宝財探偵所の迷宮事件

宝財探偵所が未解決事件に挑みます。

宝財探偵所の迷宮事件 29-524    仮谷さん拉致事件のつづき

 
 A倍昭恵は早川紀代秀
 
 A倍晋三の妻のA倍昭江は、早川紀代秀だろうか。
 写真で顔を調べると、上裕(K長官と同一人物)というより、早川紀代秀に顔が似ている。
 早川紀代秀は、ドイツのメルケル首相と同一人物だが、A倍政権が経済問題でよくなっていない、と指摘されそうになった時、来日してA倍政権をまるでドイツが支援していたかのように丸く収まったことがある。
 何故、わざわざ来日してA倍政権を助けるようなことをしたのかといえば、メルケルがA倍晋三の妻だったからではないだろうか。
 この夫妻に子供がいないのは、森永製菓の系列会社の森永乳業が、1960年代に砒素ミルク事件を起こし、百数十人という乳幼児を死に至らしめたことがあったので、その報いのようなことで、子供ができない、ということではないだろうか。何がいいたいかというと、特に仲が悪いというよりも、過去のいきさつでそのような状態であり、逆にいえば、普通の一般人との結婚だったら、政治家本人から少子高齢化対策をしているのに子供ができないのは困るから、とか、家からもあれこれ言われて子をもうけるだろうが、しかし、それがないのは、やはり昔からの仲間で、戦略上夫婦になっている、というような関係だとしたら、早川紀代秀でもおかしくはないだろうと思われるのだ。
 
 A倍政権とメルケル
 
 メルケルは、三井の経営幹部で、日経平均株価日経新聞社の前身は、三井のある部署だった。
 つまり、日経新聞社とは、三井グループであり、A倍政権が日経平均株価を経済政策の中心にしているのは、妻の昭恵がメルケルだからだろう。
 
 T吉丈一郎は平田信
 
 プロボクサーのT吉丈一郎は、A倍晋三(斉藤明美)ではなく、平田信ひかりの輪の信者でもある)であることがわかった。
 
 皇太子妃M子は、上裕
 
 皇太子妃M子は、結婚時の時に上裕と同一人物者だったが、入れ替わり立ち代りで複数の人物が演じている。
 上裕が皇太子妃M子だとすると、天皇と同一人物者ということになる。
 石井久子や平田信が扮している時もある。新実智光に似ている顔もある。
 
 タリバンは各国で女性を暗殺している 武器は米軍基地から
 
 平田信の父母は、石井久子(父親)と新実智光(母親)だが、この夫婦は、息子である平田を動かしてナンボのようなところがあるらしい。
 平田は、この夫婦の一番お気に入りに息子で、夫婦が思うことを息子にやらせ、夫婦はその息子のために何でもしよう、というようなことをしているようだ。
 夫婦が平田にやらせていることに、アメリカとタリバンがある。
 平田は、アメリカの表立った支配者だが、実は世界では宗教家として知られている。日本では、創価学会をはじめ、オウムや真光教など、ほとんど全ての宗教の教祖をしている。また、中国では法倫功の教祖である。
 これらの宗教は、アメリカの意思に基づく非合法活動を行うために作られているのではないかと思われる。
 非合法活動を行うのに宗教は全く都合がいい。教義のためと称して、殺人を行っても、信念に基づくものだといい、真相を隠すこともできるし、税金も低額で済み、日本は宗教にとってとてもありがたい行政や政策になっている。これは、宗教がアメリカの息がかかっているからだろう。
 ところで、アメリカの支配国には必ずタリバンがいて、彼らはアメリカの名の下に人々を監視している。もし、人々が生意気なことをやってこうよでもすれば、彼らは米軍基地に武器を借りることも出来るのだ。
 タリバンでは、米軍基地やペンタゴンが基地と呼ばれているのは、資金源であったり、武器の提供所であったりするからである。
 日本では、鹿児島県人会というところがタリバン組織だ。
 彼らの任務は早い話が暗殺だ。
 特に、アメリカが目の仇にしているのは女性であり、女性は、何もなくても常にアメリカの右翼※やタリバンから監視されている。
 (※アメリカの右翼、というのは、右翼は思想の拠り所を伊勢神宮に根ざしており、GHQから禁止された神道政治を未だに続けられるのは、すでにアメリカに支配が変わっているからである。つまり、アメリカがやる神道というのは、あからさまに天皇に従え、というのではなく、天皇に従えと言わずに、従わない人を暗殺することである。)
 アメリカの敵とみなされる人たちを暗殺し、警察には捜査させないようにし、経営者を殺害し経済まで奪い、経済を握っていることを印象付けさせる。しかも、その最中に外国にテロを行わせるが、各国にタリバンがいるので、各国は「うちの国にいるタリバンがやってたらどうしよう」、と思い、未解決を希望する。
 そのようにしてテロを起こし、未解決事件を起こしながら、裏で何の罪もない人を暗殺している。
 これが、夫婦二人が平田にやらせていることの一部だ。
 
