん拉致事件のつづき

 焼山という山が秋田県新潟県にもあった

 秋田県に、択捉島の焼山と同じ名前の焼山という名前の活火山がある。
 焼山は、過去に何度も噴火している。
 気象庁は、2013年7月10日に、7月25日13時から、噴火警戒レベルを導入すると発表している。
 今のところ、警戒レベルは1である。
 気象庁の火山カメラは設置されているらしいが、公表はされていないようである。
 また、新潟県にも焼山という活火山があり、新潟の焼山も警戒レベルは1だという。

 択捉島三陸は海底でつながっている

 日本の海溝地図を見ると、択捉島北方領土のあるところから、三陸~神奈川あたりまで、海底ではひとつの陸続きのようにつながっている。
 もし、択捉島で火山噴火すれば、海底の陸続きである北海道、東北、関東まで影響がある可能性は充分に考えられる。

 3.11地震に似ている地震?1611年慶長三陸地震

 1611年に、慶長三陸地震という地震が発生している。
 この地震は、津波地震と呼ばれている。
 この地震で、北海道東部で、15~20mの津波が発生したといわれる。当初は、この地震三陸沖海溝沿いを震源とする地震である、といわれていたが、後に千島海溝沿いにあたる色丹沖から襟裳岬までの範囲によるM9規模の巨大地震であった可能性がある、という新説を出しているという。
 三陸沖が震源ではなく、北方領土色丹島付近の千島海溝が震源のM9クラスの地震であるかも知れない、ということだ。
 3.11の地震は、三陸沖が震源とされているが、その地震の原因となる火山などが見当たらない。しかし、千島列島付近を震源とする地震だと、現在では事実上ロシア領となっているので、詳しい調査が出来ず、三陸沖が震源とされた可能性がある。
 また、1611年頃でも、地震の関する知識が乏しかったために、三陸沖が震源とされていた可能性もある。
 この6年前の1605年には、南海トラフあたりに被害が大きかった慶長地震が起きている。この地震津波地震と呼ばれて、死者1~2万人が出ているという。
 慶長16年10月に有珠山が噴火した、という記録があるが、疑問視されているという。
 
 また、気になることに、震源に近い色丹島にある色丹神社の鳥居は、クジラの顎の骨が使われているという。
 南海付近で、イルカ猟が問題になっているが、実はイルカとクジラを間違えているか、何らかの関連がある可能性もある。
 クジラの骨を鳥居にしている神社は、和歌山県にある神社と長崎県にある神社、樺太(ロシア領)にある神社、色丹島にある神社である(歯舞島、色丹島は、火山島ではないらしい。国後島択捉島は賀火山島らしい)。


 北方領土に住んでいたのは、アイヌ民族ということだが、高知県にもアイヌ部落がある、といわれているようだ。

 今と昔では何故逆なのか

 慶長時代の地震では、南海地震の後に三陸地震が起きているが、最近いわれている地震三陸地震の後に南海トラフ地震があるだろうという予測)とは、震源の連動が逆であったという可能性がある。
 その理由として考えられるのが、樺太の領土が1874年にロシア領になったことである。
 樺太は、昔、日本人とロシア人が住んでいたが、二つの民族の間で争いが絶えなかったため、樺太をロシア領にする代わりに、占守島からウルップ島までの18の島々を日本に譲り渡す、という条約が日露の間で締結された。
 このため、樺太に住んでいた日本人(アイヌ民族)が、色丹島に移住したようだ。
 しかし、1945年の日本の敗戦後、ロシアが北方領土の実効支配をするようになり、ロシアは条約のことを覚えていたのか、色丹島国境警備隊の軍を置き、日本船を拿捕する施設を作り、最近ではカジノを作る計画も持っていた(この計画は取り止めになっている)。
 つまり、樺太の領土権が慶長地震の頃と変わって、その後、北方領土がロシアの実効支配になっている。
 樺太北方領土の領土権があるかないかで、地震の形も変わってくるということが考えられる。つまり、樺太北方領土の領土権が今と昔では逆になっているということだ。
 日露条約が締結される前の1954年には、日米通商条約が結ばれたが、日米といってもバックにロシアの存在があったことが知られている。そして、この頃に安政地震という大きな地震が起きている。
 地震とは、領土が脅かされる時に大きな地震が発生しているという可能性があり、だから、首都のある東京を含んだ東北地方が大きな被害を被る地震が先に起きたのではないだろうか(損をした方が大きな被害を被る)。
 これらのことから、東日本大震災の頃に、ロシアと日本で何らかのもめごとがあり、日本の領土が脅かされていた、という可能性も出てくる。

 もう一つは、昔と今では、優勢と劣勢が逆になっているということだろう。