宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 ③-10    グリコ・森永事件のつづき

 
 皇后美智子は、竹中正久
 
 皇后美智子は、竹中正久である可能性が出てきた。
 竹中といえば、中国と関係があるようだが、皇后美智子が中国系なら、それは竹中正久に匹敵する。
 これまで、皇后美智子は、オバマ新実智光)であると思われていたが、オバマは、正田英三郎氏の方で、皇后美智子ではないようだ。この人物と中国の関係がよくわからないからだ。この人物は、どちらかというと、中国が好きではなく、アメリカやインドなどと親しい。 
 また、明仁天皇は、もともと上祐だったわけではなく、1990年頃に何らかの転機があり、明仁皇太子をしていた本物(渡辺芳則、司忍)と、上祐(高山清司、清田次郎)がすりかわったようだ。
 
 山本健一は森永側だった?
 
 最近、首相の妻としてA倍昭恵の写真など、ネットに見る機会も多くなったが、あらためてよく見てみたところ、A倍昭恵は、上祐と同一人物ではない可能性が出てきた。
 じゃあ、誰と同一人物かと調べると、意外にも、新実智光と同一人物ではないかと思える。
 新実は、山健組の山本健一と同一人物だ。
 確か、グリコ・森永事件の頃、渡辺芳則と山本健一は敵対関係にあったか、山健組が抗争をしていた。
 これはグリコ・森永事件に関係あるだろうか。
 
 A倍晋三は、渡辺芳則の前の会長の田岡一雄の妻の田岡文子と同一人物だ。
 もし、A倍昭恵が山本健一なら、田岡文子と山本健一が夫婦だったということになる。
 
 グリコ・森永事件の時の脅迫された企業は中国系で、この企業は皇后美智子と関係のある企業である。これは、当時の竹中正久の状態と似ている。
 
 グリコは、山口組から狙われていたのだろうか。
 グリコの会長は、演歌歌手M(渡辺芳則、司忍)と同一人物だが、それは監禁場所から帰ってきた後の記者会見の顔で確認できるが、それ以前の顔はわからない。
 グリコ事件で脅迫された企業が中国系というのは、グリコが昔、中国でコートを配っていた、といういきさつから出ているものだが、犯人側が山本健一の側だとすれば、脅迫された企業は、グリコ側ということになり、皇后美智子で竹中正久と関係のある企業ということになる。
 
 グリコ・森永事件は、一和会vs山健組の抗争だった
 
 山本健一がA倍昭恵だとすると、次のことがわかってきた。
 グリコ・森永事件は、なんと、暴力団の抗争そのものだったようだ。
 
 まず、グリコ側は、皇后美智子で竹中正久側にあたる。そして、敵対する勢力で犯人側が山口組の山健組と弘道会にあたる。
 山健組の初代会長の山本健一は、A倍昭恵と同一人物者だが、1982年に病死し、その後、跡を継いだのが、息子の渡辺芳則で弘道会の司忍である。
 山健組と敵対する稲川会で一和会の会長は、山本広で、この人物は上祐である(後の明仁天皇に扮している人物)。
 
 一和会と山健組の抗争は、田岡一雄が死亡したことから始まる。
 会長を山本広にしようとしたら、竹中正久派が反発し、田岡文子の説得で、結局竹中が次の会長になった。
 しかし、面白くなかった山本広(稲川会の現会長・清田次郎と同一人物)は、一和会を結成した。
 1985年1月に、竹中正久は、山広組(一和会)から銃撃され幹部二人と共に死亡した。
 ここまでは暴力団の抗争だ。しかし、1985年4月に、山口組弘道会の内薗田組(U山田洋とクールファイブのこと?)の幹部らが、一和会の水谷一家隅田組幹部の2人を拉致した。
 翌日に、拉致した2人の幹部を死傷させた。
 グリコ・森永事件が起こっている前後の出来事なので、この水谷一家隅田組の幹部二人というのが、竹中正久とその部下ではないかと考えられる。
 そして、この後3年後から、一和会の幹部が次々と会を脱退した。その間、一和会の幹部が射殺されるなどの事件も相次いでいる。
 この期間中に竹中正久の死を知った石間春夫という暴力団が、山口組に加入するが、この時から次々と一和会の幹部が殺されたり脱退したりしているので、この石間という人物が、田岡文子(A倍晋三)と同一人物で、会長を竹中にした責任を取らされて、一和会の幹部を殺していたのだろう。そして、それが終わった頃に石間は山口組を脱退するなど言い出したが、保留になり、その後、舎弟として加入している。
 