 オウム、ひかりの輪の経営者殺人は、稲荷神社のためか 自民党は何故、伊勢神宮を参拝するのか
 
 オウム、ひかりの輪は、長銀が破綻した頃から、会社の経営者や資産家を殺害し、自分たちがその経営者や資産家になりすまし、経営を管理したり干渉したり経営を把握し社長になりすましたりしている。
 ひかりの輪は、神社を聖地と位置づけて、聖地巡りを推奨しているようだ。
 神社というのは、たいてい稲荷神社で狐を奉っている(稲荷神社の関係者は、狐は神使だと主張しているが、狐以外に神らしきものが見当たらない)が、狐は、ネズミの天敵で、昔、稲作でネズミの害があった時に畑の隅に祠を作り油揚げなどを置いておいて狐を誘導したところから、五穀豊穣を願う神として発展したが、それが転じて今では商売繁盛の神となっているらしい。
 この稲荷神社の総本社が、京都の伏見稲荷神社だが、この神社の頂点は、伊勢神宮である。
 伊勢神宮は、内宮と外宮があり、内宮は天皇を崇拝する神宮だが、外宮は、なんと狐の稲荷神社なのだ。
 つまり、この神社を客観的に見ると、“天皇を崇拝することにより商売繁盛を願う”というところであることがわかる。
 何もしないで天皇を崇拝すると商売が繁盛するかというと、どうなのだろう。
 つまり、神社は、天皇を崇拝して商売が繁盛するように仕向ける必要性が出てくるのだ。
 ではどのようにしたら、天皇を崇拝すると商売が繁盛するのか。
 それは、こうだろう。
 商売が繁盛したことのある経営者や資産家をできるだけたくさん殺害し、その運を稲荷神社がつけることにより、御参りに来た人に与える、という考え方が出てくる。
 つまり、稲荷神社は、経営者や資産家をできるだけたくさん殺している、ということが考えられる。
 昔、平安時代頃から、侍の家の娘が狐に憑かれる、という現象が多かったらしい。
 何故、侍かというと、侍とは、今の警察のことだが、警察といえば殺人事件の捜査をする。例えば、稲荷神社が人を殺したとして、それを捕まえ裁くのが侍の役目だったのだ。
 このようなことで稲荷神社は、侍を憎むようになり、侍の娘に目をつけてストーカーや悪さをするようになったので、それが高じて娘が精神病に罹ってしまっていたのではないだろうか。
 伊勢神宮では、天皇のためにと称して経営者や資産家を殺害し、天皇を崇拝すれば商売が繁盛する、という仕組みを作ったと仮定すると、これに自民党など金にがめつい政治家が群がるのがよくわかる。
 天皇を崇拝する政策を作れば、それは=金になる、という宗教の信者なのだ。
 伊勢神宮の方も政治家が信仰しているのだったら、と、経営者、資産家殺しに力を入れるに違いない(宗教とは、人殺しが全てである面がある)。
 そして、それを捜査する役割があるのが侍(警察)なのだ。
 
 こうしてみると、オウム、ひかりの輪の殺人とは、伊勢神宮(稲荷神社)に直結するのではないだろうか。さらに、上裕は天皇と同一人物であるので、天皇の勅令により、経営者、資産家を殺した、とすれば、それは伊勢神宮そのものだ。さらに、その証拠的なものとして、ひかりの輪は聖地(神社)巡りを教義として推奨している。
 オウムが常陸宮の宗教であるとすれば、ひかりの輪天皇の宗教であり、オウムはひかりの輪に吸収されているので、オウム、ひかりの輪の今の教祖は天皇ということになる。
 
 稲荷神社は天皇家の宗教ではない
 
 稲荷神社はもともと天皇家の宗教ではないようだ。
 というのは、天皇の始まりである大和朝廷は、大和朝廷が勢力をつけてきた頃、従わない村民たちを「狐」と呼んで蔑んでいたという。
 大和朝廷は、反対勢力(従わない者たち)は、狐として扱い、人として認めない、と決めていたのだ。
 このことから、大和朝廷は、狐を蔑み嫌っていたことが伺え、だから、天皇家の宗教として、狐を神とする稲荷神社がある、というのはおかしいことになるのだ。
 狐憑き(きつねつき)は、平安時代から増えてきたといわれており、おそらく、この頃に、大和朝廷系の天皇家が滅び、豊臣秀吉系の人物らが新しい天皇家として職務についたのではないかと思われる。
 平安時代の貴族を見ると藤原家が台頭しており、源家と対立している。
 おそらく、藤原家が新天皇家豊臣秀吉の仲間なのだろう。
 この時代で、狐が嫌いだった天皇家出雲大社→中国系)から、狐を称える天皇家伊勢神宮イラン系)に変わり、今に至るようになったのではないだろうか。
 しかし、豊臣秀吉伊勢神宮は、何となく日本的というよりも、北朝鮮という感じがし、天下統一とは、前の天皇家の家系者や親族など大量殺人をして成金的に築いたもの、というイメージもある。
 
 ちなみに、選挙会社・ムサシの名前の元となっていると思われる、宮本武蔵平安時代の人物(殺し屋?)である。
 宮本武蔵、狐は同類だろうか。
 (A倍晋三、宮本武蔵、狐は、同一人物ではないだろうか)
 
 狐が人を化かしたのか
 
 ところで、狐は昔から人を化かす、とか言われているが、それは本当に狐なのだろうか。
 例えば、大変口のうまい狡猾な男がいて、人を化かしていたが、この男が何らかの理由で狐に見えて、このため、人を化かすのは狐、ということになったのではないだろうか。
 例えば、男が狐をたくさん飼っていたとか、狐のような着物を着ていたとか、狐のような土に穴を掘って住んでいたとかである。
 人を化かしているのは、人間の男だったが、この男が狐をたくさん飼っていたので、飼い主の責任が飼っている狐に回ってきたのだ。
 これら伝説などに出でくる狐は、たいてい、人を化かし悪さをするが、本当は、A倍晋三のような人間だったのではないだろうか。