 しかし、一和会(上祐)と山健組(新実智光オバマ、息子の渡辺芳則)の抗争は、1989年、昭和天皇の死、明仁天皇天皇就任の時期に終了する。
 山本広は、この直前に、高山登久太郎という山本健一と同一人物者の家で渡辺芳則と会見し、山本広は一和会の解散と、自身の引退を表明する。
 1989年3月、山本広は、竹中正久の殺害を謝罪し、竹中正久と田岡一雄の仏壇に手を合わせて山一抗争は終了している。
 
 山本健一は、田岡文子の夫である田岡一雄に世話になり、山口組に加入したいきさつがあり、田岡というのは山本健一の恩人のような存在らしい。
 山本健一(A倍昭恵)とA倍晋三の関係は、昭恵の面倒を見ていた田岡一雄が死亡したので、その未亡人の文子と山本健一が交際していた、これがA倍晋三とA倍昭恵の関係である。
 そして、キツネ目の男は、田岡一雄と同一人物者である(本当は生きている)。
 
 まとめると、
 
 田岡一雄→キツネ目の男(A倍昭恵を山口組に加入させた)Ⅰ原慎太郎
 
 田岡文子(石間春夫)→一和会の幹部を立て続けに殺害したA倍晋三
 
 山本健一1981年に田岡一雄死亡後、山本健一も死亡。しかし、渡辺芳則で司忍のバックか親。警察庁長官に長年就任している。
 渡辺芳則・司忍→山健組の二代目。山健組の会長が死ぬ原因を作ったのが山本広であると思い、山一抗争をしていた弘道会の会長。脅迫状を作成したのがこの人物。この人物はグリコの江崎社長の妻?
 
 山本広→田岡一雄と竹中正久を殺害し、一和会の会長として山一抗争をしていたが、田岡文子に息子などを殺害され窮地においやられるが、天皇に就任し、山一抗争が終了する。山本広は、稲川会の清田次郎と同一人物。
 
 竹中正久→田岡文子の資金源?中国と親密な関係にあるようだ。銀行家。
 
  田岡一雄を殺害したのが、山本広だったので、山本広か身内が経営するグリコを脅迫し、拉致して関係者を殺害した。これがグリコ事件の発端だろう。
 そして、ライバル企業の森永がバックになり、配下の暴力団にグリコ側の人たち(一和会幹部)を殺させていたのだろう。グリコの他に脅迫を受けていた企業は、山本広側の企業だろう。そして、山本広が明仁と同一人物だ。
 キツネ目の男は、田岡一雄で、金正日と同一人物だ。
 
 もう少しわかりやすくすると、
 山本健一でA倍昭恵は、ボスの田岡一雄を殺した恨み・山本広をどうにかするよう仕返しを命令した。夫のA倍晋三は、昭恵の夫として、山本広の身内や企業を脅迫し、殺したりダメージを与えたりした実行犯である。山本の息子の渡辺芳則は、組織(弘道会)をグリコ事件で提供した。
 田岡一雄は、自分を殺した恨みを抗争にしているので、キツネ目の男になり、指名手配された。
 渡辺芳則は、脅迫状を作成した。
 
 さらに、驚くことに、この人間関係が現在の政界に大きな影響を及ぼしている。
 A倍晋三が台頭してきたのは、山本健一がA倍と同一人物者のH本龍太郎を首相に推薦したも同然だからで、それもそのはずだ。A倍昭恵として山本健一と、A倍晋三でH本龍太郎は夫婦だったからだ。
 山本健一は、山口組の渡辺芳則や司忍に大きな影響を与えている人物で、いってみれば、渡辺のバックにあたる人物だ。その人物が、H本龍太郎を推薦したので、その後、同一人物のA倍晋三が三度も首相に就任している(H本龍太郎と同一人物の、N田佳彦1回、A倍晋三2回が首相に就任している)。
 山本広は、天皇として、政界のバックにいるが、A倍晋三に息子などを殺害されているために大きく出れないし時には情操をコントロールされていることもある。この人物は、菅官房長官と同一人物だ。
 山本健一は、オバマ大統領で、A倍晋三の妻である。
 渡辺芳則、司忍は、山一抗争で一和会と対決していた弘道会の会長である。この人物がH山由紀夫である。
 就任1年で殺害された竹中正久は、その後、政界の閣僚には抜擢されなく、左遷されることが多い。
 
 山本広で明仁天皇が即位した後、立場が逆転したはずの田岡文子でA倍晋三は、今度は明仁側につかねばならなくなったが、現存の明仁体制に「逆らう者を狩る」という方法で、首相の権力を利用し、天皇につくフリをしつつ今度は一般人もターゲットにしているようだ。
 特に、若い女性がその標的になることもあり、性格が気にいらない、とか生意気とか、ささいな理由から死に追いやられている。
 安倍の資金は中国から出ている。
 竹中や山本広は、中国と親密で、権力のイスに就き得た金などをA倍への資金にしているようだ。その結果、大陸パワーが得られ、A倍の力を強固なものにすることに一役買っているようだ。
 
 明仁天皇に就任する直前に、女子高生コンクリート殺人が起きている。
 この事件の被害者は、明仁皇太子の娘のNの宮らしい。山本広は犯人の神代として逮捕されている。
 壮絶なリンチ殺人の被害者の親が明仁天皇(当時皇太子)だった。
 この事件の後、山本広は、話し合いで山一戦争を終結させているのだが、田岡と竹中のことを謝罪した後に
手を合わせている。
 一般人の社会ならわからないが、暴力団の世界でこのことはどういう意味を持つのだろう。
 実は、山一戦争は、山本健一側の勝利で終わっているのだが、それは、山本広を謝らせる、という方法で終わっているのだ。
 つまり、山一戦争という暴力団の抗争は終わっているのだが、その後の人間関係はずっと元のままであり、終わったといえども今も継続中、という印象はいなめない。
 さらに、田岡文子が権力を持ち続ける唯一の手段が、田岡一雄につく、という方法であり、これは今でもずっと変わっていない。田岡一雄は、エリザベス女王と同一人物なので、田岡についていれば、自分の道が開ける。だから、死んだ田岡をいつまでも惜しむフリをして自分の出世に利用しているのだ。
 
 山本広は本当は天皇ではない
 
 山本広は、本当は天皇ではなかったが、山本広を復活させるために、天皇になりたいと考えた。
 その方法が、本物の明仁皇太子の娘のNの宮を、女子高生コンクリート殺人事件で惨殺し、娘の親(明仁皇太子)を脅迫して、皇室から追い出し、山本広がNの宮と明仁になりすまして天皇の座に就いてしまった。 
 一和会と山健組の抗争を終わらせ、山本広の襲撃を終結させたのは、皇太子の娘を山本広が残虐死させるという卑劣な方法だった。
 
 山本広が事件を首謀した?
 
 山本広は、田岡一雄と竹中正久を殺害し、田岡・山健の森永と、竹中が懇意にしていた弘道会のグリコを脅迫した。同時に山一抗争も起きていた。
 しかし、森永のM崎昭恵と同一人物の山本健一が、A倍晋三に頼り、石間春夫として山本広の身内などを襲撃したため、山本広はおとなしくなり、田岡と竹中の仏壇の前で謝ったが、それでも我慢できなかったので、今度は明仁皇太子(弘道会の渡辺芳則と同一人物)の娘のNの宮を残虐死させ、明仁皇太子を脅迫し、皇室から追い出し、天皇に就任した。
 この場合、山本広は、稲川会と考えた方がわかりやすいのかも知れないが、事件の脅迫状を作成したり、キツネ目の男などをしていた人物は、弘道会であったり山健であったりするので、自作自演の意味合いが強いともいえる。
 山本広は、何を考えているかがわからないところがあり、仲間が振り回されているような感もある。
 しかし、山本広は、グリコや森永のそれぞれの妻や娘をターゲットに考えており、何か気に入らないことが起こると、女を狙って行動し、目的を果たそうとするようだ。
 
 グリコ事件は、明仁天皇になるために、昭和天皇の子を拉致した事件?
 
 明仁天皇は、皇太子時代に平田信が顔写真に出ていたが、実は平田信常陸宮だったことがわかった。常陸宮は、「火星ちゃん」というあだ名で呼ばれている、ということだが、この火星に執着を持っているのが平田信であり、平田信はブッシュでもある。
 また、平田信は、麻原祥晃と同一人物だが、常陸宮オウム事件の第一通報者だとすると、麻原と常陸宮は同一人物なので、事件の通報が自作自演、ということになり、オウム事件を明るみにしたこと自体が自作自演だったことがわかる。
 常陸宮(渡辺芳則)はアメリカ人で、明仁天皇と対等かそれ以上に張り合うライバルだったのだ。
 
 1988~1989年に起きた女子高生コンクリート殺人事件の被害者の吉田順子さんという人物は、昭和天皇(A倍晋三)と常陸宮平田信)の娘で、森順子(昭和天皇)と田宮高麿(常陸宮)の娘であるという設定だ。設定というのは、二人共男なので、子供が生まれるはずはなく、昭和天皇と皇族の女性(皇后?)の子なのだが、それが常陸宮ということになっている(それは昭和天皇の勘違いか、金を支払うことによってそのようにしたか、何かの工作でそのようにしているか)。
 被害者の名前は吉田順子となっているが、本当の名前は吉田順子のクラスメイトだろうが、吉田順子ということにしておく。
 吉田順子は、グリコ・森永事件の時に、常陸宮で江崎K久(グリコの社長)の家に住んでいたが、犯人に拉致されその後、首謀者で犯人の一人であるA倍昭恵(上裕)がかくまっていたが、天皇の座を狙うA倍昭恵で上裕(明仁)により殺害された。
 女子高生コンクリート殺人の時、昭和天皇常陸宮明仁の最大のライバル)の娘を殺害した、ということで、すんなり明仁天皇に決まったのだ。
 A倍昭恵は二人いて、グリコ・森永事件が起きた時には新実智光が替え玉をし、その後は上裕に戻ったり戻らなかったりして一人二役でA倍昭恵を演じている。
 
 吉田順子は、A倍晋三の娘だったが、A倍(当時松崎)昭恵が江崎家から拉致して隠していたので、A倍晋三は昭恵に近づき(娘のことが気になったので)、事件のさなかに交際しているところをマスコミにスクープされた。
 吉田順子の「親の」常陸宮は江崎K久と同一人物だが、グリコ事件で脅迫状を作成した人物と同一人物者だ(常陸宮が吉田順子の親ということになっているのは、皇后に金を払ってそのようにするようにほのめかしたため?)。
 A倍晋三(昭和天皇)とA倍昭恵(明仁皇太子)は、吉田順子をめぐっての敵対関係にあったわけだが、夫婦となったA倍晋三(昭和天皇)は、吉田順子の行方を昭恵(明仁皇太子)に聞くことも簡単にできたはずだ。それをしたのかしなかったのかはわからないが、せっかく夫婦になったのに、肝心の吉田順子についてA倍晋三は助けもしなかったらしい。でなければ、1988年に女子高生コンクリート殺人は起きなかったはずだ。
 ただそういう風に娘を気にかけるフリをして実はどうでもいい、と思っていたが、そういう態度をするけにも行かず、結局は、大企業の娘と結婚すればゆくゆくは政治家として利用できる、と思い、いい機会なので事件を利用して結婚した、ということなのかも知れない。昭恵は、明仁天皇(当時皇太子)とも同一人物なので、昭恵と結婚すれば、明仁天皇を利用することもできると考えたとしても不思議はない。安倍はその当時は昭和天皇だったので、天皇の座に就くのがどっちであるかぐらいわかっただろうし、昭和天皇が死んでも、今度は新しい天皇を利用できる立場になれる、と考えたのかも知れない。
 また、昭恵側にとっては、当時、明仁皇太子だったので、常陸宮との争いで不利に思われていた明仁が、天皇の座に就くために、昭和天皇の子供を拉致して有利にしようと思った、という可能性がある。
 
 田岡文子が、竹中正久を山口組の会長にしたのは、竹中がNの宮の本当の母親の皇后だったからで、グリコ事件により娘が拉致されたので、気の毒に思って、と思わせておいて、実は自分がNの宮の父親だったので、自分の子供に何かしようと計画していた山本広で明仁を会長にするのは嫌だったのだ。
 A倍晋三(昭和天皇)は、石間春夫として山本広の身内などを襲撃したため、山本広はおとなしくなり、田岡と竹中の仏壇の前で謝ったが、それでも常陸宮が有利になりそうだったので、今度は女子高生コンクリート殺人事件を起こしてNの宮を残虐死させ、やっと明仁が納得の上、天皇に就任したのだ。
 また、皇后M子は、中国と関係があり、娘が拉致されたことによって中国にダメージを与えられた。それは、常陸宮(渡辺芳則)がアメリカ人だったこと、中国とのパイプを新たに作りたかったために、既存の中国と日本の関係を壊したかったためではないだろうか。
 中国との既存の関係、というのは、皇后M子と田中角栄が築いた関係である。
 皇后は竹中正久で、田中角栄は渡辺芳則である。山口組の新体制は、中国との関係でM子はずしをしたかったのだろう。
 常陸宮明仁の思惑はだいたい一致しているが、それは、Nの宮の親ではないからである。常陸宮(渡辺芳則)にしても、明仁(山本広)にしても、昭和天皇の子供を拉致したとしても、これといってマイナス点がなく、昭和天皇を脅せるかも知れない、という期待も出てくる。
 田岡一雄は、やはり日中関係の既存の関係の位置にいる側の人物であり、竹中もそうだ。この二人を殺害したという山本広は、首謀者の渡辺芳則の部下的存在なのではないだろうか。例えば、新会長が渡辺芳則なら、その若頭が山本広と同一人物者の構成員幹部という具合である。
  
 
 
 
 .